香港の問題と過去の政治の勝者との関係について考えた見て


中国のやり方は問題であり擁護はしませんが、そもそものことを言うマスコミとかはないのかな?

まずは、ここ最近の香港の出来事は国家と自由を求める人達の中で何が良いのか悪いのかを色々と考えさせられるものがる。

香港の問題は本当に深刻だし、民主主義の国から見た時には恐怖に近い感じを持ってしまう
でも、暴力的なやり方だったり、一方的なものごとの進め方については非常に強い疑問を持っている。
中国に限らず国家というものは、国家が主体でありそこにいる国民よりも国家が成立することを第一に考える組織なんだなと感じてしまう。
国民がいるから国家が成立するのか、国家があるから国民があるのか・・・
立場が違えば考えは全く異なっているんだろうね。
で、中国のやり方はあまりに強引過ぎるという印象を受けているのは間違いないんだけどね。

ということで、少し、かなり視点を変えて考えて見た。
きっかけは、今司馬遼太郎の明治維新関係の歴史小説を何度目かは忘れたくらいに読み続けており、その中で日本が攘夷という当時のアメリカを初めとする外国に向かったもの凄い力が働いた原因を目の当たりにしている。
それは、中国のアヘン戦争とか、マカオ、上海、香港を欧米の列強が植民地として無理ヤリ手に入れていることなどが攘夷というものの原動力となり、それは言い訳に過ぎなかったが結果的に日本で倒幕に結びついていること。
当時の東南アジアは列強に強引に不平等条約を結ばされ、半分・いやほとんど強引無理ヤリに土地の所有を約束されてしまい、そこは治外法権で貿易などの利益は全て列強が持っていき、現地の人達は奴隷同然に扱いとなっていることを見た日本人たちが、このままだと我々も同じことなっていまうという危機感から、徳川幕府と皇室の二重政権状態から列強へと立ち向かうために強い日本政府という仕組みを作ることが倒幕という手法になったということは事実だと思う。
そんな時代に植民として都合の良い租借権をイギリスに結ばれたのが香港である。
以下Wikiからの引用です。
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イギリス植民地時代(前半) 1842年 - 1941年
1843年(道光23年)6月、初代香港総督にサー・ヘンリー・ポッティンジャーが就任、植民地としてのイギリス統治が開始された。更に1856年(咸豊6年)に勃発したアロー戦争の結果、1860年(咸豊10年)に北京条約が締結されて九龍半島もイギリスに割譲される。なお、1873年に日本の岩倉使節団が香港を市内見学しており、当時の様子が「米欧回覧実記」に記されている[1]。
そして、イギリスをはじめとした西欧列強による中国進出の圧力が強まる中、イギリスは清朝に迫り1898年(光緒24年)7月1日には九龍以北、深?河以南の新界地域の租借に成功した。この地域の租借期限は99年間とされ、1997年6月30日午後12時をもって切れることになっていた。
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産業革命を実現したイギリスを始め、欧米諸国は先を争って世界中に進出していき、植民地化して自国の権益と利益の拡大を図っていった時期がある。
これが帝国主義というもの(だと思っている)
この帝国主義の考えを基にして、アジアなどに進出してきて、不平等条約を軍事力という暴力により締結して、治外法権だったり租借地の提供だったりを実現していったわけであり、その代表格が香港でありマカオだったりするんだよね。

そうして実質的に自分の国と同じような政策を採り、自分の国と同じような経済圏に組み込み、そこに住んでいる人達も自分の国と同じような対応をしてきたわけなんだよね。一部は地元との貿易の利益を生み出しているものがあったかもしれないけど、少なくとも香港はほぼ英国と同じような文化とかを根付かせることも含めて100年くらいの年月を植民地として支配してきたことは事実だと思う。
イギリスの考え方を基にして100年間の歴史を積み上げてきた訳だ。それが、色々な交渉の元に本来の国に戻った時に、そこには今まで民主主義という政治形態の中で生活してきたものが、1夜にして社会主義(共産主義)というような政治形態が変化した訳だ。
で、激変緩和の政策は採っていたのはそうかもしれないけど、返還された香港に住む人達は100年以上も前からの生活にどっぷり浸かり、民主主義/資本主義のもとで自由な活動をしてきたものが、ある日をもって突然社会主義(共産主義)の政治体系の中に組み込まれたら、現在起こっているような状況になるのは火を見るより明らか何だよね。
だから、返還後に100年だか50年だかは一国二制度という仕組みを継続するというようなやり方にしたんだよね。
でも、もはや香港は中国の一部の地域として整理されている中で、かたや民主主義で政治批判はガンガンして、政府批判をし続けることをやるわけだから、その国を支配している為政者からみたら堪らないだろうね。
で、だからといって人権を無視したようなやり方は問題があると思うし、それはやっては駄目な事だと思う。
しかし、もう一方の見方をすると、そもそもその原因を作った国とかから文句を言われるのは心外で有り、中国からすると世界の国から文句を言われるのは内政干渉だというように考えることも少なくとも一理はある論旨だと思う。

で、何が言いたいかというと、今の香港で行われている色々な問題については、本当に問題だとは思うが、その様なことを招いた植民地政策、不平等条約などの負の歴史のことを誰も何も言わないことに対して非常に強い疑問を感じているということ。
テレビを沢山見ているわけでもないし、この記事を追いかけている訳でもないけど、この様な植民地政策の遺産が今回の原因1つではないかという西洋諸国の自省をこめたものがないのは、まぁ仕方ないのかなとは思いつつも、いつの時代の勝者に都合良い理屈のみが成立するのが政治の世界なんだなと実感している今日この頃です。

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