希望の形
希望に形があるんならどんな形だろう?
丸?三角?はたまた、四角?
そんな単純な話でないのは誰でも分かってる。
希望に形があるとしたらどんな色だろう?
果てなく広がる空の色なのか?緑が萌える新緑の風景だろうか?
そんな分かりやすい事じゃないのは誰でも知ってる。
些細な言葉や、些細な瞬間が人にとっての希望や、絶望を左右してる。
どーでもないことで、声を荒げたり
些細な事で涙したりする。
どうあれ、僕らは残念ながら希望にすがらないと生きてはいけないらしい。
絶望に塗れて生きていたとしてと、細やかな何が希望になったりするんだろう。
希望が足りない、そうは思わないかい?
それは絶望で満たされてるからではない。
希望を作る回路が故障しかけてるからだ。
何千万円、何億円、何兆円もってても
使い方が定まらないお金に意味はない
どれだけ自由でも、不自由を知らないなら、自由であることが苦痛だ
やらなきゃいけないことに押し潰されそうでも、何もやることがないよりはマシだ
全ての価値は、どこか背反してて。どこか、不確かだ。
希望なんて代物は、もっと不確かだ。意味分からんし。
でも、見えないし、追えないし、作れないから
希望が欲しい。
それが、無い物ねだりでもだ。
神様が存在するとか、サンタクロースがいるんだ!と無垢に信じるのと同じぐらいの脆さだよ
でも、良いじゃん。誰の側にも絶対あるんだから。
形なんてないし、見えもしない
だから、希望って言うんだよ。
そう思う次第。
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