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仏像好き注目!東大寺末寺「禅定寺」西国33番外札所【京都南山城シリーズ】

藤原兼家(藤原道長の父。関白・太政大臣)の帰依を受け、東大寺の別当を務めた僧・平崇によって10世紀末に創建されました。当時は東大寺の末寺の華厳宗寺院でしたが、後に宇治の平等院の末寺となり、江戸時代には曹洞宗の禅寺となっています。

仏像好き宇治田原町No.1有名どころは「西国三十三 番外札所」で、南山城を代表する「十一面観音立像@重文」をはじめ、藤原時代の10体の仏像が安置されている。

変更履歴

  • 2022/07/15 『南山城展』に行ったので感想など追加(「2023/07/15更新」でページ検索)


▼HP

▼アクセス

京都府綴喜郡宇治田原町立川禅定寺庄地100

▼祭神&本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 宇治田原町大字禅定寺小字庄地100。宇治田原町No.1有名どころ「西国三十三 番外札所」で、南山城を代表する「十一面観音立像@重文」をはじめ、藤原時代の10体の仏像が安置されている。

  境内に入った瞬間、兵庫の丹波篠山市か丹波市にある「達身寺」を思い出す。京都府総合資料館に寄贈した「禅定寺文書@重文」はここの寺のもの。

 この寺は991年に東大寺別当であった平崇上人によって開基され、その後に平等院末寺となり、藤原氏の庇護によって広大な寺領を有した寺。中世以降は衰退して荒廃したが、1680年に加賀国大乗寺の月舟宗胡が、禅師に深く帰依していた加賀藩の家老・本多安房守政長の経済的援助を得て、諸堂を建立し、境内の再整備を行い復興した。

 収蔵庫には像高286.3cm「十一面観音立像@重文」をはじめとした平安時代の仏像がてんこ盛り。

 金のあるとこ良い仏像あり!?本尊は南山城を代表する「十一面観音立像@重文」で、大仏師・定朝作の「宇治平等院鳳凰堂・阿弥陀如来坐像」よりも60年ほど古いものである。作成者は定朝の師匠である(ひょっとしたら父親かもしれない)「康尚」作という可能性もあるそうな。

↓仏像の写真をどうぞ!


 脇侍に日光・月光菩薩立像@重文を安置されているが、本来は違う寺で薬師如来を本尊とした脇侍だったようで、廃寺でここに客仏として来たのだろう。
 周りにはその他として「文殊菩薩騎獅像@重文」、「四天王@重文」、「延命地蔵菩薩半跏像@重文」、「大威徳明王像」と藤原時代の仏像ばかり。
 一番面白いのは、大威徳明王。大威徳は牛に乗っているのが様式なのだが、象に乗っているのが面白い。象に乗るのは普賢菩薩で、本来は釈迦如来座像の脇侍に文殊と普賢が安置されたと思われる。
 普賢は紛失し、大威徳の牛が紛失し、乗せてみたらハマったんでしょうね~と思った。
 最後に、宝物館に2014年に行われた「南山城の古寺巡礼」の看板があり、ここの十一面観音が前面に出ていて、そこで見仏したことを思い出した!!

2023年 南山城展(2023/07/15更新
→十一面観音立像@重文
 隠れた名刹!いや仏像寺で、場所柄から良い仏像が残った!と言っても良いだろう。そんな寺の代表する仏像は「十一面観音立像@重文」ですね。これ、国宝になるのではと思っている。あとは仏師が判明すれば確実になる気がするのだが。。
 いや~2023年時点で、十一面観音の国宝は7体あるのだが、ここの十一面負けていないですよね。京田辺市の十一面観音立像@国宝にも似ているんですよね。細かいところを言えばバランスなど気になるところがあるのだが、顔、衣文が好きですね。
 あと、今回の南山城展で思ったおは頭の上の化仏ですが、丁寧に造っているのがすごくわかる。もしかして、興福寺、東大寺近辺から流れたものではないかと思ってきた。
なぜならこの寺は「991年に東大寺別当であった平崇上人によって開基され、その後に平等院末寺となり、藤原氏の庇護によって広大な寺領を有した寺」だからである。
→文殊菩薩騎士像@重文
 獅子は後付けのようだが、獅子に乗る文殊菩薩の古例として重要なものなんだそうな。前述の十一面もそうだが、ヒノキとサクラの木で造られているのが珍しいよう。

私のNOTE「2023年 南山城展」より
https://note.com/yanma_travel/n/nb64d84d5f412


 収蔵庫を後にし境内に戻り、見仏終了を住職に伝える。境内の端を見に行くとお堂「観音堂(円通閣)」があったので入ってみた。扁額の下に「十二神将、薬師瑠璃光佛、七千夜叉(十二神将の従者)」とある。

どうも坊主が修行するところのようなのだが、本尊左には左遷された薬師如来坐像発見。真面目にいうと近くから祈るように、下目に顔を傾けているだけなのだが、左遷された人の哀愁を感じる。

 右には地蔵菩薩坐像が安置されているのだが、なんか目が・・・ヘン・・・。錫杖の持ち方と傾け方も面白い(笑)

 観音堂のお隣には、十八善神を祀る「十八善神堂」があり、神仏習合となっている。最後に、本堂裏にはコンクリートの壁があり、そこには涅槃図があった。

---↓2023/07/15更新

最後に箇条書きで纏めます

  • 醍醐寺や金勝寺と同じく山岳修験の地

  • 991年、造営開始

  • 995年、完成

  • この地域は東大寺別当の場所で、光明山寺(廃寺)などもあった

  • 当時、本尊は十一面観音立像で脇侍に文殊菩薩と虚空蔵菩薩という超レアな組み合わせだったようだ

  • 現在の脇侍は日光・月光菩薩だが、当時の記された大きさと同じであること、空海関係の書より、文殊菩薩と虚空蔵菩薩ではないかとも指摘されているようだ

  • 宝物館に安置されている文殊菩薩騎獅像、四天王も本尊と同じ時代に制作されたとする

  • 象に乗った大威徳明王が安置されていることから、普賢菩薩騎象像があり、釈迦座三尊像がいた可能性がある


---↑2023/07/15更新

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