双子を授かった話 ⑥ 出産「じゃ、ちょっと産んでくる」

 管理入院はやることがない。早産防止のために、基本的には安静にしているだけだからだ(胎児の発育促進のために、「効果はないかもしれないんですが」と言われつつマルトース(麦芽糖)の点滴は受けていた)。

 これはとても贅沢なことでもある。

 ボクらは初産だから、妻が管理入院となってもボクが一人暮らしに戻るだけだ。さして困ることはない。既に上の子がいるご家庭なんかは大変だ。残された夫は子どもの世話をしながら仕事も行かなければならない。

 朝の支度、保育園の送り迎え、食事の用意、ことによったらお弁当作り、掃除、洗濯、お風呂、寝かしつけ…。

 ただでさえ子どもは毎日何かをやらかす。熱でも出されたら仕事を中座して保育園まで迎えに行かなければならない。小さい子が2人もいたら、と思うとゾっとする。ボクらは双子で打ち止めにしよう、と固く誓った。

 妻のいる8人部屋には妻と同じように双子の妊婦の方や切迫早産の方、糖尿病をお持ちの方がいた。大学病院の性質上、小さな産院では対処できない方々が集まるのだろう。ボクらがこの大学病院を選んだのも、アクセスがよいだけでなく、NICU(Neonatal Intensive Care Unit, 新生児集中治療室)があるからだった。もっとも仮に最初に近所の産院を選んでいたとしても、双子の妊娠と分かった時点で大学病院を紹介されていただろうけど。

 中には2か月に渡って入院されている方もいて、小さい女の子がお見舞いに来て、「ママー、さみしかったよー」と隣の妊婦さんに抱きついた姿を見たときは、その妊婦さんだけでなく、思わずボクまで目がうるるとしてしまった。その子は実家に預けられていて、久しぶりにママと再会したのである。

 病室は個人ごとにカーテンで仕切られており、妻の見舞いに行った時は、大抵、誰かのスペースから心音モニタの音が漏れていた。

 毎分、約140拍。胎児の心音は早い。

 ボクも入院経験があって、その時はカーテン越しに聞こえてくる隣の患者の咀嚼音が嫌で嫌でたまらなかったが、こういう音なら聞こえても心地よい。

 この心音モニタは妻も1日2回、朝と夕方にとっていた(うまく行くと30分ほどで済むが、胎児が動いてモニタができなくなると一からやりなおしになる。その間は動けないのでけっこう大変)。

 ある日、目覚めると胎動がなかった…なんて話も聞いていただけに、管理入院はボクと妻に心の平穏をもたらした。不測の事態が起こってもすぐ対処できる、というのはとてもありがたい。双子の女の子の方の体重は、相変わらず下限ぎりぎりだった。

 最初に妻が入院したのは女性診療科の病棟。で、いざ出産が迫って入院となった妊婦は隣の周産期病棟に入院する。この女性診療科病棟と周産期病棟は隣り合っていて、同室に居た人がいなくなったと思ったら、ベビーワゴンを隣の病棟で押していた、なんてこともあった。

 この人も、あの人も、これから母になる。

 というか、いまここにいる看護師も医師も見舞客もボクも、いや、もっと、世界のすべての人が母から生まれた、と当たり前のことに気づく。感動とまでは行かないけれども、感慨深い光景ではある。

 一方、ひとつ上の階では、こんな光景にも出くわした。

 パジャマ姿の中年男性患者が、携帯電話で誰かとしゃべっている。「何でオレの指示通りに動かないんだよ! 向こうの担当者とは話がついてるんだから…」などと言っていたから、おそらく会社の部下にでも電話していると思われる。その内容からして、けっこう大企業っぽい。

 たぶん、スーツを着ていれば立派な企業戦士に見えるのだろう。でも、いまはくたびれたパジャマ姿で、ボサボサの髪、無精ひげで、顔色も悪い。そのギャップに、人間の本質って何だろう、と考えてしまう。

 「ここは病院なんだな」と別の方面からあらためて認識する時もあった。はす向かいの病室からAEDの起動アナウンスが聞こえたときだ。妻の夕食トレーを配膳ワゴンに片付けに行く際、ちらりとその病室の方を見ると、パーテーションが立てられ、中が覗けないようになっていた。すべての人が産まれ、そして…やはりそこは病院なのである。

 4月2日。

 妻は同室の妊婦さんたちと手を取り合って喜んでいた。4月1日を超えたのだ。これで子どもが早生まれにならずに済む。

 3月生まれと4月生まれでは、学齢期を迎えるにあたって、まるまる1年間の差が生じる。そりゃあ成長には個人差があって、ボクのまわりにも3月生まれの才気あふるる人がたくさんいる。けれども、某有名私立幼稚園が入園試験を月齢ごとに分けて実施しているように、乳幼児の1年間の成長というのは馬鹿にならない。それに春生まれなら、寒い時期よりも子どものケアがしやすい。

 何より、保育園の入園のしやすさが違う。現行の制度では、早生まれは保育園の入園が決定的に不利になる。ボクは専業主夫の予定(だったの)だけれど、万が一、と思って、早生まれは何としても避けたかった。

 そんな訳で、いろいろ考えての春生まれ目標ではあるけれども、しかしながら、そこはいろいろトラブルを抱えた妊婦さんたち。予定より早く出産を迎え、4月1日生まれになったら目論見がパァである(4月1日生まれは早生まれにカウントされる。理由は…長くなるからご自身でお調べください)。

 ましてボクらの場合は双子。ただでさえ小さく生まれるのがもう分かっている。

 無事に生まれてくれればそれ以上に望むことはないけれども、少しでも小学校入学までに時間を稼げれば…と思うのは人情である。

 ちなみに双子の出産予定日は、子宮の大きさを考慮して、単胎児のときより3週間繰り上げて設定される。ボクらは余裕をもって計画妊娠のはずだったが、その余裕は一気にぎりぎりとなってしまっていた。

 4月に入って、ボクは新しい学校の着任でドタバタしていた。双子の育児は1人では無理だろう、ということで、常勤の紹介を断り、非常勤での仕事が始まったところだった。収入は激減したが、この選択は正しかったと思う。それほど出産からこの方、時間がない。出産もいきなりだった。

 その日、ボクは社会保険関係の手続きをするため、電車で移動中だった。お昼、何食べようかなあ、などと考えながら電車に揺られていると、胸ポケットに入れていた携帯電話に着信が入った。妻からだ。予定日はまだ一週間先。まさか、と思ってホームに降りて電話に出てみると、そのまさかだった。

「さっき触診してもらったら、おしるしが出ちゃったの。今日、月曜でしょ? 帝王切開の後で何かトラブっても、火水木金と平日で医者が揃ってて対応しやすいから、今日、取り出した方がいいだろう、って」

 予定を切り上げ、急いで病院に向かった。

 病室に駆け込むと、意外に平気そうな顔をした妻がいる。これから手術準備に行き、手術室に入るときはデイルームの前を通るから、デイルームで待っててくれ、と頼まれた。

「大丈夫なの?」

「おなか痛い。でもこれだけ設備がそろった大学病院だし、大丈夫だよ」

 まぁ、確かに。ここまで来たら心配しても仕方ない。妻がお義母さんにも既に連絡を取ってくれていたので、ボクは大人しくデイルームで待つことにした。

 午後2時15分。

 妻が看護師に車椅子を押されてデイルームの前を通った。

(ああ、あと1時間くらいしたら、子どもが産まれてるんだなあ)

 この期に及んでまだ実感がない。妻はボクと後から来たお義母さん、そして付き添いに来てくださったお義姉さんに見送られながら

「じゃ、ちょっと産んでくる」

 と言って、手を振りながら手術室に入っていった。

→ 双子を授かった話 ⑦ GCUで泣いた

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やなぎ丸

主夫、ときどき講師。 Twitter → https://twitter.com/newriverclass
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