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石川姓を蘇我姓に改めた蘇我一族「宗我坐宗我都比古神社」蘇我氏の祖!【橿原シリーズ】

祭神は曾我都比古神と曾我都比売神の2柱で蘇我氏の氏神。武内宿禰の第三子・石川麻呂が蘇我氏の祖になるため武内宿禰と石川麻呂が祭神とも言われている。蘇我氏は権力・権威を乗っ取ろうとしたと日本書紀は記すので悪役になっているが、そうではないとも言われている。

日本書紀より
645年に中大兄皇子は蘇我入鹿を暗殺するときに「蘇我入鹿は上宮王家を滅ぼし、乗っ取ろうとしている!」と叫んだ。
乙巳の変は中臣鎌足も中心人物で、中臣鎌足の息子が藤原不比等で、記紀の編纂に入っており、時の権力者であるので脚色はあったかと思う。

変更履歴
2022/08/02 初版

▼HP なし

▼アクセス

 奈良県橿原市曽我町字鳥居脇1196

▼祭神

曾我都比古神(ソガツヒコ)
曾我都比売神(ソガツヒメ)

▼見どころ

 創建は推古天皇の時代で、蘇我馬子が創建したと『五群神社記』に記されている。当初はタケノウチノスクネと石川宿禰を祀っていたとしている。神社の由緒では持統天皇の時代としている。
 蘇我氏の祖・武内宿禰の子である石川宿禰が河内から移り住んだ時、石川姓を蘇我姓に改め、以後一族の姓としたと伝えられているそうな。そして、この周辺には蘇我一族の館があったと伝えられている。

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 推古天皇の御代に蘇我馬子が社殿を造り、石川宿禰(いしかわのすくね)夫妻を祀ったのがその起源とされている。地元では「曽我さん」と呼ばれている。

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  祭神は「曾我都比古神(そがつひこのかみ)」と「曾我都比売神(そがつひめのかみ)」の2神で蘇我氏の氏神。武内宿禰の第三子「石川麻呂」が蘇我氏の祖になるため「武内宿禰」と「石川麻呂」が祭神とも言われている。

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 本殿右に八大夫稲荷神社。左側に戎神社、右側には八坂神社がある。コトシロヌシとスサノオということか。

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 「宗我都比古」とあるが、本来は具体的な人物を祀っていたとも考えられている。『五郡神社記』には「武内宿禰」「石川宿禰」だったと記されているようだ。蘇我入鹿は入鹿神社にいるのでそれ以外かと。結局、歴史の敗者になり、隠したのかもしれない。

 そして、少し前までは奈良・蘇我氏の地域の人は藤原鎌足を祀る多武峰(藤原氏の談山神社)は大嫌いだったそうな。
 戦時中は厳しい扱いを受けたが、戦争が終わると人々により復興した歴史がある。


▼旅行記

▼セットで行くところ

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