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人が考えることをアクティブにする。朝のオ(フ)ラインフォトサロンへいったら、次にやるべきヒントがみえてきた。

「きっと写真が好きじゃないんだと思うんですよ。」

小川町、朝7:00。わたしのとある金曜日はこの言葉からはじまった。

ここは鈴木心さん(鈴木心写真館)の朝のオ(フ)ラインフォトサロン。

わたしなんかが行っていいのだろうか?と思ったが、指が勝手に問い合わせをしていた。半分勢いで申し込んだため、意外とすんなり申し込めて驚きを隠せなかったが、あまり深く考えずにその場で思いついた悩みを書いた。当日席に座って、すぐ言われたことば、それが冒頭の言葉である。

鋭い朝の日差しのように、その言葉はわたしの心に鋭く刺さった。すべてを見透かされているようで、答えがうまくでてこなかった。

鈴木さんが準備をしながら話してくれる。ちなみに、朝のオフラインフォトサロンは鈴木さんこだわりのお手製朝食付きだ。まず最初に出てきたのは爽やかなレモンとジンジャーの飲み物。

・無農薬レモンでつくったシロップ・奥会津の炭酸水・生姜

富山のピーターアイビーさんの薄口グラスピールの苦味とが爽やかな香りを運んでくる。少し暑くなってきた朝にはぴったりのジュースだ。人の体にはいるものだから、どんな人がつくっているのかがわかるいいものを使いたい、鈴木さんのそんな想いが詰まっている。

コミュニケーションの設計

話はなぜ鈴木さんがCtoCを大切にしているのか、なぜコミュニケーションなのかへうつる。

たとえば、高級なお店であまり楽しくない人たちと食事をするのと、大衆居酒屋でも楽しい仲間と食事をするのは圧倒的に後者の方が楽しく感じる。これはその場の雰囲気を重視しているからである。

写真も一緒で、コミュニケーションの取り方で被写体との雰囲気をつくる。たとえばその辺のゴミをもいいと思ってもらえるほどのコミュニケーション。それは別に礼儀正しいだけが正解ではなく、多少ぶっ飛んでいても、相手が不快にならないような自分が楽しいコミュニケーションを取ることで、相手にテレパシーのように心を伝え、相手の心を開くことができるようになるのだと。

写真を撮るのも人だし、写真を撮られるのも人。写真って一瞬のものだから、楽しいを設計することも大事な要素のひとつなのだと鈴木さんは言う。

写真とは読み物である

とにかく「写真集をたくさんみるといい」というアドバイスをいただいた。作家の撮っている作品とタイトル、そしてその作品と自分の間にあるもの、それを文章のように、なぞなぞのように読み解いていく。とにかく80年代や70年代の写真を大量にみて、自分の感情を読み解いていくことで、撮り方がわかったり、ひらけてくると教えていただいた。

写真を大量に見ることは、写真の整合性や破綻しない写真を理解することにもつながる。あと近代アートや美術館ももちろん見たほうがいい。とにかくいろんなものに複合的に接していくことでよりみえてくる世界がある。

自分にしかできないことは何か

機材について考えるべきは、どの機材が良いかではなく「つくった人が何を考えてつくったのか」を考えることが重要なことも教わった。レンズでもなんでも、必ず設計者が意図している距離や設定がある。

機材に自分を合わせるのではなく、自分に合う機材を選ぶ。一般的に言われるような「こうじゃなきゃいけない」はない。

この先、AIが発達してくれば、次第に機材の差はなくなってくる。では「その時に自分しかできないことは何か」、これこそわたしたちが今から考えておくべきことであるが、これを考える時間はなかなか設けられていないのが現実である。

この日の朝ごはんは、チーズとヨーグルトの中間のような珍しいペースト状のチーズと、10年熟成の味噌、そして今日初お披露目の「にしだのうめぼし」とチーズの組み合わせ。「味、どうですか?こっちのほうがいいですかね?」という感じで鈴木さんがいろいろ試行錯誤しているのを一緒に味わうことができる、なんとも贅沢な時間だ。

自分の中にあるものを自己肯定することで、個性のルーツを探る

自分の中に脈々と流れているもの、それは意外と過去の自分の初期衝動にヒントがあるらしい。

☑︎最初に衝撃を受けたもの(10代の頃の衝撃)
☑︎愛を持てるもの(本や絵本、ゲームなどでも)

こういう自分の中にあるものに触れることも、自分の個性を知る手助けになる。昔撮った写真を見返すのもいい。構図や雰囲気の癖は近年築かれたものではなく、昔からもっているものである可能性が高い。それを自己肯定していくことで個性が見えてくる。

効率化できないところにヒントがある

鈴木さんが珈琲屋をやる目的は「人が考えることをアクティブにする」学びの場をつくりたい、それを写真館に併設している珈琲屋で実現させたいのだという。マニュアル化されてない、メニューもない、いろんな人を巻き込んで新しいものが生まれていく、珈琲屋付き写真館。

何事も効率化されていく時代だからこそ、やっていかなければいけないことがある。効率化できないところにこそ、私たちがこれからやるべきヒントがある。それを可視化し、少しずつスケールを大きくしていくこと。

このラテアートひとつとっても失敗の連続だったけど、何百回かやっていたら、突然ミルクを注ぐ角度の問題だとわかった。こうやって自分の足で、少しずつ試行錯誤しながらどこまでやれるのか、と楽しそうに語る鈴木心さんを見て、この街の一角にある珈琲屋がこれからどんな進化をしていくのか楽しみでしょうがなくなった。すっかりわたしはこのお店と鈴木さんのファンになっていた。

また必ず訪れます、という再訪の約束をし、わたしは店を出て、まだ朝の眩しい日差しが差し込む道を一歩づつ歩き出した。

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(追記)

この日の出来事をうけて書いた自分の記録用のアンサーnoteです。超個人的なとくにオチもない、たわいもないお話です。


「おいしいものを食べている時がいちばん幸せそうな顔をしているね」とよく言われます。一緒においしいもの食べにいきましょう。