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昨日から今日へ。大晦日から元旦へ。

ごあいさつ
昨日から今日になりました。大晦日から元旦は、本当にすぐそこでした。今年もよろしくお願いいたします。

さて時計を少し戻して、我が家の昨日の出来事を記します。

調査報告
昨年は母からの依頼でアメリカへ移民に行った曾祖父の足跡を調べていました。そこで帰省してきた娘が、元旦に集まる親戚に調査の結果発表をしようと言い出しました。そこで大晦日にパワーポイントでスライドを製作し始めました。

知らない写真
そこで娘が持っていた資料を私は把握していないことが発覚しました。それは再婚した曽祖父の息子たちの写真でした。「これ本当に家族か?怪しい。どこから見つけた写真なの?確認してよ。」と私は娘にいちゃもんをつけました。

新たな写真
そこで娘が再度、写真を見つけたサイトにアクセスしました。すると前回見つけていなかった新たな写真がアップされていました。それは曽祖父の息子の1人が、砂金すくい大会で優勝したという新聞記事でした。トロフィーを片手に青年が微笑んでいます。その記事にある砂金すくい大会の記事を探っていくと・・・

大発見
娘が「これ!!!ひぃぃぃぃぃー」と叫び、息が止まっていました。なんとなんと曽祖父の詳細な生涯の記録のサイトが見つかったのです。それは戦争で亡くなった日系人の遺品からその生涯を辿るサイトでした。私も「ふぃぃぃぃぃぃぃー」と叫び、言葉が出ませんでした。そこには私の調査では知り得なかった、アメリカでの曽祖父の人生が記されていました。

曾祖父の懐中時計
曽祖父はカリフォルアの果物の会社で勤続38年の記念に金の懐中時計を授与されていたのです。新しい奥さんとの結婚や日系人収容所に入るまでのエピソードが記されていました。どうしても確認できなかったパズルのピースを発見しました。

晩年の写真
サイトには晩年の曽祖父の写真が掲載されていました。ハートマウン収容所で撮影された写真です。曽祖父の背後にはハートマウンテンが見えました。収容所の宿舎も見えました。実直そうな顔をした曽祖父の背広のベストには時計の鎖が見えました。おそらくこれが会社から贈られた懐中時計の鎖でしょう。

曽祖父は故郷の親族からは忘れられた存在になっていました。大正期に1時帰国、妻の死亡届を日本に役場に出したという記録がありました。しかし何十年も生き別れになっていた子どもたちとの関係はよくは決して良い関係ではなかったようです、交流した記録や証言はありませんでした。

しかし曽祖父は米国で外国籍の方と結婚し、新しい家族を持ち、幸せに暮らしていたようです。真面目に会社に勤めていましたが、日米開戦の翌年には、家族とは離れ1人で収容所に送られたそうです。

曽祖父の人生のパズルのピースがほぼ揃いました。曽祖父は自分のこの姿を見つけて欲しかったのでしょうか。娘と2人で資料を整理し、大急ぎでパワーポイントを修正しました。

米国での調査
曽祖父が勤めた会社の資料は現地の大学に所蔵されているようです。現地の広島県人会、日系の新聞社、一時帰国の詳細な時期を確かめたいので出入国の記録も確認してみたいです。

そして曽祖父の墓所の場所は確認しています。現地には親戚にあたる曽祖父の子孫もいます。しかし私が現地調査を行うには、知的障害者の息子のことがあり難しいでしょう。

奇しくも2023年は、曽祖父が生まれて150年めにあたります。この発見を今日、実家に集まる親戚たちに、報告する予定です。誰かにバトンを渡せるかもしれないと希望を持ちながら伝えてきます。

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