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メディアの話、その66。(2018)AIにできないこと。アルファさんのささやかな消費。

今日、これから出演するAbemaPrimeでは、AI=人工知能が特集される。

AIによって、どんどん便利な未来がやって来る。

でも、AIによって、どんどん仕事も奪われる。

AIが人を追い越すシンギュラリティを超えると、AIは人類を滅ぼすかもしれない。その前に、AIが暴走して、世界大戦が起き、やはり人類は滅亡するかもしれない。

楽観論もあれば、

イーロンマスクや、ホーキング博士の悲観論もある。

真面目だよなあ、と私はおもう。

みんな、真面目すぎるよなあ、と私は思う。

AIが仕事をしてくれるんだったら、全部任せればいいじゃないか。

じゃあ、何をする。遊ぶ。暮らす。思索する。酔っ払う。バカをやる。

AI と人間は相似形だが、一つだけ、AIに今のところ、全くかけていることがある。

それは、自らへのインプットをアウトプットの手段とせず、インプットすることそのものを目的とすること。つまり、消費であり、娯楽であり、欲望そのものであり、好奇心そのものである。アウトプットのことは考えず、インプットそのものを「楽しむ」こと。

AIにとって、インプットは、徹底的に最善のアウトプットのための手段である。

でも、人間が自ら行っているインプットの大半は、ただの娯楽であり、暇つぶしであり、それ自体が楽しみであり、欲望であり、好奇心の産物である。

実用的なインプットなんてダサくてできるかよ!ていうわけである。おい、そこのAI、てめえのインプットはしみったれてやがるなあ、である。

人工知能作家や、人工知能記者は、誰よりも、読書をする。取材資料を読み込む。そして見事な「テキスト」を生み出す。すでに、そこらの新米記者などよりはるかに正確で読みやすい原稿を書くことができる。

でも、人工知能作家や、人工知能は、読書そのものを、楽しむことはできない。楽しむように作られてない。そんなことを楽しんでいたら、正確なアウトプットができない。「楽しむ」という人間が生きる上では必須の本性から出た「動機付け」は、AIにとってみれば、ただのバグになる、回り道になる。

が、私たちはなぜ働くのか。なぜ作るのか。その向こう側に、消費する人、生活する人、欲望する人がいるからである。でなければ、その「仕事」は、アウトプットは、意味がない。

人間がいなくなったら、お客さんのいないAIの仕事は全て意味がなくなる。人間が滅びるのは、仕事を奪われることでない。自分たちよりはるかに消費を「楽しめる」存在が出てきたときである。

「ヨコハマ買い出し紀行」には、温暖化で滅びゆく地球の片隅の三浦半島の先っぽに、人間の主人を待つアンドロイドの女性、アルファさんが登場する。アルファさんは、ずっこけ女子である。しょっちゅう失敗する。つまり、AIとしては半端ものである。けれど、アルファさんは1人で、生活を楽しむ。世界を知り、写真を取り、人間の子供達の成長と旅立ちを楽しみ、そして自分だけが老いないことを、ちょっと悲しむ。ターミネーターなどよりも、はるかにリアリティのある「人類のいない未来」。

それは、生活を消費を楽しめるAIが登場したときなのだ。

アルファさんが教えてくれる。





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