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哲学や倫理学、なかでも現代思想・現代哲学・生命倫理・医療倫理を専門にしています。障害者…

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哲学や倫理学、なかでも現代思想・現代哲学・生命倫理・医療倫理を専門にしています。障害者が生きていけるための倫理学を模索しています。社会運動、とりわけ障害当事者による運動をベースに、思考を展開しています。これまで、単著を2冊出版させていただいています。

最近の記事

コロナは終わってなどいない――障害者とコロナ

 2023年5月5日、WHOのテドロス事務局長は、3年3ヶ月続いた新型コロナウイルス感染症(以下「コロナ」)による緊急事態宣言の終了を発表しました。日本においても、同年5月8日から、コロナの感染症法上の扱いが2類から5類へと移行し、季節性インフルエンザと同等の扱いとなりました。さらに、同年5月11日からは、米国でも国家緊急事態と公衆衛生緊急事態が解除されます。私の身近においても、街行く人々はノーマスクが増え、一部のコンビニではレジ店員と客との間の透明な仕切りが撤去され、コロナ

    • 【書評】 藤木和子著『「障害」ある人の「きょうだい」としての私』(岩波書店)

       著者の藤木和子さんは弁護士であり、旧優生保護法による強制不妊手術に関する裁判においても弁護団として活躍されているが、聞こえない弟を持つ「きょうだい」でもある。本書は、藤木さんが「きょうだい」としてこれまで感じ考えられたこと、「きょうだい会」で話されることとよく話されるテーマについて、そして、ヤングケアラーについてと、大きく3つの内容で構成されている。  「弟とケンカをすると、親や周囲の大人からは「お姉ちゃんなのに」、「弟は聞こえないのだから」とよく言われていました。そう言わ

      • 兵庫優生裁判決起集会報告

         7/4(日)、兵庫県の旧優生保護法による不妊手術の裁判において、判決に向けた決起集会が神戸市総合福祉センターで開かれました。私はオンラインで参加しましたが、主催者発表によると、会場参加者が120名、オンライン参加者が127名とのことで、注目を浴びたものになりました。  まず、日本障害者協議会(JD)代表の藤井克徳さんから、「ナチスドイツのT4作戦と優生思想――日本の優生政策の源流を探る」という講演がありました。以下、藤井さんの講演要旨です。  優生思想の被害については、「過

        • 「性行為中心主義」を考える

           「性行為はコミュニケーションである」「性欲はどんな形であれ、誰もが持ちうるものだ」、私は、こうした言葉に触れると胸がザワザワする。  私は、生きてきて48年間、性行為というものをしたいと思ったことがない。そして、連れ合いを含む誰に対しても、性別は問わず性欲というものを持ったことがない。「性欲とは何だろう?」というのが正直なところだ。四半世紀前、アルバイト先で「一緒に風俗に行かないか?」と言われたことがあるが、そもそも身体的な接触を伴うコミュニケーションが、私にはとても受け付

        コロナは終わってなどいない――障害者とコロナ

          『相談支援の処「法」箋――福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)

           弁護士の青木志帆さんの新著『相談支援の処「法」箋――福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)を読みました。帯の謳い文句には「断らない相談支援――この「無茶ぶり」に備えるために」とあり、出てくるケースも、高齢者、障害者、ギャンブル依存、ひきこもり、シングルマザー等多種多様。そして、この本の最大の特長であると思われるのが、それらが微妙に絡まったケースばかりで、より実態に迫ろうとしているところです。実際問題として、相談が持ち掛けられるケースというのは問題が複合していること

          『相談支援の処「法」箋――福祉と法の連携でひらく10のケース』(現代書館)

          『マザリング――現代の母なる場所』を読む――「母」の転轍、そしてその先へ

           障害者運動は、「母」の暴力的な側面、すなわち、障害のある胎児や子どもを殺す存在としての「母」に照準を当ててきた。言うなれば「母」の健全者性、社会の写し鏡として障害のある子を「愛の名のもとに」殺すということを糾弾してきた。ではなぜ、「父」ではなく「母」だったのか。それは言うまでもなく、女性ジェンダーこそが、「愛の名のもとに」社会から無償のケアを行う主体として期待されているからだ。この社会は、「母」に、「愛の名のもとに」障害児(や高齢者)のケアを無償で担わせ、またときには殺させ

          『マザリング――現代の母なる場所』を読む――「母」の転轍、そしてその先へ

          多様な性が尊重される社会へ

           自民党は今国会での「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」(LGBT法)の提出を見送る方針である。法案じたいの問題(なぜ「差別禁止」でなく「理解増進」なのか)や、このような「理解増進」にとどまる法案すら提出が見送る方針であるなど、問題点は数多くある。そのうえ、この法案を議論する自民党の審議会において差別発言があった。このことこそ、自民党内の問題にとどまらず、LGBT等性的マイノリティ当事者がこの社会においていかに生きづらいものであるかを示したものではない

          多様な性が尊重される社会へ

          新書案

          以下のような感じで、障害者問題から倫理学理論を考える新書を出したいと考えています。ご興味のある編集者の方、そのような編集者を知っているという方がいらっしゃれば、ご連絡いただけると幸いです。 目次案 序 障害者問題の中核は倫理学の問題である 第1章 障害論の基礎 1 障害の医学モデルと社会モデル 2 戦後日本の障害者運動(1)青い芝の会の思想を中心に 3 戦後日本の障害者運動(2)1980年代以降の障害者運動 4 優生思想と障害者(1)優生思想の歴史 5 優生思想と障害者

          新書案

          【書評】 立岩真也著『介助の仕事――街で暮らす/を支える』(ちくま新書)

           障害者界隈では有名な「重度訪問介護」(以下「重訪」)、しかしまだまだ世間的な理解は「介助=(高齢者の)介護保険」。この本の第6章までは立岩さんが重訪の従業者養成研修の講義で話された内容を基にしており、「使えない」(p.72)介護保険ではなく、「介護保険よりマイナー」だが「利用者にとってみれば使い勝手がいい」(p.74)重訪という制度に基づく介助に関する話である。  序で簡単に、「新型コロナウィルスのことで人と人とが懸命に距離を取ろうとしているこの年に、介助(介護)という、人

          【書評】 立岩真也著『介助の仕事――街で暮らす/を支える』(ちくま新書)

          『パンデミックの倫理学』を読む――「倫理を問う」とはどういうことか

           「医療の世界にも倫理(学)が必要だ」とよく言われる。それはその通りであると私も思う。しかしこうしたことは、私の思いとはかけ離れた意味をもって言われる。それは、このような場面である。 「患者が死にかけている。しかし、医療資源が足りない(医療にかかる人が少ない、患者が死ぬに任せてくれと言っている、などに置き換えも可能)。医療者は、患者を助けるべきか」。  そして、そのような場面において、倫理(学)は視座や指針を与えてくれる、というのである。そして、そのような期待を倫理(学)

          『パンデミックの倫理学』を読む――「倫理を問う」とはどういうことか

          障害を倫理学的に考える――障害者としての経験を踏まえながら、社会の原理原則を捉え直す

           私の研究は、どんなに重度の障害があっても、その人の存在が無条件に肯定される社会の原理を追求しています。つまり、どんな能力や属性を持った人であっても、その人の存在を無条件に肯定できる社会とはどのような社会なのか、ということを検証することを目指しています。それは、目の前にいる人を「ありのままの自分」として認めるということではありません。どんな人でも無条件に生きることが許される社会が正しい種類の社会であると考えること、つまり正義の理論、無条件に生きることを肯定することです。  

          障害を倫理学的に考える――障害者としての経験を踏まえながら、社会の原理原則を捉え直す

          大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03)を批判する

          大西つねき氏の「命、選別しないと駄目だと思いますよ」を読みました。 何か目新しいことを言っているのかとドキドキしながら読みましたが、まぁ何のことはない、昔からよくあるパターンの高齢者叩きでした。 若者と高齢者との間で命の価値序列をつけているという点で、「譲」カードなどとも符合するものであると言えるでしょう。 高齢者は死ぬ確率は高い これは何の話をしているのでしょうか。おそらく、高齢者は若者に比べて平均余命が短いと言っているのでしょうが、平均余命が短いからといって、死なせて

          大西つねき「命、選別しないと駄目だと思いますよ」(2020/07/03)を批判する

          「生の無条件の肯定」と Black Lives Matter

           私は、『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』(白澤社、2011年)において、次のように書きました。 「正義というものが存在するのであれば、それはどのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない。生の無条件の肯定が、倫理的命令である」(p.193)。  このように、私は「生の無条件の肯定」すなわち「どのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない」ということこそが正義の命ずるところだと主張しています。  それでは、このような立場からは、黒人であるジ

          「生の無条件の肯定」と Black Lives Matter

          生存権の射程

          「2013年8月以降の生活保護費引き下げは生存権を保障する憲法25条と生活保護法8条に違反するとして、愛知県内の生活保護受給者が自治体と国に引き下げの取り消しなどを求めた訴訟の判決が6月25日、名古屋地裁で言い渡された」。 この判決は、まさに「生存権」を争うものであろう。なぜなら、生活保護費は「健康で文化的な最低限度の生活」水準を維持するものである、と考えられるからだ(実際問題として、生活保護の水準で生存を守ることすらままならないのではあるが)。 さて、そこで、である。

          生存権の射程

          死刑と憲法11条「改正」

           3月16日の一審判決で、被告にたいして、大方の予想通り、死刑の判決が出た。判決の理由は以下であるという。 「本件において、量刑上最も重視すべきなのは殺人罪、とりわけ19名もの人命が奪われたという結果が他の事例と比較できないほど甚だしく重大であることである」。  つまり、「19人もの人を殺した人は、その生存権を奪ってもよい」と司法は判断したのである(被告は、「「人間」を殺したのではない」と言っているが)。言い換えれば、死刑というのは「ある状態に置かれた人間には生存権は与え

          死刑と憲法11条「改正」

          U被告を死刑にしてはならない

          相模原障害者殺傷事件 検察が死刑求刑 植松聖被告 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200217/k10012288741000.html 昨日私は、出先で知りました。 予想通りとはいえ、がく然としました。 U被告は、死刑になってはいけないと、私は考えます。 「あなたを絶対に許さない」美帆さんの母親 陳述全文 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200217/k10012288871000.html

          U被告を死刑にしてはならない