ことばの可能性と限界――「当事者」のことばについて考える

はじめに
 人類はことばを使う。他の動物にも「言語」は存在するかもしれないが、人間はことばを使う。現にこの論文もことばを用いて書かれている。
 ことばは、何かを伝えるために発せられ、それが理解されることによって受け止められる。ことばは、相互理解のためのひとつの可能性である。
 だが、発せられたことばに関して、伝えられた意味がそのまま理解されるとはかぎらない。発信者と受信者とが異なれば、そこにズレが生じる可能性がある。また、発信する側においてすら、ズレは生じうる。伝えたいことと発信することばとが異なるときがあるのだ。そしてこのことは、多くの人々が経験しているのではないだろうか。
 本論文では、ことばに関するこのようなズレについて考えてみたい。とくに、「当事者」と呼ばれる人たちのことばに焦点を当て、このようなズレについて考えることで、ことばのもつ可能性と限界について考えてみたい。

1.「当事者」ということばがすでにズレている
 1.1 拙論への言及
 私は、2004年に「当事者性の再検討」という論文を書いた(野崎 2004)。その内容は、「当事者」という概念の曖昧さを整理し、あらためて「当事者」が発することばの意味や価値について考えてみようとしたものだった。いくつか、拙論に触れた論文があるので、それらを見ておく。
 貴戸理恵は、次のようにまとめている。

「野崎泰伸(2004)は、みずから「当事者」として関わる障害者問題を事例としながら「当事者」概念の批判的検討をはかる。野崎は、「当事者を尊重する」という主張に対し、その重要性を指摘しながらも、「しかし、当事者の何を尊重するのか、誰が尊重するのか、そもそも尊重するとはどういうことなのか......それ以前に、「当事者とは誰か」という問いに、私たちはどう答えるべきなのであろうか」と問う(野崎2004:75)。その上で野崎は、「当事者」に固有の語りはあるとしても「当事者が語ればすべて正しい」というわけではないこと、ひとりひとりの当事者の経験は障害者一般の経験に敷衍されないこと、その一方で、代表・代弁は原理的に不可能とされるべきではなく、実生活上それが必要とされる局面では「いかに代表・代弁が可能か」というアプローチが求められることなどを主張する」(貴戸 2007:88)。

 心光世津子は、次のように記す。

「当事者とされる者の立場から、当事者の語りや活動が無条件に称揚される傾向、当事者として一括りにされること、一部の発言を当事者一般へと敷衍する傾向を指摘し、異議を呈する者もいる(野崎 2004)」(心光 2010:62-63)。

 平野智之は、次のように述べる。

「野崎(2004)は、本人と関係者全員を「当事者」であると設定し、当事者と関係者(援助者)の関係性において批判的な意見が行き来する回路が成立しうるかという視点から当事者性の再検討を試みる。野崎は、自分が障害を有する研究者として、当事者性をもって自分に都合のいい主張や他の「当事者」の代弁をする危険性(倫理的課題)に触れる。その点では、たとえ「当事者の語り」が本人の体験と感情が事実によって支えられた唯一性によって〈重み〉を持つとしても、その〈重み〉は決して正当性を担保しないことになる。むしろ、〈重み〉を大切にしつつ他者の批判的介入を受け入れる立場が重要視されるべきという。そこで、「当事者」にとって他者である介護の援助者を「援助行為を行う当事者」と規定し、当事者概念を本人概念と関係者概念に分けることを提唱する」(平野 2012:101)。

 また、佐藤智恵は、拙論に触れつつ、以下のように「当事者」概念をまとめている。

「近年、医療現場などの分野で、その人しか経験し得なかった出来事を扱う際、「当事者性」についての議論が見られる。「当事者」という言葉や概念については、医療現場、社会福祉学、障害者、女性運動や社会運動に関する場面で多く見られる(野崎,2004)。一方、「ニーズを持った時、人は誰でも当事者になる」(中西ら,2003)という考えや、「問題の中核で状況をよく知っている人」(松岡,2006)、病気や障害など社会的弱者やマイノリティな存在であるなど「何かが不自由な状態」(小木曽,2006)、「ある事柄に主体的に関与する人」(樋口,2010)と、当事者をより広義に解釈し定義しているものもある。中根(2010)は、「当事者」は「他ならぬ経験をした私」という「一人称」の存在であると述べ、研究という「三人称」の俎上に「当事者」を載せることの困難さに触れながらも、「経験を聞く」という行為そのものが当事者と研究者の「二人称」の関係を生起させ、生きられた現実をあらわすと述べている」(佐藤 2015:13)。

 拙論に言及している論文も、多種多様であり、このことじたいが「当事者」概念の多様さや曖昧さを示すものであるとは言えまいか。さらに平野は、拙論に対して「非当事者に着目した当事者概念に広がりは注目に値する」(平野 2012:101)としたうえで、次のように述べている。

「ここでの関係者概念はあくまで「当事者」と対応した倫理(私の援助は本当に必要を満たしているか等の悩み)として設定され、関係者のこうした「揺れ動き」が、関係者(非当事者)自身の問題に返って持つ意味までは言及されていない」(同 101)。

 「当事者」概念を固定化したものと捉えず、本人と関係者とのあいだで交わされる相互作用を反照的に取り入れて流動的なものとみなす平野の論考は説得力がある。ではなぜ、平野のような捉え方が説得的であると言えるのかについて次に考えたい。

 1.2 〈生きづらさ〉の多様化と「当事者」概念
 上記の議論からうかがえることは、「当事者」概念はなんらかの〈生きづらさ〉と関係があるということであろう。〈生きづらさ〉をかかえやすい社会的属性にあったとしても、本人と関係者に特段〈生きづらさ〉が降りかかってこない場合、本人は「当事者」であると認識することが難しい。また、急性疾患や誰もがかかる病気(ここでは火傷や骨折、風邪や発熱を想定している)での〈生きづらさ〉を抱える当人を、私たちは「当事者」とは通常呼ばないであろう。
 貴戸理恵は、こうしたことを次のようにまとめている。

「では、生きづらさとはいったい何か。私はここで、生きづらさを「個人化した「社会からの漏れ落ち」の痛み」と定義しておきたい。「生きづらさ」という主観的で曖昧な表現は、それ自体、「生きることをめぐる痛み」が、もはや特定の状態や属性によって一枚岩的には語りえない、個人化された状態にあることを示している。特定の逸脱経験があるから、あるいはマイノリティ属性を共有するからといって、「あなた」と「わたし」が同じ苦しみのなかにあると素朴には想定し得ない。社会からの漏れ落ち方は多様化し、その痛みは、生きづらさという個人の身体感覚にまで切りつめられた言葉でしか表しえないものになっている」(貴戸 2018:90)。

 上記のように貴戸は、「生きづらさ」を3つに分節化している。それらは、①個人的なものであり、②社会をなすメンバーシップから零れ落ちているとみなされるような現象を指し、③それが「痛い」と感じること、である。たとえ、社会から逸脱していても、生きるのに「痛くはない」人は、生きづらくはないということになる。「そのため、生きづらさには「共有されなさ」あるいは「つながりにくさ」が織り込まれていくことになる」(同 90)。また、〈生きづらさ〉をかかえていたとしても、「生きづらさの原因が認識できない状態が、生きづらいのである」(同 91)。
 社会からの漏れ落ち方の多様化は、昨今の社会状況の不安定さとともに、非常に流動的な様相を呈する。私が知る支援現場においても、支援者は不安定な経済状況に置かれていたり、また支援者自身が本来であれば支援が必要であり、それが提供されずに苦しんでいたりもする。支援が必要であるので、転職等も難しく、また困難をかかえつつも働いてしまったりもするので、生活保護等の支援が必要とは認められず、結局そうした問題はないことにされてしまいがちである。こうしたなかにおいては、支援者が被支援者に対して「あなたは支援してもらえていいね、私も被支援の側に回りたい」という思いは容易に湧き上がってくるし、それが高じれば被支援者に対する暴力にもなりかねない。「部落出身者だから」「障害者だから」「在日コリアンだから」「女性だから」など、被差別カテゴリーのような固定化された〈生きづらさ〉とは別種の〈生きづらさ〉が渦巻いていていると言える。いわば「個別化された」〈生きづらさ〉であるからこそ、問題化されづらく、雲散霧消しやすいのである。
 近年、複合差別に関する問題がようやく浸透しつつある。とりわけ、ジェンダー平等の文脈において、マイノリティ女性が、マイノリティ属性としての差別と女性差別とを交錯的かつ重層的に受けるというように使われる。これも当然のことである。個別の〈生きづらさ〉など、ひとつの指標では語りえないのだ。また、本人のなかで〈生きづらさ〉の指標が社会的マイノリティのような「わかりやすい」ものではないかもしれない。複合差別の指標からすら零れ落ちる可能性もある。貴戸の言う「生きづらさの原因が認識できない」のも、そのためではないだろうか。
 このように、支援が必要な本人の〈生きづらさ〉も個別の要素が入り込み、また、支援者の側も支援を必要とする〈生きづらさ〉をかかえやすい社会状況のなかにあっては、〈生きづらさ〉も「当事者」概念も一枚岩で語ることはできない。むしろ、「当事者」ということばを語った瞬間に零れ落ちるもののほうが多いのではなかろうか。だからこそ、平野の言うような「関係者のこうした「揺れ動き」が、関係者(非当事者)自身の問題に返って持つ意味」が重要になってくるのではないだろうか。

 1.3 〈生きづらさ〉を語ることができるか
 たとえば、障害者の、障害をもつことによって生じさせられる〈生きづらさ〉というものに限定するならば、同じ障害者であれば理解が可能かもしれないし、〈生きづらさ〉を共有できるかもしれない。しかし、見てきたように、事態はそれほど単純ではない。〈生きづらさ〉が個別化・多様化することにより、同様に〈生きづらさ〉をかかえる人たちと〈生きづらさ〉を共有することが困難な状態になっているのではないか。
 野田彩花は、次のように述べている。

「「いかに優秀な歯車であるか」ということのみに価値が集まり、評価の対象となる社会は、本来「ナマモノ」である人間を「道具」として扱ってしまっている。「優秀な歯車」「使い勝手のよい道具」であることのみが評価され、価値の高いことだとされる。そういうまなざしは、人間がナマモノであることを忘れろ、許すなと言っているようで、私にはずいぶんと苦しいことに思える。
 なまあたたかくて、どろどろしていて、めんどうくさくて、いつかは腐っていく。人間って、本来はそういうものではないのだろうか」(野田・山下 2017:27)。

 人間は「ナマモノ」である、そう野田は言っている。人間を、ある観点から見るとその面が浮き彫りにされて見える、それは言うまでもないことである。そして、それが「生きるためのニーズ」に応じようとする際に、必要な場合もある。生きていくために社会が何を支援すればよいのか、それはまさにある観点、ある指標を用いて、人間をその面から照射するということを行なっている。しかし、野田の議論を踏まえれば、そこにこそ〈生きづらさ〉を生じさせてしまうことになる。社会制度を用いて支援しようとするということは、「ナマモノ」の身体を、社会のことば、制度のことばつまり法律の条文に出てくる語句によって分節化しようとする行為でもあるのだ。支援が、制度のことばによって名づけられたものであるかぎり、その名前によって切り取られてしまう。支援を受けたいのは「ナマモノ」の人間であるはずなのに、制度のことばで切り取られた身体しか支援の対象とならないわけである。これは本末転倒である。
 これは、〈生きづらさ〉というものを言語化した途端、みずからの〈生きづらさ〉とのあいだに乖離を感じる、ということではないのか。言い換えれば、みずからの〈生きづらさ〉そのものを言語化することは原理的に不可能であり、それを言語化したつもりのものとのあいだにはかならず過不足が生じるのではないのか。そして、〈生きづらさ〉とはそういうことでしか表しえないなにものかである、と言うしかないのではなかろうか。
 「当事者」ということばが、〈生きづらさ〉をかかえたものであることを含意するならば、「当事者」ということばによって連帯をするということもまた困難になってきているのではなかろうか。〈生きづらさ〉は個別化・多様化しつつあり、またある枠組みによって「当事者」の〈生きづらさ〉を分節化し画定しようとするならば、それは暴力的でさえある。何らかの〈生きづらさ〉の「当事者」である、と言うとき、すでにそこにはことばによって分節不可能な何かが埋め込まれることになる。
 「誰もが「当事者」になるし、「当事者」である」と言われる。その程度には「当事者」ということばによって指し示される人たちが多義的に、また多様になったということでもある。従来、「当事者」ということばによって図られていた連帯が図られなくなってきたように思えるが、それはそのためではなかろうか。「当事者」と呼ばれうる人たちの多義化や多様化は、共通のニーズを満たすことによって〈生きづらさ〉を軽減する、という性質を薄くしてしまった。当然、共通のニーズを満たせない場合において、社会に対してその充足を求めていくような「当事者運動」も、〈生きづらさ〉を解消するものが共通のニーズではないため、転機に立たされざるをえない。
 しかし、このことでかならずしも悲観的になる必要はない。そもそも、「当事者」ということばがズレていたのだ。本来ならば個人でまったく別様に現れる〈生きづらさ〉であるのに、あるカテゴリーに特有の〈生きづらさ〉ばかりが目立ってしまって、それ以外の〈生きづらさ〉が捨象されていただけである。そうしなければ、つながることができなかったのだ。それが、〈生きづらさ〉の多種多様化に伴い、明るみに出ただけなのだ。
 〈生きづらさ〉の語りが困難な理由は、それを言い当てていたと思われることばが、実はそうではなかったからなのではないか。「当事者」は共通のニーズを持たねばならないし、それを言語化しなければならない。そのような、いわば暗黙の足かせこそが、「当事者」と呼ばれる人たちの個別性を捨象しているのではないか。

2.「ことばにできない」ものをことばにすること
 2.1 「当事者」の語りはなぜ〈重み〉があるのか
 前述の通り、「当事者」ということばそれじたいが、〈生きづらさ〉をめぐって幾重にもズレていることがわかった。そのうえで、あえてこのことばを使うが、「当事者」と呼ばれる人たちが発することばに、私たちは〈重み〉を感じることが多々ある。以下では、その〈重み〉について考えていきたい。
 福本千夏は、次のように述べている。

「施設入所者の障害者が大量殺害された相模原事件。私は2年前のこの事件も忘れない。テレビ画面に出た事件の犯人の顔も脳裏に焼き付いている。きっと私が脳性まひという身でなかったら、こんなにも強烈に記憶に残らなかったはずだ。
 頭が記憶したのではない。体が恐怖という形で覚えてしまったのだ。相模原事件の犯人が「障害者は生きる価値がない」と虐殺し、障害者が血の海の中で息絶えていった。その光景を想像すると、過呼吸に陥るほどだ」(福本 2018:8)。

 また、姜博久は、次のように言う。

「相模原の障害者施設で凄惨な事件が起きてから2年が経とうとしている。意識的にそのことを心に留めようとしないと、誰かとそのことについて語り合わないと、スルスルと日々の時間に薄らぎ、社会とともに流れて行ってしまいそうになる。そんな意識に、不意に、さざ波を起こしてくれたのは、小学生の口から発せられた言葉だった。
「うっとうしいねん……」
 職場からの通院途中、歩道を占領かっ歩する小学生の集団の中を電動車いすで突っ切ろうとする私に向けられた言葉だった。確かに私に投げつけた、ためらいのない言葉だった。
 その瞬間、私は事件を取り戻した。
 思えば、事件後の私は、街中で、誰かと待ち合わせしながら携帯で読書をしているとき、見知らぬ人が側を通り過ぎる一瞬、身体が強ばることが多くなった。身体がビクッとする。自分でも不思議でならないが、脳性麻痺特有の敏感さは否定できないにしろ、どうもそれだけではないようだ。どうしようもない「怖さ」が身体に刻み込まれたとしか思えない。
 事件は、私に「襲われうる存在」としての身体経験をもたらした」(姜 2018:10)。

 両者とも、脳性マヒの「当事者」が、2016年に相模原市の障害者施設で起きた連続殺傷事件について書いたものである。ここには、「脳裏に焼き付いている」「こんなにも強烈に記憶」「頭が記憶したのではない。体が恐怖という形で覚えてしまった」「過呼吸に陥る見知らぬ人が側を通り過ぎる一瞬、身体が強ばることが多くなった」「どうしようもない「怖さ」が身体に刻み込まれた」「「襲われうる存在」としての身体経験」というように、みずからの身体によって経験されたことばが散りばめられている。「それはどういうものですか?」と尋ねたところで、おそらくはそのようなものとして表現するしかなかったのではなかろうか。このように、「当事者」のことばは、みずからの身体性と不可分であることがままある。福本も姜も「恐怖」「怖さ」と言う。どのような「恐怖」か、あるいはどのような「怖さ」かについて、尋ねればある程度は説明してもらうことができるだろう。しかし、どこまでいっても、ことばではうまく表現できない部分があるのではなかろうか。そして、この部分への私たちの想像こそが、「当事者」のことばの〈重み〉の中核なのではなかろうか。
 また、「当事者」のことばは、「当事者」本人ですらうまく言語化できないこともある。その原因が過去に受けたトラウマだったりもする。渡邉琢は、障害者の施設入所を「慢性外傷を被る」経験であると捉え、「言葉があった人たちが、施設に入ることで言葉を失っていく」と述べる(渡邉 2018:126)。しかし、施設入所などの衝撃的な経験がなくても、「当事者」たちは常に〈生きづらさ〉のただなかに捨て置かれる。福本も姜も「恐怖」「怖さ」という同じ意味のことばを使っているが、その感じる内実に共通する部分はあるだろうが、まったく同じでもないはずだ。津久井やまゆり園で殺された障害者たちは「怖さ」におびえながら命を失ったのではないかと推察するが、それに匹敵するほどの「怖さ」におびえながら生きざるを得ない「当事者」たちは多々いるのだ。
 「当事者」ではない人たちは、この「怖さ」や〈生きづらさ〉を経験しない。この断絶こそが、「当事者」のことばに〈重み〉を与えているのではないか。そして、決して超えることはできないこの断絶を踏まえたうえで、「当事者」の経験する「怖さ」や〈生きづらさ〉を想像してみること、これこそが「当事者」のことばの〈重み〉を受け止めるということなのではないか。

 2.2 「当事者」のことばとコミュニケーション(不)可能性
 ろう者たちが手話をひとつの言語とみなし、自分たちを「異なる文化」として認識させようとする動きから20年余りが経過する(1)。そうした動きはまた、社会運動となり、各地で手話言語条例を制定させる動きへと展開している。しかし、手話に特定せず、言語そのものもまた文化ではなかろうか。丸山圭三郎は、「その言語圏の文化の媒体であるということに加えて、言語はそれ自身一つの《文化》であり、《社会制度》であると言われています」と述べる(丸山 1994=2008:14)。「言葉は、それが話されている社会にのみ共通な、経験の固有の概念化・構造化であって、外国語を学ぶということは、すでに知っている事物や概念の新しい名前を知ることではなく、今までとは全く異なった分析やカテゴリー化の新しい視点を獲得することにほかありません」(同 17)。つまり、ことばそのものが、当該地域の文化であり、社会の写し鏡なのではないかと、丸山は言っているように思われる。
 さて、「当事者」がことばを発するときのことを考えよう。まず前提として、みずからことばを発したところで、聞いてもらえない、あるいは、間違えて受け取られてしまう経験をしてきた「当事者」は多い。「当事者」と呼ばれる人たちは、心身の変位や属性によって〈生きづらさ〉をかかえる者が多いが、なぜ、言語障害や知的障害がなくても、そのような経験をしてしまうのだろうか。
 当たり前のことだが、私たちは「私ひとり」の身体を生きざるを得ない。他人の生を生きることは不可能である。私たちは、「私だけの身体」を生きる、という点において共通している。私の経験は、私だけしか経験し得ないという意味において、唯一のものである。私とまったく同一の経験を他人がするということは、原理的に不可能なことである。そのような点を強調すれば、ひとりに対してひとつの「文化」が対応する、という見方も可能である。「一国一文化」を主張するナショナリズムを批判する多文化主義の主張は「一国多文化」であるが、さらに突き詰めていけば、「一人一文化」という見方も可能なのである。当然それは「一国多文化」を主張する多文化主義に包含される。
 〈生きづらさ〉をかかえた者は、この社会の慣例や風習、規範、つまるところ「社会そのもの」になじみづらい。ゆえに個人的な〈生きづらさ〉が生じる。逆に、〈生きづらさ〉をかかえた者を起点にすれば、この社会は「私の文法」から逸脱している。当人からすれば、当人を取りまく社会や環境こそが問題なのだ。
 この「私がかかえる〈生きづらさ〉」は、私にとっての「文化」であると言えないだろうか。「ろう文化」は、「耳が聞こえない」という表現から、「手話を第一言語とする」という表現にシフトさせることによって、障害に伴われがちなマイナスのイメージから脱却させることがひとつの目的であったと考えられる。しかし、私が使う「文化」という語は、決してプラスの意味だけではない。その人の固有の様子を表すものとして、人に対して「文化」という語をあてがっている。
 ここまで話しを進めてくれば、「当事者」のことばが聞き取られづらいのは、多くの人と「文化」が異なるためだと言っても、唐突ではないだろう。一見、同じ言語で話しているようでも、「当事者」のことばと、そうではない人のことばとは、言語が違うのだ。そして、この言語=文化体系が非対称であるところに、「当事者」のことばの聞いてもらえなさがある。「当事者」ではない人のことばの力が強いところにおいては、「当事者」のことばはかき消されてしまいがちである。
 「当事者」ではない人たちに比べて、「当事者」は身体の経験の固有性、唯一性の度合いが大きい。そのことが、「当事者」とそうではない人たちとのコミュニケーションを困難にさせると考えられがちである。しかし、このようには考えられないだろうか。「当事者」ではない人のことばの力が強い、言い換えれば社会制度化された「当事者」ではない人のことばによって「支配」されているからこそ、「当事者」のことばは聞かれないし、コミュニケーション不可能だということにされてしまうのだと。すなわち、「当事者」でない人たちの規則にのっとった文法、つまりは言語=文化的慣習こそが、実は「当事者」からことばを奪っているのではないか、そう主張するのである。

 2.3 伝えたいことばと実際のことばとのあいだにあるズレ
 ここまでの議論をまとめておく。「当事者」が発することばは、ことばを発した当人さえも「このことばでは私の気持ちを言い表せていない」ということがよくある。この様態を指してよく言われるのが「「当事者」はことばを奪われている」ということだ。
 これまでの議論を踏まえると、次のように理解することはできないだろうか。すなわち、「当事者」は社会のなかで特異な経験をするために、そのことに起因することばが社会のなかであてがわれていない。「当事者」が感じたことを表すことばが社会には流通していないのである。だから、「当事者」はことばを紡ぐことに苦心する。「私の痛みがわかってもらえない」のは、「私の痛み」を表す適切なことばが社会の側に用意されていないのである。もちろん、「当事者」同士であったとしても、「痛み」や、それに相関する〈生きづらさ〉は、個人に帰属する。同じような「痛み」や〈生きづらさ〉であっても、最終的にそれは他人にはすべてを共有することはできない。そのことを踏まえたうえでなければ、〈生きづらさ〉を介した「連帯」は危ういものとなる。たとえば、「真綿で首を絞められているような〈生きづらさ〉」というような言い方がなされたとき、実際に真綿で首を絞められているわけではない。社会にそういうことばしかないからこそ、そうしたことばを使わざるをえず、実際に感じる「当事者」の〈生きづらさ〉を完全に言い当てているわけではないのだ。このような「当事者」の思いや気持ちと、実際に発話されることばとのあいだに生じるズレとは、言語=文化的な権力の非対称性に大きく関係している。

3.「受け取り不可能なことば」を受け取るという経験
 3.1 「当事者」のことばを受け取るということの困難さ
 今度は逆に、「当事者」のことばを受け取るということの困難さについて考えてみよう。これまでの理路を辿ってくれば、そこに目新しい問題はないことに気づくだろう。すなわち、「当事者」のことばを受け取る困難さは、原理的に言って「当事者」がことばを発する困難さと同型である。ただし、致命的に異なる点が一点ある。それは、「当事者」ではない者は「当事者」のことばを聞かずに生きていくことはできるが、「当事者」がことばを発することなく生きていくことは不可能である、ということである。これは「当事者」が生きていくために繰り返し言われるべきことではあるが、本論文ではここで触れるにとどめる。ここでは、「当事者」経験を有さない人たちが、「当事者」のことばを受け取る際の問題について考えたい。
 この社会は、「当事者」経験のない、あるいはそのような経験の少ない人たちに理解されやすいことばで充満している。そのようなことばが標準的なことばであり、また、そのようなことばそのものが社会における標準的な文化であると理解される。そうした理解こそが、「当事者」のことばを、標準から外れた、何か異質なものであると思わせる。さらに、標準的な文化の中において、異質なことばが排除されがちになるのである。これは、第2章で述べたことと同じことを述べているに過ぎない。「当事者」のことばを受け取る困難さは、煎じ詰めて言えば、「当事者」経験の乏しい人たちで形成される社会において、いかに標準から漏れ出された存在を迎え入れるか、その困難さのことなのである。

 3.2 「困難さ」を超えて
 以上の考察から、「当事者」のことばの、「当事者」側が発話する際のズレも、「当事者」の発話を聞く側に生じてしまうズレも、この社会が「当事者」を迎え入れるかどうかということと関係することがわかる。乱暴に言ってしまえば、「当事者」を受け入れようとする風土が強い社会であれば、「当事者」であるがゆえに生じてしまうことばのズレは少なくなるだろう。
 森本浩一は、言語哲学者のD.デイヴィドソンの議論を引き合いに出しつつ、言語の解釈をめぐって次のように述べる。

「「思いつき」とか「発見」とかは、それが起こることそれ自体においてはじめて存在するのであって、事前に予測したり学習したりできるならもはやそのようには呼べません。解釈の仕方が学習できないと言えるのは、それが本質的に「発見」だからです。もちろん発見は、その前提となる様々な知識や想定の背景があってはじめて一回的に引き起こされます。そうした背景をなすものが、コミュニケーションにおいては、共有された言語能力ではなく、「世の中への精通」だというわけです」(森本 2004:82)。

 ここにきて、「当事者」であるがゆえに生じてしまうことばのズレの正体がより明瞭になってはこないか。それは、発話側の「言語能力」の問題でも、受け取る側の「受信能力」の問題でもない。森本が「実際われわれは、具体的な解釈を決定するに際して、知覚情報や記憶の中から、関連のありそうな知識や想定をたぐり出してくるわけですから、言語をうまく使いこなせることと世の中(世界)に通じていることとの境界線がないというのは、それほど奇異な話ではありません」(同上 81)と言うように、ことばの不通と世の中における〈生きづらさ〉は関連するのだ。「当事者」がうまくことばを発せないのは、まさにこの世の中において捨て置かれ、〈生きづらさ〉を感じ、その世界を奪われているからに他ならない。また、「当事者」経験の乏しい者が「当事者」のことばを誤信するのは、「当事者」に関する「様々な知識や想定の背景」が共有できていないからだ。そしてそれらは本質的に「言語能力」の問題ではなく、「当事者」と社会との問題、つまり社会から捨て置かれた「当事者」を社会がどのように受け止めるか、の問題なのである。
 「当事者」であることによって生じることばのズレという困難を超えていくことは、面倒くさく厄介なことではあるが、しかし現実に超えようとすることができないわけではない。

「われわれは、共有された「言語」ではなく個々の発話において他者と向き合い、経験の積み重ねによって身につけたスキルのもとで、そのつどの解釈に賭けてゆきます(デイヴィドソンが「幸運」と言っていたことを思い出しましょう)。友愛において、従ってまた寛容において、相手の発話と向き合い、それをそのつど理解可能なものにしてゆくという仕方においてしか、われわれは他者と「言語的に」出会うことができないのです」(同上 110)。

 本論文でも「当事者」の書いたものから引用しているように、「当事者」たちはそれぞれのやり方、それぞれのペースで社会と向き合おうとしている。だから、まず社会がすべきことは、「当事者」が発話したことばを聞き取ろうとすること、そして「当事者」に関する「様々な知識や想定の背景」を学んでいくことであろう。そのなかには当然、「当事者」の発話の際のことばのズレや、「当事者」をめぐる言語=文化的な権力の非対称性という問題も含まれる。そうして、最初は大きく感じるズレも、「当事者」の発話と向き合っていくうちに、しだいに小さくなっていくだろう。「当事者」たちは、発話という賭けに出なければ生きていけないという事情もあるが、賭けに出ている。今度は、私たち社会が、「当事者」たちの賭けに応じるかどうか、そここそがことばのズレという困難を超える突破口となるのだ。

おわりに
 本論文では、「当事者」と呼ばれる人たちが発する言葉に関する2種類のズレ――発話におけるズレと、受信におけるズレ――について検討した。その前段階として、「当事者」ということばそのものに含まれるズレについても触れた。最後に、2つの点について考えておきたい。1つは、「当事者」の垣根が低くなってきているという問題、もう1つは、「当事者」に関することばのズレはなくすべきなのか、という問いである。
 第1章では、「当事者」ということばそのものがズレている、ということを示した。これは、「当事者」と、「当事者」の〈生きづらさ〉を共有し、「当事者」の側に立とうとする支援者の垣根が低くなってきたことをも意味する。同時に、社会の変化に伴い、非正規雇用や精神疾患で苦しむ人たちも増え、これまで「当事者」ではなかった人たちも「当事者」へと追いやられてしまっている。これに対しては、社会の変化が人間に〈生きづらさ〉を与えるのであれば、そうした変化は誤っており、是正すべきである、とまでは言えるであろう。
 第2章とそれに続く第3章では、「当事者」のことばの発話や受信と、それに対する社会の反応という観点から、そのことに関するズレについて分析した。人間が人間である以上、他人のことをすべてわかるということは不可能であり、その意味においてズレは決してなくならないであろう。「当事者」と「当事者」ではない人たちとは言語=文化が違う。また、「当事者」同士であってもわかり得ないことは多い。
 そもそも、「「当事者」に関することばのズレはなくすべきなのか」という問いは、どのような問いなのであろうか。単にコミュニケーションが円滑になることだけではないのではないか。その問いの向こうには、お互いをわかり合いたい、理解し合いたいという欲求があるのではないか。そこには、人間同士の信頼関係を築きたいという欲求があるのではないか。だからこそ、ズレを埋めようと努力するのではないか。こう考えると、ことばのズレとは決して忌み嫌うべきものではなく、ことばのズレがあるからこそズレを埋めていく可能性があるものとしても理解できる。たしかに、ことばのズレはときに人を死へと追いやるものでもある。しかし、ことば本来の持つ可能性と限界が、人間を理解することの可能性と限界とを同時に示しているのではないかと考えてもよいのではないか。ことばは身体によって放たれる、そこを思考の原点にしたい。


(1) 木村晴美と市田泰弘が「ろう文化宣言――言語的少数者としてのろう者」を発表したのは『現代思想』1995年3月号である。

文献
福本 千夏 2018 「私が生き延びる術」(障害者問題資料センターりぼん社 『季刊しずく』編集部 編 2018:8)
姜 博久 2018 「事件の身体経験と線引き問題、そして死の軽さ」(障害者問題資料センターりぼん社 『季刊しずく』編集部 編 2018:10-11)
貴戸 理恵 2007 「「当事者の語り」の理論化に向けて――現代日本の若者就労をめぐる議論から」,『ソシオロゴス』No.31,86-98.
      2018 『「コミュ障」の社会学』,青土社
平野 智之 2012 「「関係性としての当事者性」試論――対話的学習モデルの検討から」,『人間社会学研究集録』7,99-119.
丸山 圭三郎 1994=2008 『言葉とは何か』,ちくま学芸文庫
森本 浩一 2004 『デイヴィドソン――「言語」なんて存在するのだろうか』,NHK出版
野田 彩花・山下 耕平 2017 『名前のない生きづらさ』,子どもの風出版会
野崎 泰伸 2004 「当事者性の再検討」,『人間文化学研究集録』14,75-90.
佐藤 智恵 2015 「障害のある子どもの就学に関する研究――当事者のライフストーリーの社会構築主義的分析」,広島大学大学院教育学研究科博士学位論文
心光 世津子 2010 「保健医療福祉分野における当事者の語りと当事者性の形成――断酒会会員の語りと当事者性に焦点をあてて」,『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』36,59-80.
障害者問題資料センターりぼん社 『季刊しずく』編集部 編 2018 『季刊しずく――だれ一人しめ出さない社会へ』No.1,関西障害者定期刊行物協会
渡邉 琢 2018 「言葉を失うとき――相模原障害者殺人事件から二年目に考えること」,『世界』2018年8月号,117-127,岩波書店

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