現実味

アプリが落ちまくって書けなかったから、久しぶりの投稿。

唐突だけど、キラキラしてるのが苦手だ。大抵の場合、キラキラしてるのはイミテーションだ。虚飾の上に立たされてる。ステージ衣装が、ものすごいキラキラしてるのに、いざホンマモンを見てみると、

ん?ショぼいなこれ……。

とか思うのと似てる。

別にエンターテイメントを否定したいわけじゃない。何がエンターテイメントになるかなんて、それこそ千差万別で、どうにかしてエンターテイメントの定義をしようと思っても出来ないだろうしね。

虚飾に夢を見るのは全然良い。憧れの世界、良いじゃないか。でも、虚飾と現実の境目が無い人が多くて仕方ないんじゃ無いかと思う。

ネットの中の人格とか言われる意味わからんものもそうだろう。何故、匿名だと攻撃的になれるのか僕には意味が分からないが、そういう人もいるし、こうやって綴られた文字は意外と無慈悲なことに気づいてる人が少ないのかもしれない。

救い用のある話や、美談や、英雄譚は気持ちいい。そこに、一切の現実味が無いからだ。現実味のある話というのは、なかなかにキナ臭い……。どうしても、どこかに頑張ってフィルターしないと死にそうになる気持ちも分かる。

でも、結局、現実味があることにしか答えはない。ぶっ飛びコンサルタントの魔法のような答えなんて存在しない。結果、コンサルタントの一番初めの仕事が現実を見せることであるように。現実味のある話はどっかシンドイ。

でも、そのシンドサと闘うから仕事になったり、お金を産んだりもする。楽して金稼いでいるように見える人ほど、溺れるぐらいこういう話に塗れてるもんだ。

だから、キラキラした人はどうも胡散臭い。その胡散臭さが当たる場合もあれば、外れる場合もあるが。もっと、見ててシンドイ人はそういうキラキラに心酔してる人だ。違う言い方をすると、考えるのをやめた人だ。

考えるのがめんどくさいから、宗教はあるし。会社はあるし、社会はある。歯車の方がよっぽど楽やから。

でも、それでええとは俺は思わんので、現実味がある方にある方に舵を切っていこうと思う。好きなものに溺れて堕落した生活するのは後からでも良い。それでも、充分に好きなものに囲まれてるんだけどね。

だから、キラキラした人になるんじゃなくて、朴訥な人になるっていうモデルがそろそろいるんじゃねえかな?と思った次第。

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