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社会の空気感に時代の変わり目を感じる。

ここ数年、世界的にさまざまな変化がありました。

そもそも日本人は変化を好まない特性があるようですが。国や行政を動かしている人たちが、その変化に贖(あがな)っているように感じてなりません。従来の方法を変えたくない人たちが存在しているのです。

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給与の半分近くを社会保障費が占めていると娘がため息をつきました。入社2年目で市民税が加算されて1年目より手取りが減ったと肩を落としていました。そもそも手取りが少なく、同期は減っていきます。定年まで過ごすことはないのが前提で入社しているのです。

娘はドラマや映画をあまり好みません。苦労を乗り越えハッピーとなる物語など、現実が苦しすぎるので、余暇時間にそんなもの見たくもないと目を背けるのです。

不安だらけで未来に希望を感じられないようです。

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障害福祉の分野では「障害者を地域で!」ときれいな言葉で謳っていますが、親が老い家族だけで重度の障害者を支援するには限界があると思います。しかし障害者の入所施設は増えません。

障害者を受け入れるはずの地域は、高齢化と人口減少でコミュニティは崩壊しつつあります。

ヤングケアラーという名称も巷で聞くようになりましたが、ヤングで括る時間は短いです。ケアの対象者は障害者や、介護が必要な親、保育する子ども達などがいます。ですのでダブルケア、トリプルケアや生涯ケアラーも存在しています。

不安を抱えて未来に希望を見いだせない人がたくさんいるのです。

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そのむかし学生運動がありました。私の生まれる前の出来事です。紛争で投石をしたことがある人に聞きました。

「どうしてそんな馬鹿なことをしていたのですか。」

「世の中が良くなると信じていたからです。たぶん未来に希望があったから石を投げていたのです。」

なるほど希望があるからこそ、変革を信じていたのですね。共感はしませんが、
その時代の空気を一瞬だけ垣間見たような気がしました。

かつてはそこに希望があったのです。

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石を投げても何も変わらないことは、歴史を見てもあきらかです。だから娘は石を投げません。おそらく石を投げる元気もないのです。

近現代史を学び、現代社会を観察していますが、どうも今の空気感に時代の変わり目を感じてなりません。

その空気感はかつての戦争前に似通っているような気がするのです。もちろん私が生まれる前の時代ですが、本や資料を読むとそう感じるのです。

戦前、じわじわと物が高くなり、物資が減るのです。市民生活はゆっくりと苦しくなります。新聞は嘘の報道を混ぜ込みます。この事実は後世に知ることになりますが、当時の庶民には知らされることはありません。でもなんとはなしに不安を感じていたのではないでしょうか。

むろん私が感じる空気感ですので、なんの根拠もありません。あくまで想像です。

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ではこの不安をどうすればいいのか。

このまま平穏で変わらないことを祈ります。

いやいや

変化を恐れず向き合うのです。

アンテナを伸ばし積極的に情報を取り自分の頭で考えるのです。そして柔軟に変化を受け入れます。面倒でも苦しくても現実に立ち向かうのです。

時代の変化を嘆くより、時代の変化を楽しむのです。

人手不足はテクノロジーで補うことができるはずです。学校に行けなくてもオンラインの通信教育などが整備されていくはずです。

介護や保育も教育分野もロボットや情報技術を取り入れていけば、働き方の改革ができるでしょう。そうすれば少子化問題もなんだかの変化が出て来るでしょう。

障害者も訓練次第で労働力になり得ます。介護を担っている人も支援整備をしたら労働力になります。

まだまだ希望はあるのです。

そして時代の変化を見届けましょう。50年後の歴史を教科書を見るのが楽しみになりますよ。

あくまで生きていればですがね。

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そんなことを考えながら散歩をしている私です。




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