近くて遠い_星の在処__1_

【連載小説・第五回】近くて遠い星の在処 5

中学三年生の「僕」は自らを煤けた石ころと呼び、特別な存在になることから逃げ回りながら生きている。

彼はある日、特別な存在である親友の手によって「星の王子様」と再会してしまった。

王子様は煌めきを振りまきながら、僕の領域を侵し、定義を揺るがしてていき――。

「シュウ、14歳」編・「僕、18歳」編から成る二人の少年が「いつの間にか奪われてしまった自分の星」の在処を探す物語。

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近くて遠い星の在処

「シュウ・14歳――桜色の秘密②」

受験を終えた僕たちは、前より一層つるんで遊ぶようになった。僕は予定通り、ほどほどの高校に進学する。


「そういや、シュウ、引っ越すらしいぜ」

遼はある日、ぽつんと言った。中学卒業と同時に電車を数本乗り換えないといけない町に引っ越してしまうらしい。

「ふーん」

僕は得意の興味ないフリをした。だが、吐く息が凍るようで、背筋がぞわぞわとし、喉がからからに乾くような感覚を覚えた。

だからか。だから、シュウは、夕日を見ていたのか。
何かを言いたくて、それを抑えていたのか。

それでも、僕はシュウに接触できなかった。すっかりシュウが怖くなってしまったのだ。

本当は、シュウに近づいてもシュウにならなかったかもしれないのに、僕は勝手に決めたルールで、シュウに酷いことをした。


シュウは特別だが、完璧じゃない。僕を怒っているかもしれない。悲しくて泣いているかもしれない。

僕は、自分の判断が正しいとばかり信じていたのに、何もかにもがわからなくなっていた。

卒業式を終えたその足で、遼たちと遊ぶ約束をしていたのだ。

なぜか、そこにはシュウがいない。引っ越しの日が近いせいでバタバタしているのかもしれない。

体を怠い無念感が支配する。シュウとは、もう会えない。

靴箱から上履きを取り出し、スニーカーを取り出したその時、ぽろりと何かが落ちた。ルーズリーフだ。

ボールペンで書かれた機械で書いたように綺麗な字を見て、僕は夢中で駆けだしていた。

『星の王子さまへ。もう一度勝負しましょう。この学校にある約束の場所で待っています』

「――? どうしたんだ」
「ごめん、今日は行けない」


駆けながらすれ違った遼の誘いを断ってしまった。だが、こればかりはどうしようもないんだ。僕は無我夢中で図書室へと駆けた。

引き戸を開ける。明日からは懐かしい匂い。春の始まりの風が吹き、ぶわりとカーテンが膨らむ。


日が落ち始めた春の日差しを背に、そこにはシュウが座って待っていた。その顔に蕩けるような笑顔を讃え、オセロ盤の前でにこにこと僕を待つ。

「待ってたよ」

僕は泣きそうになっていた。理由のわからない感情が次から次へとこみ上げ、沸き上がるようだった。

心の中を一枚一枚が薄くできた何かが積み重なって満たしていた。

きっと、こんなにも目が痛いのは、花粉症のせいだ。それはきっと桜の花びらに似ていた。

「それじゃあ、始めよっか」

光を背にしたシュウは、始めてあった頃と同じように眩しくて眩しくて、それでも僕は目を逸らすことができなかった。

「あぁ、仲間も忘れちゃいけないや」

そう言って、シュウは一冊の本を置く。『星の王子さま』だ。


「すごい、すごいや。おれ、きみ以外はずっとずっと負けなしだったんだよ?」

頭をフル回転させているせいで、僕は相槌を打つことしかできなかった。

今だけはどうしても勝ちたいと思った。

パチン、パチン。

緑の上に広がる僕の黒がシュウの白を包囲し、反転させて染めていく。

劣勢にも関わらず、シュウの黒々とした瞳は光を宿し、パンパンと大きく手を合わせて独特の拍手を繰り返した。

「――なあ、シュウ」
「なあに?」
「勝った方の願い事を聞くことにしよう」
「うん、いい! それ乗った!」

シュウは一層黒々とした瞳を宝石のように輝かせ、独特の拍手で喜んでみせる。

もう、シュウには会えない。そう思うとざわざわと心に風が起きて、ぶわりと心を満たした花びらが舞う。

盤面が白で満ちていく。それを黒の一手でひっくり返していく。勝負は拮抗している。だが、一手、一手と盤面が埋まっていく。

ゲームが終わってしまう。

気づかなかった。この勝負は永遠では無かったのだ。

「よし……これ!」

シュウは目を輝かせて盤面に石を置こうとしたが、僕はその腕を掴んで阻止する。

そして、片方の手をテーブルに置き、二人で作った宇宙を保ったまま、彼の唇に僕の唇を軽くぶつけた。

顔を離していく。すると、そこにはシュウが丸い目をしばたいてちょこんと座っていた。気づかなかったが、自分より大きいと思っていたシュウは、小柄と言われる僕と身長がさほど変わらなかった。

僕と言えば、強烈な後悔に襲われ、シュウから目を合わせることができなくなった。

結局、勝負は僕が勝った。だが、そこには強烈な後悔と、枯れてシワシワになった花びらだったものたちだけが残されていた。

「……さっきの、どう思う」
「え、わかんないよ」
「キモいとか思わないの」
「ううん。ごめん、よくわかんないや」
「じゃ、勝った権利で、さっきのは誰にも言うな」

それだけ言い残し、僕は席を立ってシュウから逃げ出したのだった。

見慣れた教室も、廊下も、階段も、下駄箱も息苦しい。まるで水の中に閉じ込められたかのようだ。

なのに、シュウと潜った水の中とはまるで違う。

そしてあの場所には、もう二度と戻れない。なぜなら、シュウと僕は、あの瞬間にダメになったのだから。

僕という存在が抱えた感情が、ぐちゃぐちゃになって壊され、乱され、犯され。

もう元は戻れないようで、僕という入れ物から漏れ出して地面を汚さないように、必死に外側を保つことで精一杯だった。


校門を出た時、まるで水から顔を出したかのように、ようやく息ができるようになった。


一歩一歩、足を踏み出すことで、ずきずきと胸が痛み、何かがこぼれてしまいそうになる。

明日から、シュウとは会えなくなる。

そんな日に、僕は自分がおかしい人間だと知らされてしまった。


「ねえ――、最近シュウくんと遊んでないんでしょ?」

毎日ベッドにうずくまる僕に母親が尋ねる。

熱に浮かされて勉強した時、シュウに影響されたことを話したせいで、やけに頭に残っているらしい。

「シュウなら死んだ」

親は気まずそうに僕を一瞥すると、気の毒そうに背を向ける。

「……ごめん。気が済むまでそうしてていいよ」

これは嘘じゃない。

僕は、僕の不注意のせいでシュウを失ってしまった。きっともう二度とシュウに会うことはできないだろう。


そう、シュウは死んだ。

僕の人生において、シュウとの接点は二度と訪れないのだから、意味は変わらない。

だんだんと温かくなっていく気温とは裏腹に、心は氷のように冷えている。


数日経って気力が戻ると、僕は貯めていたお金を使って街に繰り出すようになった。

古いシュウの住む街とは反対方面の電車に乗り、ベンチに腰掛けて行きかうひとをぼうっと瞳に映していく。


僕は、新しいシュウを探したかった。

だけど、街にはどこにもシュウはいない。こんなに沢山人がいるのに、シュウと同じ輝きを持った人はどこにもいない。

代わりに、僕をじろじろと見る大人の男性がわかるようになった。

ちらり、と僕を見て、僕が微笑みかけると急に目をそらす。

僕がシュウにしたことと同じようなことをしたいのかもしれない。そんな奴らは同じオーラを纏っていた。

……僕はおかしいんだろう。


普通と呼ばれるボーダーラインがあれば、それを遥かに超えている。
おかしくなければシュウにあんなことなんてしなかった。

僕は、同性が好きなのだろうか。同性しか愛せないのだろうか。

だけど、確かにそれならば都合がいい。

僕たちの生きた町では、女性と恋人になっていいのは、遼のような輝きを持った人間にしか許されなかった。

だから、僕は女性とは多分、付き合えない。きっと、付き合うことを許されない。


そのような大人の視線を浴びていくうちに僕は思い知らされていった。

なるほど。僕は、はじめてあの町に守られて生きていたことに気づかされた。

僕らはちっぽけだった。僕らの王様の遼ですら、見えないものに守られ続けていたんだ。

きっと、この街は遼すら知らないものであふれている。

今日こそシュウが見つかると思ったある日、僕は終電を逃してしまった。

そんなタイミングで、一人の大人の男性とまた目が合った。僕はもうシュウを見つけることを諦めかけていた。

「おじさん、僕、終電を逃しちゃった」

目を開き、街の光をせいいっぱい閉じ込める。本物のシュウが閉じ込めた光と比べると、頼りなくて、どろどろと濁っているだろう。

「そうなの?」

そんな口ぶりとは裏腹に、大人は俺のことを値踏みするようにじろじろと眺めている。

「僕のこと、助けてくれないかな」
「……きみの名前を聞いていいかな?」
「――――シュウ、だよ」

上手くできただろうか。僕はシュウになれているだろうか。

煤けた石ころでも、この街のネオンの足しぐらいにはなるのだろうか。



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☆次回・18歳編。再会したシュウは変わり果てていて――。

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