実は過去最大級にバタバタしててハードだった6月

どうも、スムージー生活を始めて腸の調子がすこぶる良いやのしんです。

7月になりましたね。夏ですね。もうちょいで梅雨も明けますね。

ほんと、あっという間。

いやぁ、5月末から6月にかけてね、まぁバタバタとしていたんですよ。

というのも、5月末に父が急逝しまして。

ニュースになったのでご存知の方もいるかもしれませんが、5月末に千葉の銚子沖で貨物船同士が衝突した事故があったんです。

片方の船が沈没したんですけど、父はその船の乗組員だったんです。

逃げ遅れて、帰らぬ人となってしまいました。

午前2時に事故が起きて、6時に母の元に「現在行方不明」との連絡が入り、午後に僕と母で銚子に行き、しばし待ち、午後9時に「遺体があがった」という連絡を受け、面会しました。

「事故発生時、父は船外にいたらしい」という情報から、船内で逃げ遅れた可能性は低いのではないか、海に放り出されている可能性の方が高いのではないか、と淡い期待を抱いていましたが、現実はそうではありませんでした。

船内に救命胴衣を取りに戻っている時に船が急速に沈没してしまい、巻き込まれてしまったということでした。

淡い期待が打ち砕かれたときの虚無感は、言葉では言い表せないほどのものでした。

事故の過失割合とか、運がどうのこうのとかそういうのはどうでもよくって、面会したその時、ただ淡々と、でも確実に、大切な人の「死」がそこにあったことに、胸が締め付けられました。

しかしそういった感情に浸っている暇もなく、翌日には遺体を実家まで移動させ、葬儀屋さんと葬儀の段取りを打ち合わせて、同時に弔問の対応もして、通夜、葬式と休む間もなく動き回りました。

その間、事あるごとに僕は泣いてしまいました。

微笑んでいるようにも見える遺体の顔を見たときや、遺体の顔を見て泣いて下さる弔問の方々を見たときや、ふっと「もっとこういうことをしてあげたかったのに」という無念の情が湧き上がってきたときや、父と一緒にくだらない話をして笑い合ったことを思い出したときに。

なるべく人目につかないところで泣くようにしていましたが、葬式のときの出棺の前、最後に皆で花を添えている時はどうにも止められませんでした。

それでも、葬儀をひととおりやりきって、気持ちよく父を送り出せたことで、僕の気持ちはだいぶ整理がつきました。

とはいえやらなければならないことは山積していました。

絶え間なく来る弔問に、もろもろの父の契約の名義変更や解約、仏壇の購入、四十九日や初盆に向けての準備など。

会社に無理を言って2週間の休みをいただき、やるべきことをやっていきました。

一番辛い思いをこらえて動いているのは母なので、母にマッサージをしてあげたり、家事を手伝ったり、話をしたりして、できるだけのケアをしながら。

母は最初のうちは体調の変化として汗がやたら出るようになっていましたが、それも次第に落ち着いてきて。

2週間で手続き的なことはだいたい目途が立って、僕は神奈川に戻り、仕事をする生活に戻りました。

週末は静岡に帰るようにして、特に何をするでもなく母と一緒に過ごしました。

仕事の方は、2週間ためこんでしまった分のしわ寄せが当然のようにやって来て、プレッシャーに耐えながらやるべきことをやっていきました。

6月中に成果を出さなければならない案件があったのですが、それもなんとかギリギリで達成することができて。

それと並行して、サウナ活動もいつも通り行いました。

6/1・6/30とサウナ好き交流会を主催して、ブログも更新して、7月に開催される初登壇のトークイベント用の資料も準備して。

そんなこんなだったので、めちゃバタバタしていたわけです。

悲しみに暮れている暇なんてなかったですね。それは逆にそれで良かったんだと思います。

また、僕がお世話になっている方から頂いた言葉が、僕を支えてくれました。

「弔いは故人の死を悲しむことではなく、生を祝福することなんだよ」という。

僕らは、父が生前に遺してくれたものに対して、感謝しなければならないのです。

そして、それを受け継いでいかなければならない。悲しみも携えて。

そうすることが一番の父の供養になるんです。きっと。

供養、というか、父が生きてきた軌跡に意味を持たせたい、と僕は思っています。

そのために僕は僕自身が幸せであり続けられるように頑張らなければいけないし、愛すると誓った人を幸せにしていかなければならない。

まだまだこれからです。

さて、今日で無事に四十九日法要も済み、忌明けとなりました。

僕の中でも一区切りつけようと思って、これを書いています。

労わってもらいたいとか、同情してもらいたいとか、そういうわけではありません。

死別というものは誰にも等しく訪れるもので、今回はたまたまインパクトのあるものだったという、それだけです。

僕は父から、強くやさしく生き抜く術を学んでいるので、大丈夫です。母も、兄も然り。

これからはもっと表舞台に出て、色んな方の目に見える活躍をしていくつもりなので、期待していてください。

ダメだったらダメだったで、「あきまへんでしたわ!ガハハッ!」と笑顔で言えるような悔いのない選択をしていきます。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

もしめちゃめちゃ満足して頂けるようなことがあれば!