見出し画像

目的のために動き、プロセスを楽しむもの

週末、うちの家族では恒例のたまがわ花火大会に行ってきた。この花火大会、昨年までは夏に開催していたのだが、昨年の落雷事故を受けて、今年は10月13日の開催となっていた。

「たまがわ花火大会」と書くと、東横線界隈からすると二子玉川の向こう側で上がる方を指し、手前側で上がる方は「川崎市制記念多摩川花火大会」というらしい。自分たちはいつも大井町線の等々力駅あたりから歩き、花火大会からはそれなりに離れた空いている場所からのんびり観る。

打ち上げ場所近辺から観る花火はもちろんすばらしいが、溢れかえる人の隙間をぬって歩いたり、場所取りを競う気にもならなくなった。息子が小さい頃でも行けた場所ってのもあるけど、生まれる前からこの辺で観ていた気がする。

だから、いつも見える花火の景色は写真くらいなものだが、それでもでかい花火はそれなりな迫力があるし、十分楽しめる。

息子がでかくなって来て行動をしやすくなって来たので、どこかで間近からの花火も体験させてやろうとは思うが、たぶんそれはたまがわのではないだろうな。

・・・

花火大会は数ある家族で行動するための「きっかけ」のひとつだ。

最寄の等々力駅までは電車は使わず、30分くらいの時間をかけて、のんびりと自転車で向かう。等々力近辺のお決まりの有料駐輪場に自転車を停め、駅前の成城石井で飲み物とつまみを買う。

駅から会場までは歩いて30分くらいかかるので、もう少し近くまで自転車で行く道もあるのだが、停められる保証もないし、買い物をするのに都合のいい場所もないので、いつも等々力からのんびり歩く。

今回は例年よりも打ち上げが一時間早く始まったのと、この前に学童の運動会みたいなのがあったのでギリギリになってしまい、歩いている途中から花火が上がり始めた。

花火を観ることは、もちろん大事な目的ではあるけど、自転車で現地に向かう過程も、何を飲むや食らうかと成城石井で物色する過程も、のんびりと会場まで歩くのも、飲みながら花火を観るのも、そして帰り道も、すべての要素が混ざり合って花火大会の楽しみを作りあげている。

毎年の道中で話す過去の話も、花火そのものの話よりも花火以外のことを話すことが多いし、中止になったり雨に降られるのは残念だけど、それはそれで記憶に残るものだし、毎年行くことの効用なのかもしれない。

まあ、息子にとっての記憶がどうなるかはわからないが、それはまあいいだろう。

・・・

そう考えると、人生の記憶の多くはプロセスだ。楽しさや幸せ、充実感。何をするにも目的や結果があるけど、その前後に起きた様々な出来事や体験から感じるもの。

ビジネスにおいて重要視されるのは結果になりがちで、実際重要ではあるけれど、それに関わる人たちの記憶に残ったり、楽しさや面白みを作り出しているのはプロセスなんだよな。とか考えていた。

会社なり組織なりが人や事業を評価する仕組みは定量的であるに越したことはないが、その逆の人が会社や組織を評価するのは定量的なものばかりではない。。というか定量的なものは給与くらいなもので、定量的な指標を純粋に達成することを目的にしていたとしても、個人の人生にとって、その過程はとても大事なものだ。

。。。まあ、それが大事だからこそ、待遇が良かろうと人は転職もするし、仕事も選ぶのだろう。

そして、いい会社はこの辺がうまくできているのだろうな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?