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じぶんサブカルチャー史

僕はこれまでサブカルチャーにどっぷり浸ってきた人間で、今も比較的そっち寄りなんだけど、ふと「自分はいつからそっちの道に行き始めたのだろう?」ということが気になって過去を辿ってみた。

幼稚園の頃は光GENJIが大好きで、小学生の時はウッチャンナンチャンやダウンタウンの番組が大好きだったり、毎週のヒットチャートを追いかけていたり月9のドラマを観たり、確実にメインカルチャーにどっぷりだった。

中学に上がる前後くらいもhideと浜崎あゆみが大好きだったが、なぜかSOPHIAにどハマりしていた。歌も良いしカッコいいのにイマイチ売れないことに「世の中は分かっていない!」と憤慨しつつ、男のくせにボーカルの松岡充の下敷きを学校で使っていたりした。思えば「芽生え」はその時なのかもしれない。でもあくまで芽生え程度だったと思う。考えてみればあゆもブレイクちょっと前だった気がする。

確実に「大転換」と言えるきっかけは、僕が中学2年のとき、兄が友人から借りた3枚のCDを家で流したことだ。BRAHMAN『A MAN OF THE WORLD』・B-DASH『FREEDOM』・モンゴル800『GO ON AS YOU ARE』の3つ。「なんじゃこのシンプルでカッコいい音楽は!!!???」と度肝を抜かれた。

それを機にインディーズROCKシーンというものを知り、そのシーンにぐわっと傾倒していくことになる。ゼリ→、10-FEET、GOING STEADY、SHACHI、Hi-Standard、175R、THE BLUE HEARTSなどなど。友人にヤフオクでギターを安く落としてもらったこともそれを加速させた。

高校は音楽一色で、その後、大学に入学し、ある日友人から大槻ケンヂの『のほほん革命』という書籍を薦められて読んでみたところ、これも衝撃的な面白さでどんどんサブカルチャーの沼へとハマっていく。みうらじゅん、中島らも、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、天久聖一などを知る起点となったタイミングがこの時だろう。

その当時はそういったサブカル界隈の聖地といえば「新宿ロフトプラスワン」だった。毎月のスケジュールをチェックしては、気になるものに足を運ぶというのが以後数年の習慣になった。特にDJ急行とセラチェン春山のイベントによく行っていた。

また、大学2年のときに、メジャーではないお笑いシーンにもハマるきっかけがあった。サークル内でちょっとした大喜利を披露する機会があり、何気なく答えた僕の回答をお笑い好きの同期がとても高く評価してくれた。「大学の生協で売ってたらバカ売れするものは?」というお題に対する、「自分よりちょっと頭の悪い彼女」と回答だった。笑いは一切起こらなかったが、彼曰く「回答者の中で唯一答えがお笑い的だった」とのことで。

僕は当時お笑いはダウンタウンくらいしか意識して見ていなかったと記憶しているのだが、そんな彼からお笑いの単独ライブDVDの世界を熱血指導してもらった。TSUTAYAのお笑いコーナーの前で2時間ほどプレゼンされたのを覚えている。いくつかDVDを借りた中で、チョップリンというコンビの『チョップリン凸劇場』に収録された「ティッシュ」というコントを猛プッシュされて観たのだが、確かに面白く、そこからお笑いのDVDを借りて観る習慣が出来た。

特に好きになった芸人は、カルパチーノ、永野、東京ダイナマイト、バカリズムなどのセンス系の人たちで、自分もセンスあるボケが出来るようになりたいとmixiの大喜利コミュニティなどで腕を磨いていた。更には大学4年のときには「ニュースタッフエージェンシー」というお笑い事務所の作家見習いになり、更にアンダーグラウンドなライブシーンを知ることとなった。

その後は、お笑いなら「はたらくおっさん劇場」の野見さん、音楽だと磯部正文とか銀杏BOYZ、漫画だとオノナツメなどなどにハマりながら徐々にメインカルチャーも受け入れられるようになっていって、メインとかサブとかをあまり気にしなくなった現在がある。

それでも、今でも原石探しは大好きで、近年だと爪切男や広瀬大地、skillkillsなどあふれる才能の持ち主を見つけては喜びに浸っている。

とまあ、こんなところが僕の歩んできたサブカルチャーの歴史である。僕の中で最初に考えた時はインディーズの3枚のCDが最初だと思っていたから、実はその前にSOPHIAがあったというところが結構な驚きだった。

人間の記憶はあいまいなものだなと改めて感じた。こうやってジャンルごとに振り返ってみるのもたまには面白いなと。


《終》

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