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善事も一言、悪事も一言 capter1 『南方成子の生い立ち』

   『成子の生い立ち』

 南方成子が生まれたのは大阪の南河内にある千早赤坂村という大阪府で唯一存在する村である。歴史の教科書でこの地の名を見かけることがあるとすれば、それはかつて南北朝時代の武将・大楠公楠木正成がこの地において幕府の軍勢と戦ったことくらいであろう。

 彼の墓や城跡や祀られた神社はいまも残されている。

 とはいえそれも何百年も昔の話である。今は長閑なだけの村である。

 ただ長閑過ぎて暇を持て余した年寄りたちが事あるごとに大楠公の伝承や生き様を子供らに語り始めることがしばしばあった。聞かされる子供たちは迷惑この上ないが、年寄りたちにとってはこの上ない至福のようで、感極まった者はまるで自分が大楠公と共に主君後醍醐天皇の為に戦っているかのような錯覚に陥り、泣き出す者も現れることもしばしばあった。

 偉大な大楠公は今でも村人らに余暇を潰させる程度の影響と恩恵を与えているのである。成子の飼い猫のタマもどことなくそこいらの猫よりも尊厳があるように見える。昼寝中に鼻先に小鳥なんかが止まっても動じない。ただの畜生ではないのだ。それもこれも大楠公の恩恵である。とは成子のおじいはんの言葉。

 かくいう彼女の名も正成の一字をいただき『成子(なりこ)』と命名された。命名したのはおじいはんで、そのことに成子の母はたいそう不満であったらしい。

 ちなみにそのとき成子の母が希望した名前は『知恵』という名である。チェ・ゲバラから発想したらしい。

 どっちもどっちである。

 おじいはんは成子に正成の一字をつけるだけあって、成子に大楠公の偉大な業績を始終聞かせた。その甲斐あってか成子は大楠公のちょっとした専門家くらいの知識を得ていた。

 大楠公は忠義の人でありながら稀代の兵法家でもある。その兵法は楠木流と称され、寡をもって衆を制す、数的不利の状況でも策を巡らせ敵を撃退することを本領とした。

 赤坂城の戦いでは石垣の上から糞尿をまき散らすというパンクロッカー顔負けの奇策で城下に迫った二十万の軍勢と互角に渡り合った。この戦場を想像すると鳥の糞が肩に落ちるなどはかわいいものに思える。

 成子はおじいはんの昔話の犠牲を甘んじて受け入れたおかげで、これら楠木流の極意を体得せしめた。

 といって兵法など一体どこで役に立つのか。べつにバーゲンの人ごみに人糞をまき散らして目当てのものを手に入れるなどということではない。

 意外なところで役に立ったのである。マジで。

 成子は生来からのパーマネントへヤーつまり天パであった。そのパーマネントぶりたるや殆どアフロである。

 彼女が大人となった今ならばストレートパーマつまりストパーなどの対策をとれるが、なんら金銭的余裕のない子供時代には財布を握る母の首を縦に振らせるしか方法はなかった。

 しかし子供のストパーに金を出すはずもなく、彼女の母の首は横に振られるばかりで、成子は絶望と怒りがない交ぜになった視線でもってその光景を呆然と見ていた。しまいにはナポレオンズのマジックみたいに穴の空いた筒を被せて、頭をぐるぐるしてあそんだろかと思った。

 成子は悩んだ。毎夜毎夜布団をしがんで悩み続けた。悩んで悩んだ挙げ句、バスタブに逆立ちし天パを風呂に浸けたところ、バスタブから引き上がる天パは見事なアジアンビューティーに変身。

 という夢を見たくらいである。ちなみにその日は湿気が強くて寝起きの天パはいつもよりひどく、バルデラマみたいな状態であったが、バルデラマのような状況を打開するスルーパスは通せなかった。

 その当時小学生だった成子は手塚君という股上の浅いぴたぴたの半ズボンを履き、女子の興味を我知らず集めている男の子が好きだった。あのぴたぴたの半ズボンの奥に見え隠れするものが成子は知りたかった。たまらなく。

 しかし、うぶな(自称)成子は髪型の所為で自分の気持ちを伝えられなかった。成子はそのもどかしさを思うたびに、まだ赤い実が弾ける前の、二次成長期以前の身体には酷なほどホルモンが分泌されてしまった。

 そんなとき成子に活路を見出させたのはおじいはんに仕込まれた楠木流兵法であった。

 不利な状況を一転させるには策謀を駆使するより方法はない。

 成子は手塚君をモノにすべく大楠公の教えを実践した。

 ある日の昼休み。クラスメイトたちは男女ともにグラウンドで一輪車の練習をしていた。というのも学年主任がNGKで観たミスターボールドの芸に感銘を受け、その年の運動会に一輪車でマスゲームを行えるように、昼休みは日替りでクラスごとに一輪車の練習をすることになっていたからだ。その日は成子のクラスの練習日だった。

 成子はいつもなら、一輪車の練習で手塚くんのぴたぴたの半ズボンがくんくんに食い込み、よりいっそう成子の求める深奥に肉薄するその様を盗み見つつ、一輪車のバランスをとる度に前後運動に応じてサドルから伝わる良からぬ感触、むしろ良過ぎて良からぬ感触に、これが初恋の恍惚かなどと見当違いなことを考えていたのだが、今日はその週のうちでもっとも喜ばしい時間をサボり、一人教室にいた。窓の向こうのグラウンドには相変わらず手塚君が我知らずクラスのみならず上級生やおしゃまな下級生の女子たちの視線を一身に集めていた。

 成子はその様子を一瞥すると、自らの手に握りしめられたブルマを手塚君の机の奥へねじ込んだ。

 賽は投げられた、と成子は思った。そのときの成子の胸中には不安と興奮、その二つがあった。

 馬鹿馬鹿しくも些細なことだが成子の人生にとっては大きな出来事だった。その後の彼女の人生にも大きく影響している。

 概ねどんな人でも子供の頃良からぬ企みの一つや二つ試みたはずだろう。それが失敗に終わるか成功するかによってその後の人生が決まってくるのではないか。全てとは言わないが、そういうこともあるはずだ。

 失敗すればこれに懲りて止めてしまうはずだ。成功すれば味を占めるかもしれない。

 成子は味を占めた。ということだ。

 例外的に懲りずに続ける人間もいるが、そういう人物は後で登場する。

「先生。ウチのブルマがあれへんねん」

 その日の終わりの会で成子は唐突に挙手起立し言った。担任教諭はまず同級生の女子生徒らの体操服袋の中を確認させた。もちろんそんなところにはなかった。

 担任教諭は大学を出たての女性で、学生時代も真面目一辺倒で遊びもせずに勉強して教師になった人物で、当時はまだまだ教育とはなどと考えたりもする程度の熱意を持ち合わせていた。そういった人物が陥り勝ちな傾向として、子供に対する性犯罪の知識が豊富で、つねづね最悪のケースを想定するというものがある。そして彼女にとって想像しうるものとは全て実現可能なのだ。

 このとき彼女が考えたのは変質者による盗難であった。そしていまもどこかでその変質者が子供らのブルマを狙っている。もしくはもっと核心的なものを狙っているのではないか。そんなぐあいに想像は巡り軽度のパニックに陥っていた。もちろんそんなことはなかった。

 同じ教室には軽度どころかその後の人生を狂わせるほどのトラウマを抱えかねない問題に直面していた人物もいた。手塚君である。

 担任教諭のうわずった声で発せられた男子への持ち物確認命令であるわけないものが机の奥から見つかったのだ。いまはまだ自分しかこの事実を知らないが、次第次第とうわずりの度合いを深めてゆく担任教諭はすぐにでも全生徒の持ち物を自分の手で確認し始めるように思えた。半ズボンの深奥が縮こまった。

 手塚君がおそるおそる成子の方を見ると彼女もこちらをじっと見据えていた。

 成子の目に見据えられた手塚君は本能的に半ズボンの深奥をがっちりと握られたことを悟った。

 成子はつと立ち上がり担任教諭に告げた。

「先生。ウチ、ブルマ自分で持ってました」

 その言葉を言ったきり成子は手塚君に一瞥もくれず、何事もなかったかのように振る舞った。内心は興奮していた。

 放課後。体育館裏に呼び出された手塚君は成子にブルマを差し出した。

「これ…なんでか知らんけど机の中にはいってた」

 成子は手塚君の心が、端から端まで不安で蝕まれるのに十分なだけの時間を沈黙した。手塚君にとってその沈黙は永遠のように感じたが、自分から沈黙を破る術はなかった。遠くから聞こえてくる子供らの騒ぎ声がときおり意味の通った言葉として頭にはいってくる。うんこ、ちんこ、うんこ、ちんこ。大体そんな感じ。

 ようやく成子は手塚君の手に握られているブルマから視線を外した。もちろんそれは彼女の周到に計算された演技で、手塚君にそれと知られるように視線を外し、恥ずかしそうにうつむいたのだ。そして手塚君が何事かを言い始める前に、いやその言葉を打ち消すように告げる。

「別にええで。ウチのでよかったら…もらって」

「え?」

 その瞬間、自分が若くしてブルマ泥棒のを汚名を着せられていることに気づいた手塚君は、すぐさまそれを否定しにかかるが、成子はその言葉を聞かぬままその場を走り去る。

手塚君は成子の後ろ姿を見送るより他なかった。もしこのとき、走り去る成子の年不相応ないやらしい笑顔を手塚君が見ることが出来たら、一目で事の次第を知ることが出来ただろう。自分が罠に嵌められたということが。しかし、彼は見ることが出来なかった。

 そして弁解の場を与えられなかった手塚君は否応なく、いまや好きな女の子のブルマを盗む変態小学生となってしまったのである。手に握られたブルマがその証拠である。少なくとも成子にはそう思われている(と思っていた)。なんとか誤解を解きたかったが、どうすればいいのかわからなかった。なによりも自分が泥棒の変態野郎と成り下がってしまった現実に頭が真っ白になってしまった。真っ白な頭の中に下校途中の子供らの声がこだまする。うんこ、ちんこ、うんこ、ちんこ。大体そんな感じ。

 のちのち成子はブルマをなくしたことで母親にこっぴどく叱られたが、手塚君を籠絡するきっかけは掴んだ。あとはそこを突くのみ。巨大な堰も微細な穴を穿つだけで決壊するものである。たかだか小学生ごときに歴史ある楠木流兵法の前に抵抗する術などなく、手塚君のまだ弾けたことのない赤い実はすでに成子の手中にあり、あとはそれをねぶろうが転がそうが握りつぶそうが成子の思うままであった。もちろん成子は自分が出来ることを全てやった。

 こうして天パの成子にも立派な彼氏が出来た。成子は初恋の成就に浮かれた。マンセー大楠公、マンセー楠木流。などと。

 それに呼応するようにタマが一匹の百舌鳥の雛を拾ってきた。雛は巣から落ちたのか羽を痛め動けなくなっていた。タマは看病して欲しいとばかりに我が世の春を謳歌する成子の前に差し出したのである。ライフイズビューティフル。などと成子は宣った。

 成子はその雛を大切に看病した。母も飼い猫と娘と百舌鳥との美しい物語を喜び、成子が百舌鳥の世話のために欲しがるものは出来る限り買ってやった。鳥の飼育本、鳥カゴ、餌、などなど。

 成子は成子でこの百舌鳥が傷を癒し大きく羽ばたく頃、自分は手塚君の深奥を、いやまずはもっぱらレモンの味と噂のヤツを知ることになるのだ、などと夢想し鼻の下を伸ばしていた。

 しかし、そうはならなかった。明けない夜はないが、沈まぬ太陽もないのだ。

成子は手塚君と付き合い始めて以降、いつも家を三十分ほど早く出て、わざわざ学校を行き過ぎたところにある手塚君の家まで彼を向かえに行った。彼女の為に一言くわえると、彼女の恋愛観は男の後ろを三歩さがって歩く的なもので、比較的に奥ゆかしいものだといえる。問題を抱えているのは方法だけである。

 毎日、成子は手塚君の三歩後ろを歩きながら彼のぴたぴたの半ズボンがさらす臀部と太もものきわどいラインを凝視しつつ登校した。それは成子だけの指定席であり、特権であった。他の女生徒たちの羨望と嫉妬の混じった視線を感じることも成子にとってはすでに甘美な美酒を味わうようなものだった。

 そんな鼻高々な成子に一泡吹かせてやろうと思わぬ女生徒たちもいないわけではなかった。

 彼女らの多くは成子のクラスメイトであった。彼女らもまた手塚君の深奥に魅せられた女たちだった。そしてその深奥に狂わされてもいた。

 彼女らはなんとか成子を出し抜こうと暗黙の共同戦線を作り上げ、学級内ネグレクトを敢行した。

 成子が話しかけてきても返事もせずにその存在も自分の眼には見えない幽霊のように振る舞った。彼女らの考えでは成子は孤立し、その寂しさのあまり泣いて謝り、我々に手塚君を返してくれるはずだ、と考えていた。

 それはまったく甘い考えであった。成子は大楠公の権化であった。不利な情況こそ燃えた。さらに他人がそこまでして欲しいものを簡単に手放してなるものかと考えた。成子には人の欲しがるものは何にしても良いものだと考える癖があった。

 

 まず成子は自分を無視した女生徒を逐一ジャポニカ学習帳の最後のページに書き出し、敵対する戦線の構成メンバーを把握した。すると自然とメンバー内のヒエラルキーが透けて見えてきた。

 彼女らには大きく分けてゴム段派閥とリリアン派閥があった。

 

 ゴム段とは二メートルほどの長さのゴムひもの両端を適当な支柱もしくは人の身体などに渡し、ひざ下ほどの高さに設定する。そのゴムを参加者はリズムに合わせ、飛び越える、踏む、ひっかける、ひねる、などの技を駆使し演技するという主に女生徒たちに人気のある一種のストリートダンスである。

 ゴム段派閥は昼休みや放課後などに集まって、ゴム段をするグループである。ゴム段の特性上、比較的に運動神経がよい女生徒たちが所属しているグループである。

 もちろんゴム段派閥のヒエラルキーはゴム段の巧拙によって決定していた。彼女らのトップにいた後藤まみは最大で腰の高さに設定されたゴムひもで演技した。それは彼女が他の女生徒にくらべ成長が早く、頭一つ抜けた身長であることによって可能たらしめた唯一無二の演技である。派閥内でも、誰も彼女の到達点に達することは不可能だろうと考えられていた。

 

 他方、リリアンとは子供向けの手芸入門セットとして販売されている商品の名である.

リリアンそのものは小学一年生くらいで習得出来る簡単さであり、彼女らが、第二次成長を迎えるいまなお、牧歌的にリリアンに熱中しているというわけではない。彼女らは、いまでは指編みでシュシュ、帽子、マフラー、手袋、ミサンガなどをこしらえるまでに到っているのだが、その多くがリリアンから手芸の道にはいったことや、彼女らをリリアン派閥と呼ぶ人の多くがリリアンで手芸の道に挫折してしまったことなどから、あるメルクマール的な語としてリリアンという名が、便宜上彼女らを総称する派閥名として使われるようになった。そう呼ばれる彼女らもリリアンという女の子っぽい響きが嫌いではない。そういった類いの集まりである。

 彼女らのヒエラルキーはゴム段派閥ほど単純なものではなかった。ゴムひもと自分の身体のみで行われる好ましい単純さはない。彼女らの影にあるのは経済である。

 リリアン派閥のリーダーである白石ひよりは、もちろん手芸の腕もさることながら、他の女生徒らがうらやむほどの糸や道具を駆使する経済の力を持っていた。それが彼女の権力を下支えしていたのだ。

 そもそもリリアン派閥の女生徒たちの多くが一人っ子で、両親にお金かけられて育てられた少女たちであった。大抵の子がピアノ、絵画、書道、珠算、水泳、英会話、もっと上級になればバレエなどの習い事に、わざわざ千早赤坂村をから送り迎えされながら通うような少女たちであった。リリアンや指編みはその合間の暇つぶしでしかない。彼女らの両親もちょっとした糸や道具ならなんなく買い与えていたが、所詮、あそびの一部として買い与えていた程度なので、より高等な品目、デザイン、サイズとなってくると、両親の財布のひもの具合によって少女たちの中から自然と一人また一人と脱落してゆくこととなる。

 そんなサバイバルレースを制した白石ひよりの両親は他の子らとは段違いに金を持っていた。父親は大手電力会社に勤めていた会社員だったが、その血統は代々この村の村長や村会議員を担ってきた由緒あるもので、何代か前には国政に打って出た者までいるという。

 成子も何度か白石ひよりから彼女の祖父の家が学校の運動場よりも大きい、などと聞かされて、あほか、と思ったことがあった。

 そんな経済力の後ろ盾もあり、白石ひよりはある日、彼女の祖父の家にあったという曼荼羅を再現した縦二メートル、横一メートルはあろうかというリリアンで編まれたタペストリーを持ち込んで以来、リリアン派閥の領袖の座についている。ついでにいえば彼女はシルバニアファミリー派閥(派閥と呼ばずそのままファミリーと呼ぶ者もいる)の領袖でもあった。ともかく金は持っていたのである。

 後藤まみと白石ひより。成子はその二人をターゲットにした。女生徒でつくられる集団というものは得てして結束が弱いものだ。彼女らは年幼くても自分が女であることを理解しているのだろうか。いずれ自分は子を産み、血というゴム段やリリアンなどとは比べられぬほど固い繋がりの集団をつくる。しかも男がオナン以来、女の腹やティッシュペーパー、安いグラビア雑誌に精液をこぼすことがその役割であるかのように、流浪する性を焦燥にかられつつ生きる、もしくは便所の落書きとさして変わらぬ男根主義に罹患してしまっているのをよそ目に、彼女らは血を与え、肉を与え、産み落とした後は乳を与え、子を育てる全てを担う。そうした過程を経て子たちはつねに母を見るよう育つ。子供らにとって父親が近所のおっさんであろうが、酒屋の配達だろうが変わりはない。比較的よく見かけるヤツ程度なのに対して母と子の間は特別なものだ。父親はいつも蚊帳の外である。そんな中でも、特に娘たちは男親、男兄弟には内緒で母によって女として母としての英才教育を受ける。その教育はこう教えるのだろう。「子供らを見よ、そして思い出せこの子らを産んだ日を」と。他に何を信じろというのか。きっと彼女らもそんな金科玉条をその胸に抱えているはず。そして女同士は常に敵同士。いつだってその関係は見せかけ。本当に親友になりうるのは母親くらいだ。

 と成子は考えていた。ゴム段やリリアンの繋がりがどれほど固いのか。おそらくゴムひもやリリアンそのものよりも切れ易いものだろう。ちょうど父親への無条件の信頼のようにあと一年二年の時を経れば、まるでそれが最初からなかったものみたいに消え去っているのではないか。だとすれば、両派閥のトップ二人を叩くだけで事足りる。やり方はもちろん楠木流である。

 ゴム段派閥のトップ後藤まみは、その発育の著しい身体の奥に、同様に成長した不安を抱えていた。もちろん母親には自分が人よりほんのちょっとだけ成長が早いだけで、女の子なら誰もが通る道だと何度も諭されているのだが、この年代特有の不安というものは言葉で拭い去ることの出来ない類いであり、概ね時の経過のみが解決してくれる。そしてちょうどこの時の後藤まみは永遠とも思えるほど長い不安の満ち潮に、やがて必ずおとずれる引き潮の瞬間を知らぬまま、その両足を潮に濡らしている真っただ中であった。

 めざとい成子は後藤まみの不安を察知していた。時折、彼女がゴム段に顔を出さずに帰る日や体育を休む日、図書室の大人びた本が並ぶ棚をうろうろしていること盗み見、別冊マーガレット(通称別マ)で仕入れた知識と照らし合わせた結果、成子は後藤まみがいわゆるお赤飯問題に悩まされていることを類推するにいたった。そしてそれは間違いではなかった。

 成子は後藤まみの不安を思いやった。たった一人で第二次成長という大海原に放り出された不安。苦痛。孤独。不信。数々のネガティブな感情が際限なく湧いてくる。いままでと同じように同級生と笑い合えるのだろうか。その笑顔がシニカルなものになっていないだろうか。もし自分にもその時が来たら?そしてそれは必ず来る。

 などと母が用意しておいてくれたおやつの蒸しパンを牛乳にダンクする間までのほんのわずかな時間だけ考えてみたが、蒸しパンを口の中に放り込んだ途端、そんなこと忘れて、見つけた後藤まみの弱みをどうしてやろうかと考え、いやらしい笑いが漏れるばかりだった。とびきりの汚い笑顔。

 そんな成子を余所にして、傷の癒えた百舌鳥はふっと飛び上がり、昼寝するタマの頭に降り立った。平和な、見た目ばかりは平和な昼下がりであった。

 まず成子はクラス内部に噂を流した。後藤まみの秘密についてである。

 ある情報を広めようとすれば、それを欲望し消費する場所へ流してやることが重要である。成子はクラス内の「せいじか」達に接触した。

「せいじか」とは「性字家」とでも書くのだろうか。主に辞書の中の卑猥な単語を蝟集し、他の男子生徒たちに披露する男子生徒のことである。中には言葉のみに耽溺し、早くから週刊誌の官能小説や谷崎などに傾倒するものあったが、大抵は市井の「性字」を蝟集しようとスポーツ紙の風俗広告やアダルトビデオ紹介を盗み見、むしろ文字よりも原色の女たちが見せる黄金比によって、いましがた覚えたばかりのオットセイという言葉の語源が、まさしくオットセイたる姿に変化したことを知り、自分が「性字家」と称するのもそう長くはないと思う者ばかりである。彼らはほんの少し好奇心が強く、ほんの少し健全さが足りないだけで、自分たちの未成熟な肉体が将来欲望するであろうものに対して、いまにも暴発するようなある種の飢餓感を抱え、そのことに我ながら驚きと戸惑いを持って接しているのである。

 そんな彼らの中に成子は餌を投げ入れたのだ。何も知らぬ子供とは言いがたい彼らは、後藤まみの抱えるナイーブな問題に対して、一人最低でも三つから四つの言葉や隠喩を駆使してそれを表現した。それらは体中に血液を巡らすように男子生徒全てに伝わり、後藤まみを表現する言葉として流通した。

 彼らは二重三重と難解な隠喩の衣をまとった言葉を後藤まみ本人の前で聞こえるように使用した。それはまるで秘密裏に行われる諜報活動のように少年たちにとって心地好い遊びであった。当然の如くその遊びは過剰な方向へと向かい、隠喩の衣は一枚一枚剥がされてゆく。やがてその言葉のストリップショーに痺れを切らした一人の少年が思わず舞台に躍り出てしまう。

「ケチャマン!」

 かくて諜報活動はあからさまなギャングバングへと変わり、追い打ちをかけるように後藤まみの椅子に多数の縮毛が付着するという事件が起こり、とうとう彼女は舞台から降りた。誰も椅子に付着していた毛が成子の天パだとは想像しなかった。

 そうしてゴム段派閥はただゴム段をして遊ぶだけの穏健な派閥へと戻り、成子に対する敵対関係は解消された。

 後藤まみの退場を周到に演出した成子は、当然のように白石ひよりへと狙いを定める。

 しかし、白石ひよりの方もゴム段派閥の瓦解を見て、その内実は判らないにしても、成子が後ろで糸を引いていることは容易に推測できた。もちろん警戒もしていた。

 成子も白石ひよりのつけいる隙のなさに苛立ちを感じていた。明るく社交性もあり、外見も成子がうらやむほどの黒髪サラサラへヤー、なにより家庭が裕福である。ちょっと油断すれば先祖代々伝わる成子の百姓根性が反応して、気がつけば地べたに額をつけてひれ伏していた、などということが起こりかねないほど、自分と彼女との差をひしひしと感じていた。かろうじて、おじいはん直伝の大楠公の薫陶が成子を支えているだけだった。

 しかし、そこが突破口となり再び楠木流の兵法が炸裂する。成子は自分が白石ひよりに対して感じるコンプレックスがその他の女生徒たちすべてと共有しているものだと考えた。白石ひよりが裕福で、明るく、サラサラヘヤーであればあるほど、彼女は飛び抜けた存在であると同時に孤立した存在になり得る。いま彼女は女生徒たちがうらやむ存在であるが、もしそこにコペルニクス的転回が起これば?飛び抜けた存在を嫌う日本人の素晴らしき気質に火をつけることができれば?彼女はたしかに圧倒的勝利者である。しかし、この小さな勝利者は、たった一人で勝利の頂に立つのにも、自分が持つ権利をなんら気おくれせずに行使するのにも、幼すぎた。生まれながらの帝王などいはしないのだ。

 

 成子はこの転回を起こすには、ベクトルを変えるのでなく、ベクトルを過剰にすることが得策だと考えた。つくづく恐ろしい子である。

 ある日を境にして、成子はなにかにつけて、身の回りの女生徒たちに白石ひよりを讃えるような発言を繰り返した。性格、服装、髪型、授業での受け答え、食事の作法や、果てはトイレで音を消す所作など。思いつく限りの項目を、思いつく限りの言葉で褒め讃えた。

 成子の意見に懐疑的な者は反駁できないようになるまで、白石ひよりの美点を並べ、説得した。

 成子のロビー活動が功を奏して、クラスの同級生たちは徐々に白石ひよりと距離を置き始めた。彼女らはなにかにつけて「白石さんと私たちじゃ較べものにならないから」「私たちは白石さんじゃないから」などと自分を卑下するような発言を繰り返すようになった。それはもちろん白石のリリアン派にも波及し、白石ひよりは次第次第に孤立するようになった。

 子どもというのは知っての通り残酷な生き物で、なにか快楽の種が見つかれば善悪は度外視して、その種を芽生えさせ、大きな花にまで育て上げる。少女らは自分たちが白石ひよりを敬遠すればするほど彼女が孤立してゆく現状に甘く心地好い快楽の種を見つけた。何一つ後ろめたいことはしていないのに、白石ひよりはあきらかに消耗してゆく。絶対的な存在が苦しみ喘いでいるのだ。彼女らの栽培は加速する。

「白石さんは私たちと違うから給食なんて食べない」

「白石さんは優しいからウサギとニワトリとカメとメダカの飼育委員が相応しいと思う」

「白石さんはしっかりしているから毎日日直でもいいと思う」

「白石さんはお金持ちだから私たちのリリアン買って当たり前だと思う」

 などなど。その他たくさん。

 

 結果として白石ひよりの人生は、この時のズレと取り戻すのに二十年近くの歳月をかけることになる。

 彼女はこの翌年には素行不良の生徒として担任教師の日誌の備考欄にチェックされる存在になった。小学生時代のほとんどを費やして準備していた私立中学の受験にも落ちてしまう。試験会場に行かなかったのだから合格するはずがなかった。

 試験当日、彼女はその後何度も繰り返すことになる突発的な家出の最初の一回を敢行中で、二週間近く自分のパンツを売ることで金を工面して生活していた。

 その経験を生かして、地元の中学校に進学した彼女は女生徒たちのパンツの闇の仲買人として中学生にして財を成し、中学一年の二学期が終わるころには不良マンガに描かれているような悪徳は一通り経験し終わっていた。飲酒。喫煙。髪の脱色。不純異性交遊。シンナー。見聞きしたことのあるものは全部。

 ちなみに当時、彼女に最も新規顧客の女生徒を紹介していたのは成子であった。二人はいまでも仲が良い。

 紆余曲折あったが白石ひよりは、いまでは女性用下着のブランドオーナーとなり、私生活でも大手広告代理店の社員と結婚し、二児の母となっている。最近では子供用商品としてリリアン編みでつくったフリルを飾れる下着を売り出し、中々の人気を得ている。

 この発想を思いついたのは祖父の遺品整理中に、かつて自分が祖父にプレゼントしたリリアンの曼荼羅を見つけた時だった。人間、子どもの頃はなにかに打ち込んでおくべきだという良い例。

 いまでも彼女の家にはその曼荼羅が飾られている。

 ドロップアウトしていく人間は、その分岐点を小学校から中学校の多感な時期に抱えている。それはほんの些細なことで、友達が出来なかったとかいじめられたとかそんなつまらない理由である。成子が大楠公ゆずりの権謀術数で乗り越えた小学生時代の危機もひょっとすると成子の人生を左右する分岐点だったのかもしれない。

 幸いにして彼女は危機を乗り越え、パンツの仲買には手を染めたが、表向き優等生として学生時代を過ごすことができた。しかしその経験は成子の大楠公への歪んだ崇拝を助長することになった。彼女は持ち前の機転の良さを、相手を出し抜くことにしか使わないようになってしまった。相手の不幸はもちろん顧みなかった。

 彼女とかかわった人間はみんな不幸になった。

 それは手塚君であっても例外ではなかった。

 手塚君にしてみればハナから腑に落ちないことだらけで始まったこの恋愛が、順調に育まれていく道理はまったくなかった。次第に成子に対して懐疑的になってゆくのは当然だったし、少年の世界特有の掟というものもある。彼らの世界では女と付き合うのはへなちょこのやることである。ただでさえぴたぴたの半ズボンで白くほっそりとした太ももを晒し、女生徒だけでなく、秘かに男子生徒さえも惑乱するほどの悪魔的な魅力を発揮していた手塚君に、芽生えたばかりの性への興味を屈折した形で発散するため、そしてそれがホモセクシャル的な行為であると自覚しつつも、ガキ大将たちはその持て余した感情を横道へ逸らすように手塚君への当たりを激しくした。

「おまえ、あんなモジャ子と付き合ってんかよ。だからそんなやわい太ももしてんねん」などと因縁をつけて、ガキ大将は手塚君の太ももをつねり上げる。

「やめてよう。それとこれは関係ないよう」

「関係なくない。こんなにやわい太ももしてんのは軟弱な証拠や。女と付き合うような軟弱者の証拠や。ほらお前らもこのへなちょこ野郎の太ももつねってたれ」

 という具合に毎度毎度、手塚君は悪ガキどもの隠蔽された性的欲求の慰み者にされた挙げ句、とうとう彼らに成子と別れることを約束してしまう。

 しかし、手塚君も成子がただで引き下がるとは思っていなかった。どんな可能性のことでも起こりうるとすら考えていた。

 自室の勉強机の引出しをそっと引くと、そこには手塚君の人生の分岐点があった。いや、それよりも前からすでにもう決まっていたのかもしれない。彼が、成子とかかわった人間がみんな不幸になるという事実の犠牲者になることが決まっていたかもしれない。

 そこにはあの二人を結びつけたブルマがあった。

 手塚君はおののいた。まだ十年ほどしか生きていない少年が本能的に事態を察知したのだ。自分の運命を。その死地を。華奢な身体が自然と震えた。自慢の太ももも瞬間ぷるんと震えたかもしれない。女子生徒の羨望を集めた深奥はキュッと引き締まったかもしれない。

 彼はブルマを握りしめた。その感触はちょうど図書室で借りた学習漫画『ヘレン・ケラー〜奇跡の人〜』の一場面を強く想起させた。安手の化繊の感触は世界の理を教えてくれた。世界のすべてがそこにあった。

 waterとは叫ばなかったが階下の母親を心配させる程度の奇声は発した。

 意外にも成子は易々と引き下がった。彼女も年相応の少女らしく失恋に言葉を失ってしまったのか。彼女の美しき未来予想図に美しく咲き誇る花々は儚く散ってしまったのか。

 そんなことはなかった。そんな生やさしいものではなかった。彼女の心は禿鷹が食い散らかした肉片がそこら中に転がる一片の救いもない荒野と化していた。

 手塚憎しの感情でぱんぱんに膨らんだ腫瘍を天パの奥に抱えて、いつその時限装置が破裂してもおかしくなかった。

 だが、成子は耐えていた。どんな女の子も自分の初恋くらいは美しいものとして残しておきたいものだろう。成子も例外ではなかった。時折うわ言のように「手塚…殺す」「ちょん切ってやる」「つねり殺す」「つねつねつねつねつねつね」などと呟くことはあったが、概ね成子が意識して呟いた言葉ではなく、ちょっとした癖のようなものでしかなかった。

 人間、おかしなことを呟き始めるのは失恋が元であることが大抵だ。軽度なら特に害はない。

 そして少しずつ級友から成子と手塚君の交際が、記憶の奥に薄れていった頃、成子以外の、手塚君を含む皆がそれを忘れた頃、取り残された不発弾が炸裂した。

 信管をぶったたいたのは手塚君だった。

 その日、成子は漢字の書き取りをしていた。授業で行われていたのだ。成子は黙々と漢字ドリルの穴を埋めていたが誤って書き損じてしまう。その一字は偶然にも『塚』であった。偶然にも。

 成子は気を取り直して、書き損じた字に消しゴムをかけた。その時点まで成子は自分が書き損じた字が『塚』であることすら認識していなかった。

 とはいえ、それに気づいたところで成子には安手の心理主義的な発想を受け付けるほどのロマンチックさはなかった。これも大楠公の恩恵だろうか。成子はどこまでも現実主義で通していた。『塚』の一字が成子に及ぼした影響は微々たるものだった。

 それよりも今日に限ってHBの鉛筆をきらしていたせいで、ドリルには2Bの鉛筆を使っていた。そのことが成子に悪い影響を及ぼしていた。

 成子は2Bの鉛筆が嫌いだった。鉛の濃度が高いせいでよく手が汚れるからだ。その次に消しゴムで消しづらいからだ。

 案の定、書き損じた『塚』はいくら消しゴムをかけても紙の上で鉛がひきずられて、いっこうにきれいにならない。わずかに残った『塚』の痕跡は、充分に読めるほどに残っている。

 成子は、今度はゆっくりと丁寧に消しゴムをかける。時間をかけ、ゆっくりと。

 だが消えない。ただ鉛が伸びただけで『塚』の字も読める。成子は意地になって力一杯消しゴムをかける。机はガタガタ音をたてるし、頭の天パはゆっさゆっさと揺れる。

 からん、と机に何かが落ちた。

 それはおはじきだった。なにかの拍子に成子の机に飛んできたのだろうか。そんなわけない。いくらなんでもおはじきで遊ぶような子どもは同級生にはいなかった。さすがに子どもの遊びとしては古びていた。そもそも授業中だ。

 だが成子はそのおはじきに見覚えがあった。母の小物入れに入っているのを見たことがあった。

 どういうことか。

 成子の家にあったものがなぜ学校の、教室の、成子の机に落ちてくるのか。成子にはおおよその見当がついていた。

 

 成子の飼い猫のタマが拾って来た百舌鳥の幼鳥は、タマの甲斐甲斐しい看病とかつて文鳥を飼っていたというおじいはんの経験が生きて、いまではすっかりと元気になっていた。

 野性の百舌鳥とは違い、人に慣れたこの百舌鳥は一風変わった早贄をやるようになった。

 早贄というのは百舌鳥が捕まえた獲物を木の枝などに串刺しにして、とっておくことで、なんのために行われているのかはよく判っていない。串刺しにした獲物をそのまま忘れてしまうことが多いからだ。だからといって百舌鳥をバカな鳥だといえない。人間もなんのためにやっているのかわからない習性は多い。

 南方家の百舌鳥は、例えば物干竿にかけられた洗濯物に捕まえたバッタをひっかけたり、室内灯の笠の上にカマボコをひっかけたりと、雛の頃にタマに拾われてきて以来、野性との接触がなかったせいか、残された野性の本能で行うその早贄も南方家の中で完結してしまう不完全なものだった。

 百舌鳥が獲物をひっかける場所として特にお気に入りだったのが、成子の天パの中だった。一体いつの間に行われているのか。成子は自分の鈍さをその度に呪ったのだが、成子の頭からカマボコなり、バッタなりが落ちてくることはしばしばあった。

 

 成子は百舌鳥の早贄がおはじき一つで終わりなのかどうかを考えていた。消しゴムをかけるのをやめ、頭を動かさないようにじっとそのことを考えていた。だが長い時間そうしている必要はなかった。ほどなくして成子が無くしたと思っていたプリンセスジェニーの頭が机に落ちてきたからだ。このポリ塩化ビニル製の頭部は机の上を転がり、あわてて取り押さえようとした成子の手を逃れ、そのまま机の下に落下していった。落ちてゆく刹那、成子はプリンセスジェニーと一瞬目が合った気がした。そんな気がした。

 床を転がるプリンセスジェニーは物理法則のきまぐれが作用して、あろうことか成子の方を向いて、ちょうど晒し首のように直立した。そして再び目が合った。

 成子は後ろの方からくすくす笑いが聞こえることに気づいた。そのくすくす笑いは次第に拡大していった。恥辱に塗れながら成子は何事も無かったかのように身体を起こした。と同時にバッタと蝉の抜け殻が床に落ちた。

「南方拾いや」とクラスの誰かが心ない一言を浴びせる。それをきっかけにクラス中がどっと笑う。無視して中空を凝視する成子の視界の端に手塚君の笑っている姿が入ってくる。しかも「爆」って感じで。プリンセスジェニーは笑わないまま成子を見つめる。

「ブルマ泥棒の分際で」と成子は呟いた。おそらく誰にも聞こえなかっただろう。

 

 はらわたの煮えくり返る思いを家に持ち帰った成子は、それでも手塚君を許すべきだとその時点では考えていた。笑っていたのは他の同級生も同じだったし、手塚君を特別視するのも、なんとなく敗北の味がした。

 そんなことを考えながら歩いていた成子は、ふと足の裏に違和感を感じて縁側を見渡す。そこには鳥の毛が飛び散った、鳥と何者かの格闘のあとが残っていた。成子はその先に足を進めてゆく。羽は向こうにのびているのだ。

 そこは午後四時頃の太陽がやさしい日向をつくっている場所だった。成子が帰る頃にはいつもタマがそこで日を浴びていた。今日も相変わらずの場所でタマは丸くなっていた。いつもと違うのは、タマが拾って来た百舌鳥もその隣で丸くなっていることだった。生きているとは思えなかった。以前、タマが鼠を狩って来たときもそうやって自分の隣に置いていた。散り散りの羽が風に吹かれた。

「おまえ、なにがやりたいねん」

 成子は世の殺伐とした成り立ちを呪った。タマがわざわざ救った百舌鳥を自分で殺したからだ。所詮はただの畜生。自分の本能に逆らえず、手頃な獲物をなぶり殺したいという欲望のままに生きているのだ。やはり大楠公の薫陶など畜生にはわかるわけもないのだ。

 成子は、心の荒野に今度はクラスター爆撃をかまされた。そんな気になった。

 しかし、おじいはんの意見は違った。

「百舌鳥やられてしもたか」

「おじいはん。タマが、タマがやってん。自分で拾って来たくせに。自分で殺しよってん」

「仕方ない。この百舌鳥、人に慣れ過ぎとったからな。しょっちゅうタマの頭にも乗って遊んどったやろ」

 おじいはんは百舌鳥の死体をごつごつした自分の手のひらにのせると成子に差し出す。

「猫は猫。百舌鳥は百舌鳥。お互いの矜持を忘れたらあかん。タマは猫の矜持を忘れとらんかった。百舌鳥は百舌鳥の矜持を忘れた。だからタマは噛み殺したんや。どうせ野性には戻ったら、遅かれ早かれ殺されてたやろ」

 おそるべし大楠公イズム。一介の猫にそのような行動をとらせるとは。成子は畏怖すると共になにかを閃いた。そして胸が熱くなった。ユリイカ!ユリイカ!と叫びながら裸で走り出したかった。私も気高く生きよう。そう思った。

 そうと決まれば善は急げ。である。ブルマ泥棒たる矜持を忘れた手塚君にいま一度それを思い出させてやらねばなるまい。そしてブルマ泥棒らしくお縄についてもらおう。大丈夫、キミはまだ若い。きっとまともな性癖の人間に戻れるさ。

 そんなことを考えながら、成子は職員室のパーテーションの影から担任の教師に切々たる説教を聞かされている手塚君をまるで母親のような心持ちで見守っていた。

 勝手な話である。

 こうして成子の初恋は終わった。はたして初恋と言い得るものであるかは別として、終わった。成子は一切の反省なく以後も楠木流恋愛術を駆使し、数々の男を射止めていった。そして捨てた。

 中学生の頃好きだった笹原君はちょっとうぶなところがあるサッカー部員だった。

 笹原君は成子に偽の情報を掴まされ、好きだった女子生徒の下駄箱にラブレターを入れたが、成子はそのラブレターを自分の下駄箱に移し替えた。笹原君が待ち合わせの場所にやって来た時、その場にいたのは成子とその友人の女子生徒たちであった。笹原君は期待に膨れ上がった女子生徒たちのプレッシャーと期待を裏切った時に考えられる社会的失墜に負けて、成子と付き合った。

 

 高校生の頃好きだった犬伏君は、バスケ部のレギュラーで高身長、女子人気は高かったが、彼女をまだつくったことがなかった。

 ある日の美術の授業で、犬伏君は成子と向かい合ってお互いの写生をしていた。授業中終始、成子は両足をシャロン・ストーンばりに組み替えた。何度も何度も。セブンティーン。性的欲求と性的好奇心が互いに競うように上昇のベクトルを描くセブンティーン。男ならばこの頃に性的偉業や功績を勝ち取ろうとせぬ者はいないだろう。誰もが生まれる以前の一億分の一のフラッグアタックを勝ち抜いた突撃兵の頃を細胞の一つ一つから思い出し、また再び、今度は自分の分身を、あの頂の上に旗を打ち立てんと解き放とうするのだ。後先を考えることはない。成子のそれほど魅力的とはいえない両足の扇風機に生ぬるい催春的な風を送られ続け、犬伏君は負けた。セブンティーンに。

 

 大学生の頃好きだった麹谷君は、サークルを主宰し、在学中に起業するほどのアクティブな青年だった。面倒見も良く、誰からも好かれるグループの中心的人物だった。ただ少々面倒見が良過ぎた。呼ばれてもいないのにサークルの呑み会に参加した成子は、何杯もウィスキーをロックであおり、急性アルコール中毒でぶっ倒れた。サークルの責任者である麹谷君は成子を病院まで連れて行った。病院で点滴を受けた成子は劇的に回復した。嘘である。成子はもとより急性アルコール中毒などではなかった。

 実は成子はウィスキーと称してウーロン茶を飲んでいたのだ。これは成子が子どもの頃応援していたプロ野球チームの近鉄バファローズの監督仰木彬が選手たちとの決起集会でよく行ったとされる酒の飲み方である。彼はウーロン茶をウィスキーと称して一気に飲み干し、自身の剛胆ぶりを選手たちに示し、もっと飲めとうながしたらしい。成子はこの話を生粋の近鉄ファンだったおじいはんから聞いていた。使えると考えた。

 面倒見がよく責任感の強い麹谷君はそれからもなにかと成子を気づかった。成子はアルコール性せん妄や依存症を装い、グリーンピルグリム星人の襲来を恐れたり、スターバックスのグランデにウィスキーとコーヒーを半々にしたものを持ち歩いたりと、手を替え品を替え、麹谷君の気を引き続けた。成子の長期にわたる仮病に付き合った彼は情に負けた。

 ほかにも何人かの被害者はいたが、どの恋人とも長続きしなかった。理想が高いとか、性格に問題があるとか、とんでもない性癖があるとか、そんなことではなかった。単純に根気が無かった。彼女の興味は楠木流を駆使して男を籠絡することだった。厄介なのは彼女自身がそのことに気づいていなかった。いままでの恋愛はすべて本当の恋愛感情を備えていたと考えていた。むしろ他の誰よりも愛を信じていたかもしれない。

 増々、厄介。

 そんなボタンの掛け違いを残したまま月日は流れていった。その流れはまるでアジアンビューティーの艶やかな黒髪のように滑らかだったが、それは偽りの滑らかさだった。多くの不幸な結果の積み重ねの上に流れていた。

 成子も社会に出て、自分の金で存分にストパーをかけられる身分になり、念願のアジアンビューティーを手に入れたが、それもやはり偽りなのだ。

 そのことに気づくのはある運命的な出会いを待たねばならなかった。

                             〈続く〉



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