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なんでもアナリシス ネタバレあり  第一回『スパイダーマン:スパイダーバース 』

アナリシスってのは分析という意味です。
ボクは専門学校でもアナリシスという講座を持っていて、そこでは学生が互いの作品を分析し合ます。忌憚ない意見を言い合うことで批評されることに耐性をつけ、批評眼を持つことで自分の作品のレベルを上げるのです。
ここでは少し違うことをします。ボクがいろんなものを分析して意見をいいます。当然「その読みは甘いな」みたいな批判の目を向けられたりするでしょうが、まぁそれも込みでやってみようと。
第一回は『スパイダーマン:スパイダーバース 』 です。

『スパイダーマン:スパイダーバース』は素晴らしい映画です。映像の快感に溢れている。見終わったとき、すべてのスパイダーマン映画の中で最上位の作品だと思いました。
しかし時間が経ってみると
「これはスパイダーマン映画ではないのでは?」
と思えてきました。さらに考えてみるとシナリオ上の工夫がいろいろ見えてきました。今回はそのあたりを。

誰の物語か
これは、ピーター・パーカーの物語ではありません。アフリカ系とヒスパニックの血を引く少年マイルス・モラレスが主人公です。彼はポップアートが好きでブルックリンの名門私立中学校に通うのを息苦しく感じている。
ある日変な蜘蛛に噛まれてスパイダーマンそっくりな能力が身につきます。本物のスパイダーマンの方は彼の目の前で闇の組織のボス・キングピンに殺されてしまいます。モラレスは途方にくれます。ところがそこに異次元からスパイダーマンたちが集まってきます。キングピンが時空がゆがめた衝撃のためです。マイルズは彼らと協力してキングピンの野望を止め、異次元のスパイダーマンたちを元の次元に返すべく奮闘を始めます。

スパイダーマンは誰の物語か
『スパイダーマン』は1962年に生まれました。原作を担当したスタン・リーはティーンエイジのヒーローというアイディアを思いついた時「これは絶対売れる」と思ったそうです。それまで十代のヒーローなんていなかったから。
で、実際マーベル中でも最も人気の高いヒーローになりました。
同級生とうまく歩調を合わせられず、恋した女の子に臆病になり、家族にイライラするピーター・パーカー、ヒーローの力を得たのにせこい金儲けをしたあげく大失態をして苦しむピーター・パーカーに読者は自分を見たのでした。
コミック『スパイダーマン』は人気が出て長く続き、物語はややこしくなっていきます。宇宙へいったりハルクと戦ったりファンスティック4になったり。やがて『シビルウォー』というとてつもないイベントが起きて、マーベルヒーロー大進撃大決戦になって、あと戻りできないくらいになってしまいました。その後世界はマグニートが起こした大洪水に沈んでしまいます。「なんのこっちゃ」と思うでしょうけどそういうこっちゃなのです。
『スパイダーマン:スパイダーバース』の原作はこういう大混乱の世界の後生まれました。一種、やけくそのようなものです。原作もモラレスが主人公です。しかし映画『スパイダーマン:スパイダーバース』と違って彼は一人。一人で自分、自分の能力と向き合い、一人で葛藤を乗り越えるのです。

『スパイダーマン:スパイダーバース』は誰の映画か
翻って『スパイダーマン:スパイダーバース』はどうでしょうか?
行き詰まったモラレスの前にメンターが現れ仲間が現れガールフレンドや装具まで用意され、彼がやることはただ踏み出すだけ。思春期独特の懊悩なんかここにはない。つまりスパイダーマンの大切な要素がないのです。だからここにはスパイダーマン映画独特な重苦しさがありません。ガールフレンドや家族に正体がばれたら?という息苦しさがありません。軽妙なストーリーが軽快に流れていくだけです。スパイダーマンの持ち味なしなのです。これは映画『ホームカミング』も同じ。
だからボクは
「これはスパイダーマン映画ではない」
と一旦判断しました。

しかしそのあと、もう一回考え直して
「ギリギリがあるからスパイダーマン映画になってる」
と、気がつきました。さらには
「かなり巧妙なシナリオになってる」
と言うのも気がつきました。
そのギリギリとは何か?
異世界から来たピーター・B・パーカーです。

誰がスパイダーマンか
物語を読み始める時、読者はまず自分のいる世界と同じ世界を舞台に思い浮かべます。やがて違いがわかってくると物語中の世界にアジャストしようと努力します。
漫画の初学者がSFを描くなと言われるのは、読者がアジャストしやすい説明をする力が未熟だからなんですね。
『スパイダーマン:スパイダーバース』を見る人も、映画の世界が自分の世界と続きの世界と思って見始めると思います。実は『スパイダーマン:スパイダーバース』の巧妙な仕掛けがそこにあります。
モラレスの世界は異次元なんです。最初から。
じゃあどこが我々の次元なのかと言ったら、ピーター・B・パーカーのいた次元がそうなんです。彼は我々の次元のスパイダーマンなんですね。25年独りで戦い続け、中年太りになり家庭も損ねてしまった。彼こそが我々のスパイダーマンなんです。ヒントは名前のBにあります。

AだからB 、ではない
これは
「本来のピーターがAとして、それと違うって印でしょう。どっかにC・パーカーもいるんじゃねえ?」
と思えてしまうかも知れませんが、違うのです。
Bはベン。おじさんの名前をミドルネームにしたピーター・ベン・パーカーが彼の本名なのです。滅多に名乗らないフルネームを名乗ることで、彼は我々のスパイダーマンであり、別の次元にやってきたんだと宣告してるわけです。
そういえばスパイダーマンの一人がぶつかった看板もコカソーダです。コカコーラでなく。商標を一部変えて問題を減らすという通常のやり方を逆手にとって「こここそが異次元なのだよ」というのを言葉控えめに表現してるわけですんね。
原作漫画を知ってる方は最初からモラレスの話しは異次元なんだと気がつくも知れません。映画で初見の人にそれをふりかざすと取っつきが悪くなるのでその表現を慎重に取り扱ったのではないでしょうか。

こうして『スパイダーバース』はスパイダーマン映画になった
ピーター・B・パーカーが我々の次元のスパイダーマンだと見れば、彼の青春のこじれっぷりこそがスパイダーマンのあれだ、とおわかりになるでしょう。パーティ会場での彼のだらしなさなんかはそこを上手く出しています。
そして、彼とモラリスは実際には同一人物。前半でモラリスが店頭販売のコスチュームを着て飛び回るのは、同じ人物である暗示なのです。ピーター・B・パーカーが青春をこじらせてるのでモラリスがこじらせる必要がない。じめつく必要のなくなったモラリスの話しは軽快に進められます。ここは非常に上手いやり方でした。

企画者が考えた(だろう)こと
多分こんな流れ。

①最近業績が伸びないソニーピクチャーズとしてはそろそろ何か行きたい
②いくならやはりスパイダーマンだろう
③マーベルスタジオ+ディズニーが軽快なスパイダーマンを作っているので負けないものを作りたい
④しかしピーター・パーカーで軽快もの作るとマーベルスタジオ+ディズニーと同じになってしまう
⑤マイルス・モラレスを遣ったらどうか。
⑥モラレスの異次元という設定を生かしていろいろなスパイダーマンを集結させ、マイルスのジメジメパートを代行させる。そうするとマイルス本体の話しは軽快に進められる。

多分こういう流れで企画の骨格ができあがり、脚本が作られたのだと思います。一見ポップな絵を見せたいだけの映画ですが、実は結構巧妙に作られていると思いました。


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