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媒体を巡りながらアップデートされ続ける物語の話

小学生の頃にゲームブックにハマったのがきっかけなのか、アドベンチャーゲームってジャンルはずっと好きで、仕事やその他のことで忙しくなってゲームをやる頻度が減ってからも注目を浴びているゲームについては時たま時間を見つけてやっていた、

シュタインズ・ゲートなんかもその一つで、何となく気になっていた中でちょっとずつ課金できるiOSのLite版(今はないようだ)でやった。確かに面白かったが、その時点でもそれなりにリリースされていたスピンオフ作品に手は出さず、というかマルチエンディングであった本編の全てのエピソードをやってもいなかったと思う。

で、最近になってNetflixに公開されているアニメ版を何となくみてみたり(ストーリーの大枠を知っているアニメとかはながらで流すのに都合がいい)、先日最終回が放送されたシュタインズ・ゲート ゼロを観ているうちに引き込まれ、細かいエピソードなどもこの週末で調べたりしていた。

シュタインズ・ゲートの諸々の話は色々な場所で語られているので触れないが、アドベンチャーゲームって媒体の面白さを知った気がしたのでそっちを書く。

アドベンチャーゲームはストーリーを楽しむゲームなのと、そもそもがアニメーションや絵によって構成されているものが多いので、アニメやマンガの原作にはとても向いている。ゲーム性やストーリーの厚みを持たせるためか、ストーリーの分岐や細かいエピソードもゲーム単体でもとても多い。

ゲーム単体で収益を重ねる難易度は高いので、最初からメディアミックスでの展開を前提に設計されていることも多く、シュタインズ・ゲートにしてもそうなのだろう。これはまあアドベンチャーゲームに限らず、「妖怪ウオッチ」なんかはその典型なんだろうけど。

その中で面白さを感じるのは、様々な媒体を行き来する中で、同じ物語がアップデートされ続けることだ。

ゲーム自体の内容の良さと、商業的な成功が前提にはなるのだろうけど、ゲームプラットフォームが新しくなる度に移植やリメイクされたり、ゲームからTVアニメ化や映画化されたり、シュタインズ・ゲートのようにアニメ化したコンテンツをベースにゲーム側をアニメーション主体にしてリメイクしたりする。続編やリメイク作品が出れば、そこからまた同じ流れが起こる。

そうした流れはお金を稼ぐ話しか考えていなかったが、物語作りの視点で考えると、新しい場所で作る度に既存の物語に加筆したり、表現「変えたりできる機会が都度増えることになり、うまく機能すると物語やその世界に厚みを持たせることにができるわけだ。他の媒体を起点としたコンテンツでも出来そうではあるけど、ゲームは向いているように見える。

もっとも、移植やリメイクによって劣化してしまうことも多々あるので、作り手の想いが残っていたり、その作り手自体がメーカーに在籍し続けいる必要があったり、そうした展開を会社が意識しておく必要もあったりしそうで、難易度は高そうだ。

ただまあ、ゲームはそんな懐を持った媒体でもあったのかと一人で感心していた。

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