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048 「言葉・行動=うんこ」として軽やかに過ごすのが好き

『言葉・行動=うんこ 論』
 
 言葉と行動はうんこです。
生きていればうんこは必ず出るし、出さずに抱えていると健康を害してしまいます。生理的に必ず出るものです。
適切な場所・適切なタイミングで。つまりトイレでうんこをすることは適切な行為であり、非難されることはありません。
 
 してはいけない場所・不適切なタイミングでうんこをしてしまったときに、それをしげしげ眺めて「うおー俺はなんでこんなうんこをしてしまったんだー!!」と、ひざまずき床をバンバン叩きながら後悔をするほど馬鹿らしいことはありません。
ましてそのうんこを鷲掴みにして「みなさん!!こんなところでうんこをしてしまって申し訳ございませんでした!これが私のしたうんこです!許してください!!本当に申し訳ございません!!!!!」としつこく泣きつくなどもってのほかです。
「近づけて見せなくていいから早く流せ!そのうんこを見たくなくてこういうことになってるんだから!!くせ〜」と言われることうけあいでしょう。
 
 かといって「うんこ、していないよ」と言い訳をして、うんこをした事実を消そうとするのは、一度したうんこをアナルから無理矢理戻すようなものです。
言い訳によって、うんこをした事実が消えることはなく、アナルや直腸が柔軟なビックリ人間でない限り体内に戻すことは出来ません。万が一、表面上戻せたように見せかけたとしても拭えない腸の違和感とともに過ごしていくことになります。

 してはいけない場所・不適切なタイミングでうんこをしてしまったとき必要なことは、後悔をして泣きつくことでも言い訳をすることでも、まして後処理もせずうんこをした事実にふんぞり返ることでもありません。
 
 うんこをしてしまった事実を笑い話に出来るようなケースであればそうして、うんこをしたことで誰かに迷惑をかけた場合には最低限気持ちを込めた陳謝・あるいは反省(≠自己嫌悪)をし、
「何故ここでうんこを漏らしてしまったのか?事前にこうすれば漏らさなかったのではないか?」と対策を考え、スッキリした顔で水に流し、歴史に学び同じ場所・同じ状況でのおもらしを繰り返さないことが最善と思われます。同じおもらしを繰り返さなければ、そのうんこは偉大なうんこであり、経験値・学びです。万が一繰り返したとしても、繰り返したところからまた学べばそのうんこも偉大なのです。

 忘れがちな事実ですが、イチロー、しみけん、黒澤明など歴史に名を刻む人たちも、皆、すべからくうんこをしています。
ときにはうんこを漏らしながら、その時々のうんこを時節ごとの一里塚として刻みながら、自らのやりたいことや使命に立ち向かった(立ち向かっている)のだと思います。
 だから、”どのようなケースにおいても「うんこをすることは恥ずかしいことだ」”というlike a 小3なモラルは早いとこ捨てて、毎日新しいうんこをしながら日々暮らして行くことが健康で、人間らしいと私は考えます。
 
この文章も、
「言葉と行動はうんこです。」
という私なりの今日のうんこです。水に流して頂いても、畑に撒いて肥料としていただいても結構でございます。終わりです。

うれしいです。