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なんでもアナリシス ネタバレあり  第二回『グリーンブック』

アカデミー賞作品賞、脚本賞、助演男優賞を受賞した映画をダメってのもあれだが…どうもこうもピンとこない作品だった。悪くないけど…。スパイクー・リーが激怒したように「白人が黒人を助けなきゃいけないのか」という怒り方をするわけではないけど…。
まぁアカデミーは「はぁ?」って作品もよく選ぶので作品賞ならこれでいいかも知れない。脚本にはいろいろひっかかる。その「?」をアナリシスした。

「?」の1 ドクは何故南にいくのか
1960年代のアメリカが舞台。まだ人種差別の当たり前にある時代だった。アフリカ系ジャズピアニスト・ドクは粗暴なイタリア系トニーを用心棒兼ドライバーとして、人種差別の激しいアメリカ南部へ長期の演奏旅行に出かける。
何故?
途中でドクが「世の中を変えるのには勇気がいる」というようなセリフがはいるが、一体どう変えたかったのか?南部を旅行できるようにしたかったのか。演奏を聞いてくれるようになって欲しいのか。わからなかった。

「?」の2 ドクは何故ジャズなのか
当時ソ連はピアノ王国。頂点のリヒテルは筋肉質な演奏をするプレーヤーだった。そのソ連にピアノの留学をしてしかも高い評価を受けたというドク。当然学んだのはクラシック音楽なわけだが、その彼が何故クラシックを捨てたのか?
「ジャズやらないと儲からないよ」
というシーンが出てくるけど…。
クラシックの演奏家はポピュラー音楽を忌避する人が多い。当たり前のことだが一つの道を究めると言うことは、他の道への転用が利かなくなっていくということだ。体の細胞の一つ一つまでクラシク音楽で埋め尽くそうとトレーニングする演奏家にとって、他の音楽を取り入れることは堕落でさえあるわけだ。
そういうドグが「稼ぐ」という目的だけでジャズをやる。このあたりが、わからなかった。

「?」の3 ソ連人たちは 何をしてるのか
トリオを組んでいるのはソ連人二人。モスクワ音楽院時代からのドクの友人だという。ということは当然クラシックを学んでいるはずである。それが何故、祖国を出てジャズをしに来るのか?
しかも当時はケネディ対フルシチョフの米ソ対立の激しい頃。鉄のカーテンの向こうから一体彼ら何故やってきているのか?わからない。

「?」の4 じゃあトニーはどうなったのか
主人公トニーは冒頭で家の中で働いてるアフリカ系の人たちが使ったコップを、その人たちが使ったと言うだけで捨てる。
これはトニーの人種差別を表す場面で、これはまぁわかる。
旅の途中イタリア系だというのを馬鹿にされて警官を殴る。トニーが自分の出自に誇りを持っていて、かつ無鉄砲なヤツだ、とわかる。
旅しながら、ドクと少しづつ打ち解け合っていくトニー。最後の演奏地でレストランで食事用として断られるドク。物置で食えと言われる。レストランの支配人は「これは差別じゃない。ならわしだ」と言う(これはいいセリフ)。怒って出て行くドク。
その時トニーは何をしたか。
何もしない。ただドクに「帰ろう」と言うだけだ。自分の事なら大暴れしただろうが、彼はここでは何もしない。
何もしないことでトニーは人種差別を認めたのだ。
物語が始まったときのトニーと終わる時のトニー。何も変わっていないのだ。

ということで、これで脚本賞はダメだろう。こんなボケボケの脚本で賞出したらそれは、いけません。
主役の二人ビゴ・モーテンセンとマハーシャラ・アリは素晴らしかった。モーテンセンはデンマーク系なのにスペイン人とかイタリア系とか、なんでもよくやって、ビックリ。

ところで映画。Comのプレヴユーは公開前の試写会の感想は溢れるほどだが、公開後はまったく書き込みがない。なんだか面白かった。

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