「八百比丘尼」の伝説について

「八百比丘尼」の伝説。もともとは仏教的な説話だったのでは?と考えています。海沿いの村のお寺の尼さんやお坊さんなどが、人々を教化していくなかで、この八百比丘尼の伝説が語り継がれていったのではないだろうか、そんな風に思います。(寅子石など、全国に類例はあります)個人的には、女性が登場人物となっているあたり、原型の話は、女性を対象とした講などで語られた可能性が高いと思います。

この、「不老不死は必ずしも幸せとは限らない(むしろ不幸である)」という考え方は、お釈迦様の説かれる「愛別離苦」をテーマにも通じる、とても仏教な話だと思います。キリスト教色の強い欧米では、「(神の国での)永遠の生」というものが、ひとつの世界観になっていることを考えると、この話の根底にあるテーマは、キリスト教的な世界観とは対照的です。

とはいえ、この考え方が、東洋に普遍的な考え方かといえば、そうではありません。

例えば、日本の仏教に大きな影響を与えた中国では、道教が流行し、「不老不死」を求めてそれこそ、多くの人たちが修行していましたし、始皇帝なんかも、「不老不死」の霊薬を求めて、徐福に探させたりしています。

「不死(不老)」は、洋の東西問わず、多くの人が望んだ(望んでいる)切実な願いの一つなのかもしれません。

八百比丘尼の説話は、まさにキリスト教的な「永遠の生」や、古代中国人が求めた「不老不死」の問題に対する、ひとつのアンチ・テーゼなわけです。

中国や朝鮮に、八百比丘尼伝説のような説話があるかどうか。未確認なので、なんともいえませんが、日本に、このような説話が広がる背景として、不死の存在を否定し、現実的な思想で生をとらえようとしたお釈迦様の教えが仏教僧を通じて浸透し、死後をも、生の延長と考える(「生」orientedな)古来から続く日本人の死生観が根本にあったからだと考えられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?