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乗せてもらうだけの人の悩み

車に乗せてもらうことが苦手だ。

25歳で家を出て一人暮らしをするまで、自動車がほぼいらない生活をしていた。雨の日にバスに乗ることはたまにあったが、晴れの日にはそのバスを自転車で抜いていくような場所だった。後は大体電車で済んでしまう。

もちろん、車があったら生活の幅は広がっていたとは思うが、生きていく上での必需品ではなかったため、乗りたいとも運転したいとも思わずにこれまでの人生の大半を過ごしてしまった。

運転免許は取得したものの、身分証明書以上の役に立つこともなく、大学の卒業旅行で行った北海道で運転しただけの生粋のペーパードライバーで、それなりに行ったスノーボードでも、学生時代の合宿でも、基本的には乗せてもらうだけ。体が比較的大きいこともあり、助手席が指定席のようになっていた。それは今でもあまり変わらない。

この立ち位置は、案外きつい。

疲れていても寝れない。運転手とは適度に会話し続ける必要がある。ナビや道順についても意識し続ける必要がある。トイレや寄り道など、行き先の自由度も運転手ほどはない。運転手の交代や睡眠については考慮するのが普通だが、助手席については後回しにされがち。相手によっては気を使う。。。などなど。

車での移動。前提にしたイベントや、好意による送迎をお断りすることはなく、感謝もすれば楽しみもするのだが、苦手なことには変わらず、他の選択肢がある場合は丁重にお断りすることが多い。

日本全体でみれば、車なしで生きられる場所は圧倒的に少数派なので、自分のような立ち位置の人間も少数派なのだろう。自分と同じような場所に住んでいても、車そのものに興味を持ってなんとか乗る人も多いのかもしれない。自分にしても、自宅に駐車スペースがあれば乗った可能性は高い。近所の高額な駐車場を借りてまで車を利用する意欲も金銭的な余裕もなかっただけだ。

しかし、高齢者が運転できなくなると、みんな自分のような状況に強制的になるのだよな。それも車が移動するために必要な場所で、それまで自分が運転していた人で、人によっては運転することが好きだった人もいて。なかなかなストレスだ。

やはり自動運転は大事だ。

運転はエンタメにして、運転手が疲れたら「自動運転にして休んだら?」って言いたい。

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