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URCを聴き直す①――金延幸子(1)

『URCレコード読本』(シンコーミュージック)という本が出たので、またURC熱が高まっています。基本的には、ブラックミュージックとかダンスミュージック系を聴くことが多いのですが、フォークとかフォークロック~SSWも好きです。だから、URCも好きな作品がたくさんあります。今後、URCともゆっくりと向き合いたいです。

URCのなかでも自分のなかで特別な存在感があるのは、金延幸子。金延幸子については、小沢健二がライブのオープニングSEとして選曲していた、みたいな話がなんとなく印象に残っていて、自分のなかでは微妙に「渋谷系再評価」的なラインもあるのですが、そんなことは関係なく、最初に『み空』を聴いたときから、すごく感銘を受けました。『み空』を聴く以前、もともとジョニ・ミッチェルが好きだったので、同じような感触で聴いていました。『URCレコード読本』の金延幸子インタビューでは、西岡たかしが金延にジョニ・ミッチェルを聴かせた、というエピソードが語られています。西岡いわく「どこかつながってるところあるでしょ?」と。

音楽活動開始~秘密結社〇〇教団/愚(1966~69)

金延は学生時代、友人とサイモン&ガーファンクルのコピーなどをしていたが、URCの秦政明に誘われて、高石ともやや中川五郎の在籍するフォーク・キャンパーズに参加することになります。そのフォーク・キャンパーズの音源は、VA『関西フォークの歴史』やその他URCのコンピレーションで「プレイボーイ・プレイガール」が聴けます。あと個人的には、7インチで「誰かがどこかで/女の子は強い」を持っているのですが、「誰かがどこかで」のほうは女声コーラスも入っていて、金延の声に聴こえる気もしますが、クレジットがないので分からないです。ちなみに、「誰かがどこかで」の作詞をしているのは詩人の有馬敲ですが、これは、一般参加のワークショップなどがなされた第2回フォーク・キャンプにおいて、有馬の詩に関心が寄せられたかららしいです(『URCレコード読本』)。

その後、メディテーションというグループを経て、西岡たかしらと愚を結成し、日本フォーク史に残る傑作である「あくまのお話し/アリス」(秘密結社〇〇教団名義)「あかりが消えたら/マリアンヌ」という2枚のシングルを発表します。インタビューによると、メンバーのなかではペンタングルをイメージして作っていたのだろう、とのこと。独特すぎる世界観で歌われる「あくまのお話し」やアシッドフォークとジャズのあいだを漂うような「マリアンヌ」など、この時期のサウンドは本当に唯一無二だと思います。カルト的な人気があるこの盤は希少価値も高く、残念ながら僕は入手していませんが、この2枚のシングル盤はいつか入手したいもののひとつです。

「時にまかせて/ほしのでんせつ」~『み空』(1970~1972)

田口史人いわく「メッセージ・フォークの全盛期、彼女の繊細で大胆で自由な作風はフォーク・ファンの間で理解されるはずもなかった」(『喫茶ロック』)というそんな状況のなか、大阪から東京に出てきた金延をバックアップしたのは、はっぴいえんどの面々でした。まず大瀧詠一プロデュースによって、大阪時代にすでに完成していた「時をまかせて/ほしのでんせつ」のシングルが、かねのぶさちこ名義でリリースされます。俗に言う「ビクター版」で、のちに『み空』に収録される「時にまかせて」とは、アレンジがかなり異なっています。個人的には「ビクター版」の大瀧詠一(CHELSEA名義)によるアレンジも大好きで、とくに2008年くらい、マイクロオフィスのイベントでECDがDJでプレイしていたのが印象に残っているのですが、インタビューによると「大瀧ちゃんとは音楽的に気が合わなかった」「2曲やってみて、相性が合わないことがよくわかりましたね」と、ビクター版を気に入っていないことをストレートに表明しています。

ちなみにこの時期、大瀧作詞の「おまえのほしいものは何」もすでに作られていて、1970年の第2回フォーク・ジャンボリーで、「できたばかりであまり慣れていないんです」というMCとともに披露されています。

この大瀧とのやりとりを経て、金延は『み空』を細野晴臣に頼むことになります。いまや海外でも人気の『み空』は、金延のヴォーカルが冴えわたった名盤だと思います。「時にまかせて」はビクター版よりもさらに優しく温かいサウンドになっており、たしかに大瀧と細野の違いと言えるかもしれません。外にも全曲素晴らしいのですが、とくに好きなのは、ジョニ・ミッチェルに匹敵する歌声の「あなたから遠くへ」(金延自身は「雪が降れば」がいちばんジョニっぽいと感じているらしい。それもわかる)でしょうか。鈴木茂がエレキギターを加えロックに寄せ、結果的にはソウル感すらもある「青い魚」(こちらはニール・ヤングからの影響)も素晴らしいですね。長尺の「はやぶさと私」は、前半のカッティング気味のアコギから少しサイケっぽく展開するのがたまらないです。

インタビューによると、『み空』に収録されるいくつかの曲は、愚で活動している時点ですでに書き上げていたそうです。個人的には、愚と『み空』のあいだにある1970~1971年の音楽性は、大瀧プロデュース期としてのみ片付けるにはもったいないくらい、とてもゆたかだと思っています。この時期の貴重な録音は、1998年にエイベックス・イオから発売されたCD『時にまかせて~金延幸子レアトラックス』で聴くことができます。とくに、1970年のロック反乱祭で披露された「ほしのでんせつ(Jazzy Version)」は、パーカッションとウッドベースを加えたフォーキーソウルで、同時代の日本ではまず聴けないグルーヴ感で本当にすごいです。長尺の間奏には即興的なギターやベースのソロも入っていて、1970年という時代を考えると、なにもかもが先鋭的すぎます。あとは、上記「おまえのほしいものは何」の続きにあたる、第2回フォーク・ジャンボリーで披露された「雨あがり」という曲も収録されているのですが、これはスタジオ録音が残っていないのか、おそらくこのCDでしか聴けないものです。ギターフレーズの反復とのびのびと自由で少し不穏なヴォーカルが絡み合ったとても美しい名曲です。(続く)

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