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書くことが似通っていても

毎日何かしらnoteに書くようにしてから1カ月が過ぎた。当初思っていたよりは書けている。

書き続けていて見えたことだけど、様々な出来事なり考えなりを書いてはいるが、落とし所が結構似通っている気がする。いまの自分が書いていて、物事に対するいまの自分の捉え方を文章にしているわけだから、当然と言えば当然の話ではあるが。

それに気づいたとき、思考が停滞してんのだろうかとちょっと思ったが、考えてみるとまだ1ヶ月だ。そんなに変化していたらむしろおかしい。この頻度で自分の考えや出来事を記録したことがなかったので少々感覚が麻痺していたのかもしれない。

ふと気になって、15年くらい前に書いていたブログをちょっと読んでみた。ブログ自体はブログって言葉が普及し始めた頃から時たま更新していた。ツール好きな自分らしく、新しいプラットフォームやサービスが出るたびに試していたからか、インポートとエクスポートを繰り返して画素が消失しているものもある。URLも変わっているため、誰かが読んだ形跡もほとんど残ってはいない。一応、はてなブログに落ち着いて、非公開にはしないで維持してあるが、もう自分のための記録と言っていい。

そういえば、はてなダイアリーがサービス終了するとか言っていたな。

例によって若い頃のブログを読むのは自分で読んでも恥ずかしい。が、自分で書いたものなので、読めば当時の心境を思い出せたりする。自分が悩んでいたこと、求めていたこと、良かった映画や本など、自分で読む分には案外面白い。

何より面白いのが、「あ、俺案外いいこと書いている」って箇所がちらほらあることだ。

これは自画自賛ではなくて、自分が当時考えたり感銘を受けたことが元になっているブログなので、自分で読んで「いいこと」と感じるのは当然と言えば当然だ。古ければ古いほど書く力も弱く、他人が読んでも言葉足らずでわからないことも多いだろうけど、自分には意味がある。

そう考えると、今書いていることの思考がループしていても別に構わないとも思える。書いていれば誰かの役に立つかもしれないし、役に立たなくとも、どこかで自分の役には立つだろう。ブログの継続を何度も挫折もしたが、少しでも残っていることにも意味がある。

つまり、とりあえず書けるうちは書いときゃいいか。ということである。

Photo by Andrew Neelon Unsplash

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