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修学旅行、京都駅まで(皐月物語 130)

 稲荷小学校の6年生たちは豊川から京都へ向かった。一泊二日の修学旅行の初日は京都へ行き、二日目は奈良へ行く。およそ130名の児童たちの期待だけを乗せて、JR飯田線を走る213系の車両は豊川駅を出発した。
 6時54分発の豊橋行きの普通列車は一般客も乗っている。稲荷小学校の児童たちは電車の中では会話をする時に大声を出さないよう、学校側から厳命されていた。
 藤城皐月ふじしろさつき岩原比呂志いわはらひろしは鉄道に詳しくない神谷秀真かみやしゅうまに鉄道情報を注入した。これは鉄ヲタ育成計画の一環だ。
 豊川駅から小坂井こざかい駅までは皐月と比呂志が代わる代わる飯田線の魅力について話した。小坂井駅を過ぎると豊橋駅まではJRと私鉄の名古屋鉄道が線路を共有する区間になる。全国的にも珍しいこの運用については鉄道の知識が豊富な比呂志が事情を説明した。駅の訪問が好きな皐月は普通列車なのに通過されてしまう下地しもじ駅や船町ふなまち駅の面白さを説き、豊橋駅に入線する時は比呂志が豊橋駅の魅力を語った。伝えたいことが多過ぎて、到着までの13分間では時間が全然足りなかった。
 鉄道ファンではない友達に鉄道を面白さを布教することが楽しくて、皐月と比呂志は声量を抑えるのに苦労した。人は知識の量が増えれば増えるほど、その対象への興味を増す。オカルト好きの秀真ならこの考え方をよくわかっている。比呂志と皐月の熱意に打たれた秀真は鉄道に興味を持ち始めたようだ。二人はこの修学旅行の期間中に女子たちにも鉄道の楽しさを伝えたいと目論んでいる。
 豊橋駅に着いたのは7時7分だった。多くの小学生はこれくらいの時間に起き始める。こんな早い時間にもう豊橋駅にいる、これは多くの児童にとっては珍しい体験だ。早朝の豊橋駅は通勤通学の人で賑わい始めていた。
 これから7時23分の新幹線、新大阪行きのこだまに乗って、京都駅には8時41分に到着する。たった1時間18分の短い鉄道の旅だが、超高速で移動する刺激的な旅だ。稲荷小学校の6年生たちは整然と新幹線のホームへ移動した。

 13番ホームにN700系が入線してきた。稲荷小学校の修学旅行では13号車から16号車の自由席に、1クラス1両に分散乗車して一般客と乗り合わせる。車内では他の客の迷惑にならないよう、児童たちは事前に先生たちから厳しく指導を受けていた。
 児童たちの搭乗するのは後方車両なので、先頭車両が目の前を通過する時にはまだスピードが落ち切っていなくて速い。飯田線や名鉄とは違い、非日常的な新幹線の走る姿を見て、男子児童も女子児童もはしゃいでいた。
 6年4組は16号車に乗車した。新幹線の座席は担任の前島先生によってざっくりと決められていた。座席の指定してはされていなかったが、普段の教室の生活班毎に区画を指定されていた。ABC席の3名掛けに座る班と、DE席の2名掛けに座る班に分かれ、皐月たちの班はDE席に座ることになった。
 班の中では席を自由に決められるので、2名掛けだと6人の班では男女ペアの席が必ず一つはできる。皐月は吉口千由紀よしぐちちゆきを誘って隣同士に座り、二橋絵梨花にはしえりか栗林真理くりばやしまり、比呂志と秀真の席の並びになった。
「吉口さん、ごめんな。俺が勝手に隣に座りたいなんて言っちゃって」
「いいよ。私も藤城さんとゆっくり話をしたいって思ってたから」
「俺も同じこと考えてた。吉口さん、窓際に座ってよ」
「私は通路側でいい」
 そう言うと千由紀はさっさと通路側の席に座ってしまった。仕方がないので皐月は千由紀のベレー帽を見下ろしながら窓際の席に座った。シートに腰を下ろして窓の外を見ると旅の始まりに胸が高まる。窓際の席を譲ったものの、やっぱり皐月は窓際の席に座れて嬉しかった。
「吉口さんには manaca を買ってもらっちゃったけど、よかったのかな?」
「大丈夫だよ。試しに買い物で使ってみたけど、支払いが楽だった。でも店側の手数料のことを考えると、悪いことをしちゃったなって思った」
 皐月と真理がよく行く喫茶店のパピヨンは現金のみでの支払いだ。時代に遅れていると思っていたが、千由紀の言うような手数料の問題があったことを皐月は知らなかった。
「京都駅構内の店は電子マネーを使えるところが多いみたいだよ。俺はお土産代をカードにチャージしておいた。そうすれば小遣いの7000円っていう上限を気にしないで済む」
「修学旅行実行委員がそんなこと言ってもいいの?」
「いいんだよ。規則なんて、あんなの建前じゃん」
 皐月は規則のように人から強制されるのが大嫌いだ。だが先生と衝突するのも嫌なので、学校側をうまく出し抜いてやろうと考える。
「それにインフレなんだから、前例を踏襲されるとお金が足りなくなるんだよね。委員会で過去の資料を見たんだけど、もう何年も小遣いの金額が変わっていなかった。物価は毎年上がっているのにさ」
「お金がある家はお小遣いをたくさん持って来られるからいいよね……」
 二人の間に微妙な空気が流れた。千由紀の反応から、皐月は自分が思っていたよりもお金に不自由していないことを知った。
迂闊うかつなことは言えないな……)

 新幹線が静かに発車した。振動も音もほとんど気にならないほど小さかったが、加速は力強かった。遠くに飯田線の車両が並んでいる豊橋運輸区が見えた。豊橋駅構内の珍しい保守用車を見ているうちに高度が上がって高架になり、並走する東海道線や飯田線がどんどん離れていった。豊川とよがわを超え、豊川放水路を超えたところで千由紀が話しかけてきた。
「藤城君、何をそんなに夢中になって見ていたの?」
「何をって、そうだな……。見慣れない保守用の機関車とか、車庫に停まっている電車とか、線路のある風景かな。漠然とたくさんのことをワーっと感じたから、ちょっと言語化が追いついてこない……」
「藤城君って鉄道が好きなんだね。私には面白さがわからないんだけど」
「俺も最初はただ電車を格好いいって思っただけだった。でも知識が増えてくると、どんどん面白くなるんだよね」
 皐月は千由紀を鉄道の話に付き合わせるかどうか迷っていた。鉄道趣味は女子に嫌われているらしい。真理に鉄道の話をしたことがあるが、いい反応がなかった。千由紀に話すなら、慎重にならなければならない。
「岩原君は本当に鉄道好きって感じだよね。藤城君と岩原君が鉄道の話をしている時って楽しそうだなって思って見てた」
「じゃあ、吉口さんも俺たちの話に入ってくる? 歓迎するんだけど」
「私はちょっと遠慮しておく……」
 やっぱりダメか、と皐月は肩を落とした。だが落ち着いて考え直すと、比呂志と三人が嫌であって、自分と二人で鉄道の話をするならいいのかもしれないと、皐月はもう少し希望を持とうと思った。
 新幹線こだまは蒲郡市に入った。皐月たちと反対側の車窓からは海が見えた。三河湾だ。
 三河湾は広く浅い海で、矢作川水系や豊川水系など多くの河川が流れ込む。知多半島と渥美半島が取り囲んだ閉鎖的な地形で、湾口が狭く、外海との海水交換が少ない。あさり渡蟹わたりがに車海老くるまえびの水揚げ高は全国トップクラスで、海苔やうなぎの養殖も盛んだ。愛知県は海の幸に恵まれた土地だ。
 車窓からは三河湾に浮かぶ竹島も見えた。本土と橋で結ばれた竹島には独自の植生があり、島全体が国の天然記念物に指定されている。
「吉口さんは竹島に行ったことある?」
「水族館と潮干狩りに行ったかな。藤城さんは?」
「俺も竹島水族館は行ったことがあるよ。手作りのポップが夏休みの自由研究みたいで、雰囲気がいいよね。でも解説されている内容は専門的で面白い。深海生物の展示されている種類の数が日本一だったかな。また行きたいな~」
 新幹線は東海道本線の幸田こうだ駅の手前で交差した。ここから三河安城駅を過ぎた辺りまでは東海道新幹線の最長直線区間になる。
「藤城君は最近、なにか小説を読んでる?」
「学校では芥川の『歯車』を読んでいるけど、家では太宰の『人間失格』かな」
「どっちも私の好きな小説」
「俺も。『人間失格』はこれで二周目だ。そういえばこの前、吉口さんは俺のことを『葉蔵ようぞうみたい』って言ってたけど、それってどういう意味?」
 葉蔵とは『人間失格』の主人公で、大庭葉蔵おおばようぞうのことだ。皐月は自分のことを葉蔵に似ていると言われたことが気になって『人間失格』を読み直そうと思った。
「ああ……それは藤城君が女に惚れられるようになりそうだなって思ったから。もう惚れられてるか」
「そんなことだったの? 俺はてっきり人間失格の烙印を押されたのかと思ったよ。何か人間を失格になりそうな行いをしたかなって、ずっと気になってた」
 皐月は千由紀の言ったことを言葉通りには受け止めていなかった。千由紀は葉蔵の中学校の同級生、竹一たけいちの『お前は、きっと、女に惚れられるよ』を引き合いに出して、自分のことをからかっているのだと思った。
「藤城君は人間合格だよ。羨ましいくらいコミュ力が高い」
 皐月には千由紀の言いたいことが何となく読めた。千由紀は自分の道化を演じているところを見て、葉蔵と重ねているはずだ。皐月にはそのくらいしか心当たりがなかった。
「吉口さんは葉蔵のこと、好き?」
 これは皐月にとって答を聞くのが怖い、恐るべき質問だ。
「好き。でも、ツネ子みたいに葉蔵と一緒に死にたいとは思わない。私なら京橋のバアのマダムみたいに葉蔵を温かく迎え入れて、守ってあげたい。そういう好き」
 皐月はこの言葉に何も返せなかった。表情の乏しい千由紀の微かに微笑んだ顔を見て恥ずかしくなり、窓の外に目を向けた。列車は三河安城駅に到着した。
 一駅過ぎると6年4組の児童たちはリラックスしたのか、落ち着きがなくなって来て、席を移動し始めた。その様子を見ていた学級委員の絵梨花は席を立って比呂志に話しかけた。
「岩原さん、シートの向きを変えてお話でもしませんか?」
「う、うん……」
「真理ちゃん、いい?」
「いいよ。岩原君と神谷君からマニアックな話を聞かせてもらおうか」
 比呂志はキョドりながら席を立った。足下のべダルを踏んで通路側のシートを回し、向きを変えた。それを見ていた他のクラスメイトたちも比呂志の真似をして座席を回転させた。
 ボックス席になると、女子たちが男子たちと席を替わり、同性同士で固まって席の移動が止まった。車内はより賑やかになった。担任の前島先生が各シートに行き、児童たちに声を落とすよう諌めて回った。
 名古屋駅に近づいてきた。工場やマンションが多いせいか、大都会という感じではなかった。左側の窓の外にナゴヤ球場が見えた。この球場は中日ドラゴンズの2軍の本拠地だ。皐月は中日ドラゴンズのファンなので、いつかここで野球観戦をしてみたいと思っている。
 ナゴヤ球場を過ぎると、右手に名古屋鉄道の山王さんのう駅が見える。ここから名古屋駅まではJR中央本線とJR東海道本線、名鉄名古屋本線の4路線が並走する。ここから名古屋駅までの景色はダイナミックで、鉄道好きにはたまらない。比呂志が後ろのボックス席で、調子よくペラペラと喋っていた。
 名古屋駅に近づくと、背の高いビルが車窓を埋め尽くす。左のA席側にはグローバルゲートタワーという複合施設が出現した。このビルは高さ170mもあり、ささしまライブという緑豊かな新しい街にそびえ立っている。その陰からあおなみ線、JR関西本線、近鉄名古屋線ら3路線が名古屋駅に向かって集まってくる。地下鉄の東山線と桜通線の2路線を合わせて、名古屋駅は9路線が乗り入れている。
 皐月の座るE席の車窓から螺旋状に空に伸びるモード学園スパイラルタワーズが見え、間もなく名古屋駅に到着した。名古屋駅では速達列車に先を譲るため6分間の停車だ。急ぎの客はここで博多行きののぞみに乗り換える。
「吉口さんは名古屋に来たことってある?」
「あるけど、数える程しかないかな。藤城君は?」
「俺も数回かな。正確な数は覚えていないや。親と名古屋に来る用事なんてないからな……。遊びに連れてってくれることもないし」
「私も同じ」
 皐月の印象だと、休みの日に親と遊びに出掛ける家は両親が揃っていて、ちゃんとした仕事をしているところだ。皐月には自分みたいな母子家庭の家がそういうことをするというイメージが湧かない。真理の家も休日に親子で出かけることはない。
「でもね、この前の日曜日に名古屋の大須に行ったよ。芸妓げいこのお姉さんに修学旅行の服を買いに連れて行ってもらったんだ」
「藤城君って芸妓さんと遊びに行ったりするんだ」
「たまたまだよ。その人が毎週のように大須に遊びに行っている人だから、ついでに連れて行ってもらっただけ」
「芸妓か……川端康成の『雪国』みたいだね」
「タイプは全然違うけどね」
 皐月は時々、みちるのことを人に話したくなる衝動に駆られる。自慢がしたいわけではない。共感を求めているわけでもない。知ってもらいたいとさえ思っていない。ただ話したくなる。
「私、芸妓さんってどんな人なのか想像がつかない。小説で出てくる芸者とは違うんだろうね」
「そうだね。芸妓といっても現代の普通の女の人だし、性格的には男っぽい人が多いかな。俺の親も真理の親もそうだけど、みんな強いよ」
「そうなんだ」
 名古屋駅を出発すると新幹線は清州きよす城まで東海道本線と並走する。庄内川しょうないがわを渡り、枇杷島びわじま駅の横を過ぎると、窓の外に巨大なタンクが並んでいるのが見えた。キリンビール名古屋工場だ。ビールのタンクはビールジョッキのように琥珀色のビールと真っ白な泡に塗装されていて面白い。
 そのすぐ後に清州城がある。清洲城は観光施設として平成元年に再建された模擬天守で、復元された姿ではない。織田信長が桶狭間の戦いに出陣したり、清洲会議が行われたりした城は今の世にはもうない。清須越しきよすごしと言われる、名古屋城の築城に伴う清洲から名古屋への都市の移転が完了したとともに清州城は廃城となった。
 皐月はまだ、千由紀と小説の話がし足りなかった。
「吉口さんは小説を書いているって言ってたよね。どんな小説を書いてるの?」
 千由紀の顔に緊張が走ったように見えた。皐月は軽い気持ちで聞いただけだが、千由紀には重い質問だったようだ。
「うん……自分でもよくわからない小説。ストーリーとかないし、人が読んでも全然面白くないと思う。自己満足」
「ストーリーがないっていうと、例えば芥川の『歯車』みたいなの?」
「まあ、そんな感じ。でも『歯車』は『誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?』って締めているでしょ? 私の書いている小説は先が全く見えない……」
 千由紀はとにかく何かを書きたいんだな、と皐月は理解した。今の自分にはまだそのような衝動はないが、千由紀の気持ちはわからないでもない気がした。
「吉口さんって『歯車』の文章、覚えているの?」
「最後の文はね。全部なんか覚えられるわけないから」
「そりゃそうか……。吉口さんも『歯車』、好きなんだね。俺も好きだけど、『歯車』って難しいよな。古本屋の人に注釈が詳しい全集で読めって言われたよ。まあ、またネットで調べながら読み返してみようかなって思ってるんだけど」
 『歯車』は青空文庫で公開されているので、言葉の意味ならPCで調べながら読める。だが突っ込んだ意味は注釈がないと理解が及ばない。
「私、全集持ってるよ。筑摩書房から出ている文庫本だけど」
「ホント!」
「うん……。今度、学校に持ってこようか?」
「それはありがたいけど、吉口さんの家に見に行ってもいいかな?」
「私の家? ……どうしよう」
「あっ、嫌なら別にいいんだけど」
「うん……考えさせて」
 ちょっと距離を詰め過ぎたかな、と反省した。皐月は千由紀と仲良くなった気でいたが、千由紀はそこまで皐月と親しくなったつもりはなかったようだ。なんとなく気まずくなったので、京都駅に着くまではお互いの身上のことではなく、小説の内容や小説家の話題で間を持たせようと思った。
 米原駅を出発した。はしゃいでいた児童たちは急いで降車準備を始めた。降車の具体的な手順は修学旅行の栞に書いてある。荷物の整理をし、トイレを使うものは新幹線の中で済ませておかなければならない。
 新幹線こだまは長い東山トンネルを抜けると減速し始めた。車窓の戸建住宅が集合住宅に変わった。京都駅到着のアナウンスが流れたので、児童たちは荷物を持って出口に並び始めた。京都タワーが見えるとすぐに14番線ホームに入線し、京都駅に到着した。

 ホームに降り立った皐月は何か違和感を感じた。何だろうと思って構内を見回した。
「なあ、岩原氏。京都駅って豊橋駅とだいぶ違うよね?」
「そりゃそうだよ。京都駅は豊橋駅みたいに2面4線の待避駅じゃないんだから」
「ああ、そういうことか。京都駅は全列車が停車するから、通過線がないんだ」
 豊橋駅はのぞみやひかりがこだまを通過追越するために、対向式ホームの間に通過線が2本ある。2面4線の待避駅は真ん中の2線を超高速で列車が通過する。京都駅ではあの迫力を味わえないので、皐月には少し物足りない気がした。
 9時前なのに京都駅の新幹線のホームには外国人観光客がたくさんいた。家の近くでは外国人をほとんど見ないので、稲荷小学校の児童たちは驚いていた。皐月は英語ができれば彼らの多くと話ができると思い、英語の勉強へのモチベーションが上がってきた。
 整列した児童たちはホームを進行方向の新大阪方面に歩き、3階にある新幹線のホームから西側のエスカレーターで2階のコンコースに降りた。床には緑と青と赤の誘導サインが貼られていて、赤の誘導標識には市バス・タクシーと書かれていた。稲荷小学校の児童たちは矢印に従って右に曲がった。
 右に曲がったまま真っ直ぐに進むと新幹線中央乗換口がある。ここからも外に出られるが、児童たちはすぐに左に曲がって新幹線中央口を出た。皐月は新幹線中央口に思ったよりも小さい改札口という印象を抱いた。
 新幹線中央口を出ると、正面に近鉄京都駅がある。近鉄の改札手前の左に ASTY SQUARE の PRECIOUS DELI & GIFT KYOTO がある。通路側には観光客用に人気のお土産が揃えてあり、奥には地元客にも人気のパンやデザートなどが品揃えされている。
 近鉄の改札の右側にはドンクというベーカリーがある。店の前を通ると、レジの奥のオーブンからパンの焼けるいい匂いがしてきた。空腹ではないのに、皐月は今すぐこの店のパンを食べたくなった。
「あ~、おなか空いた」
「なんだ、真理。朝ごはん食べて来なかったのか?」
「ちょっと時間的に余裕がなかった」
「早弁する?」
「さすがにそれは恥ずかしい。後でこっそりと買い食いしちゃおうかな」
 一緒に歩いていた絵梨花と千由紀が笑っていた。でも他の班の男子たちが口々に「腹減ったー」「パン食いてー」と騒いでいたので、あまり目立つ発言ではなかった。
 新幹線中央口を出て左に曲がると八条口に出られるが、皐月たちは右に曲がって烏丸口を目指す。右に進むと中央にエスカレーターがある階段があり、南北自由通路に出る。先生の指示で、ここはエスカレーターを使わないで階段を上るように言われた。前を歩く3組の男子たちが一段飛ばしで、競うように階段を上っていた。
 南北自由通路は在来線の上を通る跨線橋だ。新幹線は南の八条口側にあるので、バス乗り場を目指す稲荷小学校の児童たちは南北自由通路を通って北側の烏丸口に向かう。
 南北自由通路の階段を上り切ると、左手にあるJR西日本の商業施設『Porta』のおみやげ街道があり、右手にはスターバックスがあった。
「俺、スタバって入ったことないや……」
「へ~。藤城氏はスタバに行ったことないんだ。僕はあるよ」
「岩原氏はどこのスタバに行ったの?」
「豊橋駅の近くだった。小さい頃、親と一緒に豊橋で買い物をした時に連れて行ってもらったよ。神谷氏は?」
「僕も皐月こーげつと同じ。行ったことない……」
「お~、秀真ほつま。君は俺の同士だ」
 男子が田舎者丸出しの会話をしている時、女子は京都巡りが終わった後、どこでお土産を買うかの話をしていた。一度京都駅に戻るので、Porta のおみやげ街道で買い物をしようと盛り上がっていた。
 南北自由通路を真っ直ぐ進むと、右手にみどりの窓口と西口の改札がある。ここからもJRの在来線の乗り換えができる。人の往来が多く、活気のあるところだった。
 西口改札を過ぎると右手にセブンイレブンがあり、左手には京都伊勢丹があった。さすがに伊勢丹は女子小学生には縁がないところだと、真理たちは関心を示さなかった。
 さらに真っ直ぐ進むと階段がある。階段を下りても烏丸口に出られるが、その手前を右に曲がるとエスカレーターがあり、降りるとすぐに京都駅中央口がある。稲荷小学校の児童たちはこちらから一階に降りた。
 エスカレーター手前からは京都駅ビルの巨大な吹き抜けが見える。あまりの壮大さに皐月は目を見張った。
「こんなでかい空間を作って、どうするつもりなのんだろう。まさか将来、ここにリニアのホームを作るつもりなのかな?」
「藤城氏、さすがにそれはないでしょ。リニアのホームを作るなら狭すぎだよ。でも、リニアの駅を作るとしたらどこに作るんだろうね。こういうの設計するのって難しそうだ」
「名古屋は地下に作るんだよね。京都もやっぱり地下になるのかな」
「リニアの名古屋~大阪ルートは奈良に行っちゃうかもしれないし、京都も奈良もどっちも通らないかもしれない。そもそも大阪まで伸ばせるのかって話もあるよね」
「今んとこ、おとぎ話だな」
 皐月は比呂志ともっとリニアの話をしたかったが、烏丸口の集合場所まで来てしまった。
 今から写真撮影をするので、帯同するカメラマンが撮影の準備をしている間に整列して点呼を終わらせなければならない。児童たちは各クラスの担任の先生に従って撮影を済ませた。
 責任者の北川先生がレンタルしたスマホを業者から預かり、各クラスの班長は北川先生からスマホを受け取った。業者の指示に従い、班長たちがスマホを起動し、トラブルがないことを確認した。皐月たちの班以外の児童たちは地下鉄・バス1日券を受け取り、これからいよいよ班別行動が始まる。


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