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「走れ、長崎」②長崎は今日も晴れだった。

昨夜、集まったみんなは、それぞれの場所へ分かれて行きました。

翌朝、早くに目が覚める高齢年代の私と三重さんは、早朝の散歩に出かけました。ちなみに息子はホテルでお留守番です。坂道を降り出島を抜けて海まで歩きました。

街がコンパクトなので、移動がしやすいです。

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朝ご飯を食べて、路面電車で移動。終点の石橋で下車し、住民の足、無料のグラバースカイロードで山の上に登ります。そこからグラバー園に入園しました。

快晴のグラバー園です。さすがスーパー晴れ男の息子がメンバーにいると、どこへ行ってもお天気に恵まれます。しかし風が強くて日傘は使えませんでした。

こちらで産業遺産のDVDを見ました。軍艦島こと端島には行かなくても満足でした。長崎出身さんによると、見学ツアーは船で往復なので、半日はかかります。テレビなどで映される映像の場所には、危険で立ち入り禁止の場所が多いそうです。天気が良くて、時間に余裕があれば見学はいいかもしれませんね。大浦エリアには、軍艦島デジタルミュージアムもあります。

フリーメイソンの門

グラバー園から坂道を降り大浦天主堂へ歩きます。

隣の資料館が良かったです。西洋の建物だけど、日本の大工が造っているから、そこはかとなく日本的な箇所もあり、興味深い建築物でした。特に階段部分は素晴らしく、表現できない自分の国語力が情けないです。ついでに写真を撮影するのも忘れるぐらい見つめていました。

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出島まで歩いて、途中でランチを頂きました。路面電車に乗って原爆資料館を見学しました。広島の資料館よりは、コンパクトでした。

資料館から平和公園までが、かなり距離がありました。

広島のように明確な祈りの場所が見つからない…俯瞰してみると、彫刻が多くて、たんなる公園のようでした。あえてそのような場所にしたようです。

やはり長崎には、広島の原爆ドームのようなシンボル的な歴史的遺物、モニュメントらしきものが見当たりませんでした。どちらが良い悪いはありません。ただ戦後この地に立ち、歴史的な悲劇の後世への伝え方の明らかな違いを感じました。

昔この理由や被曝のマリアに関する本を読みましたが、タイトルは忘れました。要するに複雑な当時の大人の事情があるようです。

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「この子残して」「長崎の鐘」の永井隆先生が、晩年を暮らした如己堂と長崎市永井隆記念館を見学しました。同じ敷地には永井隆記念館もあります。

修学旅行の中学生たちとすれ違いました。私は子どもたちが、見学をして「怖い」「可哀想」で終わらず、なぜ戦争が起きたか、どんな時代だったのかを考えて欲しいと願いました。

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ホテルに戻って、三重さんは休憩。私は息子が本屋へ行きたいとせがむので、イオンの本屋へ連れて行きました。息子はしばらく本屋へ放牧、その間にイオンで買い物をしました。太宰府の梅ヶ枝餅を売っていたのでオヤツに購入。焼きたてです。

疲れ対策に、入浴剤を購入しました。三重さんにも手渡しました。

息子は気に入った本が見つからずに不満顔です。ホテルに戻り、おやつの梅ヶ枝餅を食べたら眠ってしまいました。

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息子が昼寝柄起きないので、三重さんと出島に見学に行きました。以前、ブラタモリの番組を見ていました。出島は建物を再建しそこの展示物も見応えのあるので、しっかり見学しました。

なのに出島の写真は、こんな感じです。お肉を食べたい私の深層心理かな。

なぜミフィ…オランダ繋がりでしょうか、目立たない場所でキラキラ輝いていました。出島では、おかしな画像しかありません。

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晩御飯は念願の吉宗です。観光客が列をなしていました。長崎出身さんから、お店には下足番がいると聞いていましたが、下足番のおじさんがきびきびとお客を捌いていました。

もうお腹いっぱいです。

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ホテルに帰ったら24000歩に、ちょい足りないから、三重さんとコンビニでビールを買いに行きました。

めでたく24273歩になりました。ちなみに朝の7時に突出しているのは、海辺の散策に寄るものです。

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