芥川龍之介『蜃気楼 --或は「続海のほとり」--』を読んで

 芥川龍之介の掌編小説『蜃気楼 --或は「続海のほとり」--』を読んだ。もう何回目になるのかな。話が短いからすぐに読める。
 この小説が好きで、かつて原稿用紙に一篇まるごと視写したことがある。小説を書き写す行為は読むだけと違って、芥川が執筆しているような気分になれる魅力的な体験だと思う。好きな小説があるのなら、ぜひ一度試しにやってみることをお薦めしたい。

 この話は二章に分かれている。第一章は秋の昼ごろに鵠沼の海岸へ友人と蜃気楼を見に行った話、第二章は夕食後に友人と妻と砂浜に出かけた、というだけの話だ。とくに話の筋はなく、そこでの会話や事象、場景などが主人公(僕)の心象として描かれている。
 第一章の昼の部は僕の心が病んでいることを描きながらも穏やかに始まっている。蜃気楼を見物している時のちょっとした挿話の中に死を連想させる描写があり、妖しい緊張感が漂い始める。
 第二章は夜の部なので、蜃気楼を見に行ったわけではなく、なぜか夜の海の浪打ち際を歩いている。海はどこを見てもまっ暗だったと描かれているが、よくもそんな怖いところを歩けたものだと思った。
 私には海で溺死した少女の霊に冷たい海の底に引き摺り込まれやしないか、という連想がはたらいた。それは少年期に『うしろの百太郎』を読んでトラウマになったという個人的な体験によるものだが……。
 闇の中でマッチを灯し、見えなかったものが見えるという幻想的な挿話がある。そこでも不吉な暗示が描かれているが、『歯車』ほど物狂おしくはなく、表現がよく抑えられている。『歯車』にはない上質な味わいがある。

 『蜃気楼』は芥川の小説の中で『歯車』『或阿呆の一生』に次いで好きな作品だ。私も趣味で小説を書き始めているが、できればこの『蜃気楼』のような文を書けるようになりたいと憧れる。
 少年期は本をたくさん読んで小説を書いてみたりしたが、青年期に止めてしまったことが悔やまれる。賃金労働と生活に追われてしまった。せめて読書だけでも少年期のように続けていれば違った現在になっていたかもしれない。
 晩年の芥川は精神の病に苦しみながらも素晴らしい小説を残した。これは晩年に生きる自分にとって励みになっている。辛い時はいつも芥川の小説を読んでいる。

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