精神的アディショナルタイム(20231202)

生理が来るのが割と早かったのだが、
幸運なことにそこまで重いこともなく今まできた。
が、30代に入ってから途端に重くなった。
今までも期間に入れば多少の腹痛はあったが、
なんだか「生理前」にいろいろと不調が発生し始めた。
腹痛もそうだが、とにかく眠い。だるい。
そしてメンタル不調の重さよ!
日々の忙しさで誤魔化して見ないようにしている自分の闇人格が、
かま首もたげて虎視眈々と狙ってくるのである。
なんなの笑?
こちとらアラフォーの良い大人だというのに、
中二病(死語)感満載の闇自分に大変腹が立つ。

メンタル不調つながりで、先日「自殺帳」という名前はアレですが大変興味深い本を読んでいて膝を打つことがあった。※なぜかこの本、読書メーターで検索できない…
著者が病院を辞めると決めた後、「目に映るあらゆるものの解像度が上がったかのように感じられ」たそうだ。そして続けて、もしかすると誰かがそっと自殺を決意して実行するまでの間も似たような状態なのではないかと述べる。
これ、私にはとても共感できた。
なぜなら過去に一度だけそういう経験をしたことがあったからである。

大学院1年の冬、闇自分全盛期のころの話だ。
一度だけ本当に嫌気がさして、次の誕生日で全部終わりにしようと思った。残り期間はたしか1ヶ月くらいあったか。そう決めた翌朝から、世界が変わって見えた。空気も清々しいし、何を見ても綺麗だし、優しい人はそれまで以上に優しく見えたし、そうでない人には一才腹が立たなくなった。周りには感謝の心しか湧いてこないし、毎日が楽しくなって笑顔も増えて途端にメンタルも安定した。側から見ればたぶん「生き生きしていた」と思う。
今思うと色々スレスレな感じがするが、
なんというか清廉で静謐ですべてが明るかった。まぁ結果として、実行はされなかった。調子にのった私が高校時代からの親友に口を滑らせたからである。最近の美しい日々と来たる日について楽しそうに話す私に対して、その子は帰省する新幹線の車中から電話をしてきて、そして泣いた。
そこで心の底から反省して我にかえった。
のであれば良かったのだが、そう言う気持ちでもなかった。なんというか「興を削がれた」という心持ちが正しいかもしれない。
結局私はそのまま幸運なことに生かされている。
その親友とは数年後に疎遠になってしまったが、それも必然だった気もする。

実は、あの時感じた美しい日々の感覚を、
今でも年に1、2度感じることがある。
そんな時は「嗚呼、今日は本当に美しい日だ」と心の底から思う。自分があの時の延長の中で過ごしているのだと気づかされる。
自分が精神を病んでいるとは思わない。
むしろ、だいぶまともに社会生活を営めている人間だと思う。そして、理解されないだろうというのもわかっているので、あの時以降、周りの誰にも打ち明けてはいない。意外と精神状態のなかで生きている人はいるんだろうなと、先述の本を読んで感じたのであった。

さて、そんな延長時間の中ではありますが、
疲れて帰ってくる家人のためにそろそろ大根とお揚げとひき肉の煮物をつくろうかね。