博報堂との件、その後の報告

 3月31日にアップした記事が正直予想以上の反響で、それだけ社会的な関心が高い内容だったのだと思いました。

 ジャニー喜多川氏およびジャニーズ事務所に関しては、その後、岡本カウアン氏による記者会見もあり、引き続き、議論されるところでしょう。私も私なりに考えていきたいと思いますし、そのような場が与えられることがあれば、自分の考えを言わなければならないと思っています。

 博報堂による雑誌『広告』をめぐる件ですが、その後のことを報告すべきだと思い、ここに書きたいと思います(先方了承済み)。
 まず前提として、私が前回記事で意図したことは、①『広告』対談をめぐって起こったことを実際に削除された箇所を含め明らかにすること、加えて、②博報堂という組織内で交渉・闘争があっただろうことを示すこと、の2点です。②については、書いた時点では推察でしたが、その後、おおむね事実だったことが編集長より述べられています。ネット上では「闇」とか「腐った」みたいな形容を目にしましたが、組織内部は一枚岩ではなく、それぞれの立場から然るべき意見交換があっただろう、というごく常識的なことを想定をしました。ともすれば、とくにネット上では、このような常識的な想定が抜け落ちがちな印象があるので。そのうえで批判すべき点をしっかり批判することが大事だと思います。
 さて、その後、博報堂から謝罪の申し出があり、4月11日(火)、『広告』編集長同席のもと、広報室長から謝罪を受けました。謝罪の点はおおむね以下だったかと思います。

・矢野の発言を相談なく勝手に削除したこと
・加えて、編集長も削除になった事実を伝え忘れたこと

 ちなみに編集長が言うには、広報室の判断で特定の文言が削除されたのはおそらく初めてのこととのことでした。典型的な〝忖度〟と言えると思います。この謝罪のやりとりのなかで、私からは以下の6点を伝えました。もっとも、以下の(1)~(5)は最初から言うと決めていたものですが。

(1)大前提として、当然のことながら、いち発言者として責任をもって発言していることを認識すべきである。
(2)自社の利益という観点からジャニーズのタレントと外部のライターを天秤にかけて、ジャニーズのほうを重要視したことがたいへん無礼であるとともに、著作権侵害にも抵触している。フリーのライターだろうが同じく尊重すべきである。
(3)常識的・合理的に考えて、組織内の人間ですらない外部ライターによるあの程度の発言をわざわざ削除して「削除しました」と書くことのほうが、よほどもろもろのコストがかかるのではないか。実際、今回はまったく良い結果を生まなかった。
(4)ジャニーズ事務所やジャニーズのタレントだって、上記(3)のような対応は望んでいないのではないか。
(5)(博報堂のリアリティはわからないが)そのような「常識的・合理的」判断が働かなかったのならば、博報堂という組織は一般的な感覚と乖離している可能性がある。

 ちなみに言うと、上記は謝罪の数日前におこなわれた『週刊文春』の取材でも話したことであり、この取材の内容は4月20日発売の『週刊文春』に写真入りで掲載されております。とくに悪者として登場しているわけではないものの、まさか自分が『週刊文春』に登場することがあるとは思っていなかったため、誌面を見たときはへんな緊張感がありました。
 さて編集長は「自分はもともと編集の人間ではなく、編集長になるさいも編集権という概念を教わっていなかったため、編集権というものを知らなかった」といったことも言っていました。そうなると、もはや『広告』という雑誌の位置づけや意味合いがよくわからないのでその点を尋ねると、「もともと広報誌から始まった」とのことでした。これについては、以下の感想を伝えました。

(6)『広告』という雑誌の意味合いや編集権の曖昧さといった内部の事情は、発注を受けたほうからすると知る由のないことである。おそらくどの書き手も一般的な雑誌と同様のものとして仕事を受けているだろう。

 最後に「もし今後、今回と同じように広報室として看過できない発言があった場合はどうするのか」と問うたところ、広報室長による返答は「まずなにより筆者/発言者にちゃんと相談をする」ということでした。私としては、以上をもってだいたい話したいことを話し、聞きたいことを聞いたので、これにて話し合い(謝罪)の場は終了となりました。人によってはぬるいという印象を受けるかもしれませんが、そしてその感覚も理解はしなくもないですが、私としてはさしあたりこれでじゅうぶんだと判断しました。
 もっとも、これはいち書き手と掲載媒体のあいだの議論に過ぎず、博報堂のような企業がジャニーズ事務所に対してどのように対応していくか、といった議論は、冒頭にも書いたとおり、今後も問われていくところでしょう。もちろんそれは、これまでジャニーズをおおむね肯定的に語ってきた私自身も例外ではありません。
 いずれにせよ今回の件は、「削除」などしなければなにも話題にもならないようなことが、「削除」行為によってかえっておおごとになっている印象で、私としては(3)にも書いたように「なぜわざわざこんな余計でしかないことをしているのだろう」という不思議な感じを覚えていました。とはいえ、もしかしたら、その不思議さこそが〝業界〟みたいなものの歪さなのかもしれません。ちなみにネット上では、これを話題作りだと捉える意見もありましたが、さすがにそれはないですよね、きっと。万が一そういうことがあるならば、さすがに付き合いきれません。
 もともとの問題はたいへん根深いものであり、これについては今後も考えるべきであるものの、私の発言についての掲載/削除の判断およびその手続きにかぎって言えば、全体的にしょうもない話でしかなかった、という感想です。

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