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アカデミズムの世界からみた「ヨコハマメリー=アウトサイダー・アーチスト説」

『白い孤影』で提示した「メリーさんアウトサイダー・アーチスト説」。
答えこそ出ないであろうものの、議論を戦わせる上で楽しいテーマだと思うのですが、読者からの反応ゼロ。
拙著の読者層と本のミスマッチが、埋めがたく露呈する結果となりました。

*アウトサイダーアートに関しては、アウトサイダー・キュレーターの櫛野展正さんのnoteを見ると分かりやすいと思います。https://note.mu/kushiterra

このままスルーされてしまうと、拙著は単なる消費財として消えてしまいます。
なんとか棹ささなければいけません。
それにはアカデミックな話題として、研究対象にしていただくのが一番。

そこでアウトサイダー・アート関係の権威に原稿を依頼しました。
ところが3人の方にお声掛けするも、すべて断られました。
専門家にとってもむずかしいらしいのです。

4人目としてお願いしたのが、甲南大学文学部教授の服部正先生です。

服部先生は兵庫県立美術館、横尾忠則現代美術館学芸員を経て、2013年より甲南大学で教えておられます。専門はアウトサイダー・アートやアール・ブリュット、障がい者の創作活動などで、著書に『アウトサイダー・アート』(光文社新書、2003年)、『山下清と昭和の美術』(共著、名古屋大学出版会、2014年)、『障がいのある人の創作活動』(編著、あいり出版、2016年)などがあります。

先生は以前からメリーさんを聞き知っていたとのこと。
アカデミズムの世界からみたとき、「ヨコハマメリー・アウトサイダー・アーチスト説」は、どのように感じられたのでしょうか?

 メリーさんはアウトサイダー・アーティストでしょうか。著者からの突然の問いかけは、不意打ちのようでもあり、一方で納得がいくものでもあった。私自身は、メリーさんについて殊更強い関心をもって調べたことはない。随分前に映画『ヨコハマメリー』を観たことと、場所も時期も記憶していないが、晩年の彼女を撮影したモノクロの写真を見たことがある程度だ。それでも多少なりとも興味をもって映画や写真を見ていたのは、私自身のアウトサイダー・アートへの関心と無関係ではないだろう。だが、その時点で私は、アウトサイダー・アーティストとして彼女を考えるという道を放棄していた。「変わり者」で「アウトサイダー」としての要素も色濃いが、「アーティスト」として理解することは難しいだろうと考えたからだ。著者からの問いかけは、そのような私の判断に再考を促すという点で不意打ちであり、私自身がその可能性を素朴にではあるがいったんは探ってみたことがあるという点で納得がいくものだった。
 それにしても、この『白い孤影 ヨコハマメリー』からは多くのことを学んだ。メリーさんの知られざる一面についてももちろんだが、著者の執念深い探究の姿勢や、粘り強い仮説と検証の過程、メリーさんの故郷へと連なるドラマチックでスリリングな展開など、特定の人物に迫る歴史研究の手際にも大きな感動があった。しかし、横浜の文化風俗に明るくない私が、この労作に対して語れることなどそう多くない。アウトサイダー・アートの研究者である私にできることいえば、冒頭に挙げた著者からの問いかけに答えることくらいだろう。
 アウトサイダー・アートとは何か、それを本格的に論じる紙幅はないが、この概念の元になった「アール・ブリュット」を提唱したフランスの画家ジャン・デュビュッフェは、それを「芸術的教養に毒されていない人々が制作した作品」と定義している。既存の芸術からの模倣がなく、「自分自身の衝動のみから始め」た「完全に純粋で生の芸術行為」だという。この定義が何とも厄介だ。アール・ブリュットを見分けるための具体的な作品の特徴については何ひとつ語っていないからだ。アウトサイダー・アートにせよアール・ブリュットにせよ、その名前で収集され、展示される作品を物差しとして考えていくしかない。
 では、メリーさんは作品として何を残したのだろうか。本書を読むかぎり、残念ながら彼女の創作行為の「物的証拠」は何も残されていないようだ。結論に近い部分で、著者はやや唐突にアウトサイダー・アーティストとしてのメリーさんという解釈を提示する。その根拠のひとつとして、著者はメリーさんの白いドレスが既製品ではなく彼女自身の創作物だった可能性を示唆する(310ページ)。しかし、アウトサイダー・アートか否かを考える際に、彼女がドレスを自分で縫っていたとしても、それは十分条件にはならない。自分で作ったものが文明社会の既存の事物とどれほどかけ離れているか、どれほど突拍子もなく独創的なものかが重要なのだ。写真で見るかぎりメリーさんの白いドレスそれ自体は、通常私たちがドレスという言葉から思い浮かべるものからそれほど大きく隔たっておらず、アウトサイダー・アートと呼ぶことは難しいように思われる。
 しかし、アウトサイダー・アートの代表的な作り手とメリーさんに共通点がないわけではない。著者の慧眼は、そのことを見抜いたうえでメリーさんをアウトサイダー・アーティストではないかと推論する。すなわち、「気の遠くなるほどの偏屈さを粛々と貫き通した人生。誰からも共感されぬまま自分の島宇宙を守り切ることに費やした生涯」(311ページ)という指摘だ。アウトサイダー・アーティストと呼ばれる人たちは、誰もが孤独だ。他人の目は気にせず自分の創作に没頭したり、創作のために他のすべてを犠牲にしたりする。しかも他人に無関心で、独自の宇宙に引きこもっているかのようだ。一人ひとりに独自の世界観があり、それらはまるで共通点がなくばらばらである。通常の美術の世界に属する芸術家たちがお互いに影響を与え合っているのとは対照的だ。少なくとも心情的には、メリーさんにはアウトサイダー・アート的なところがある。
 そのうえで著者は、メリーさんは「あの姿で立つこと自体が目的で町にいたのではないか」(13ページ)と述べる。そのことは、あるアウトサイダーの作り手を想起させる。ヴァハン・ポラディアンだ。20世紀初頭のアルメニアに生まれた彼は、祖国の悲惨な運命そのままに、イスタンブール、ニューヨーク、キューバ、パリと流浪の人生を送った。晩年、南フランスの小都市サン・ラファエルで同郷人が経営する下宿に居を定めた彼は、60歳を過ぎて突如として芸術に目覚める。拾い集めたがらくたや、市場で買った安価な日用品を用いてきらびやかな衣装を作り、模造宝石や電飾などを加工したペンダントやブローチを縫いつけた。おびただしい数のアクセサリーやハンドバッグ、刺繍や飾り物のついた帽子や杖も作った。それらは、若くして離れた祖国アルメニア教会の壮麗な典礼衣装を模したものだが、そのチープな素材と素人の執拗な手仕事のゆえに実際の衣装とは似ても似つかないものになった。彼は毎朝その衣装を身に着け、杖を手に街を行進した。衣装を作ることが芸術なのではなく、古き良きアルメニアを賛美し、苦難に満ちた自分の人生を慰めるそのパレードという行為こそが、ポラディアンの芸術だった。それは、南フランスの町に蜃気楼のようなアルメニアを立ち上がらせる行為だった。
 メリーさんのドレスは、古いヨーロッパへの憧れ(301ページ)だと著者はいう。だとすれば、奇抜な白い姿で横浜の街に立つメリーさんは、そこに幻のヨーロッパの貴族社会を現前させようとしていたのだろうか。その行為は、アウトサイダー・アート的ではある。しかし、メリーさんの純白のドレスには全く似つかわしくないが、私の結論はグレーだ。メリーさんは自身の内的世界を、独創的な創作物として残すことはなかった。独自の世界を築き上げ、それを独自のスタイルで表現する。そこまでを含めてアーティストと呼ぶのだとしたら、メリーさんのドレスや白塗りはやや弱い。現実世界にカウンターパートが多すぎるのだ。
 やや興醒めな話になるが、アウトサイダー・アートは美術界の経済活動とも密接に関わっている。専門の画廊やアート・フェアもあれば、収集家もいる。それゆえ、収集・流通できないものに対しては、あまり積極的な評価を与えることがない。横浜といえば、自作の大仰な帽子と派手な衣装で街に出没する宮間英次郎氏がアウトサイダー・アーティストとして有名だ。彼の場合も、表現行為の中心は奇妙な衣装で街を歩く行動そのものにあるのだが、同時に帽子や衣装は収集可能で、実際にローザンヌのアール・ブリュット・コレクションに収蔵されているし、各地の展覧会で展示されている。ポラディアンの典礼衣装も同様だ。アウトサイダー・アートには収集家による規範概念という側面があり、表現欲が何らかの物体として表出していることを求める傾向が強い。それは、アール・ブリュットという概念が形成された1940年代はもちろんだが、アウトサイダー・アートの名称が広く普及し始めた80年代においてさえも、形の残らない純粋な表現行為をアウトサイダー・アートの「枠内!」で考えることが困難だったからであろう。そう考えると、メリーさんをアウトサイダー・アートの範疇に含めることは難しい。
著者の結論は、街角に立つという行為そのものがアウトサイダー・アート的だというもので、その点は全く正しい。デュビュッフェも歌を歌うという芸術、ワルツを踊るという芸術、優雅にコーヒーを飲むという芸術、歩くという芸術もあり得ると述べており、少なくとも理論的には芸術の概念を極限まで拡張しようとする意志があった。そうであれば、メリーさんのように優雅に街角に立つという芸術があっても一向に構わないと思われる。とはいえ、デュビュッフェがアール・ブリュットの名前の元に収集したのは、観ているこちらがヒリヒリするような、あるいは切なくなるような、切羽詰まった創作物だった。1901年生まれのデュビュッフェは、アール・ブリュットのコレクターとしては収集の概念を拡張し切れず、絵画、立体造形と呼び得るものにこだわっていたという印象が強い。アウトサイダー・アートは、デュビュッフェを始めとするコレクターや評論家などのインサイダーによる、アウトサイダーからの搾取ともいえる。メリーさんはインサイダーに一方的に収奪されることのないしたたかさを持っていたからこそ、アウトサイダー・アートと呼ばれるべき創作物を必要としなかったのかもしれない。

 上記のように、専門家の立場からは結論めいたことや断定的なことは言い難く、「アウトサイダー・アートの範疇に含める/含めない、どちらの立場からでも論じることができる」という煮え切らないコメントになってしまうようです。
 しかし少なくとも否定はされていないし、一定の理解は得られたように思えます。

「メリーさんアウトサイダー・アーチスト説」とアートの関係性

この「メリーさんアウトサイダー・アーチスト説」には、ふたつの源泉があります。

ひとつは服部先生のテキスト内にもある「帽子おじさん」こと宮間英次郎さん(この方は存命ですが、数年前に引退宣言しました。そういう意味ではアウトサイダー・アーチストらしくないかも)。

もうひとつは、2015年に参加した「みちのくアート巡礼CAMP」でいっしょになった村上愛佳さんの「自由な女神」です。

https://www.asahi.com/articles/ASK7N3CHVK7NUQIP00Q.html

この作品、津波で半壊した石巻市のパチンコ店の自由の女神像を「アート」として提示したコンセプチュアルな作品。美術用語で言うところの「レディメイド」という奴です。
(余談ですが、僕は彼女がこの像を「作品」と提示する前に、石巻でこの像を見てました。だから「あのときのあれが!」とびっくりした覚えがあります)

自分なりに考えたのが、「レディメイドというのは物体にしか適用できないのか?」ということでした。
「戦争の犠牲者」とか「自分なりの生き様を全うした娼婦」という彼女の既成イメージに対して、まったくちがう味方を提示することは、「めっちゃアートじゃないか?」と考えたのが発想の原点のひとつです。

そういう意味では、彼女がアウトサイダーアーチストであろうとなかろうと、どちらでも構わないと言えます。

服部正先生の原稿は、先生自身が多少手直しして別途発表するかも知れないとのこと。
メリーさんに関する論文は、僕が知る限りでは、社会学の範疇で「都市伝説」という観点から発表されたものしかないようです。
期待して待ちましょう。

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