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私の偉いはもっと薄汚いから(皐月物語 84)

 修学旅行実行委員会が解散となった。委員長の藤城皐月ふじしろさつきや副委員長の江嶋華鈴えじまかりん、書記の水野真帆みずのまほが居残る中、他の委員たちが足早に帰宅し始めた。そんな中、皐月は委員会の議事録を見たくなったので、真帆の隣から Chromebook を覗き込んだ。
「まだベタ打ちしかしていないよ」
 真帆は謙遜するが、そこには皐月たちが話していた言葉が余さず打ち込まれていた。想像以上に膨大なテキストを見て、皐月は真帆に目を見張った。
「委員長、さっき修学旅行のスローガンを決めたでしょ。議事録に記録しておきたいからその時の応募作を見せてほしいんだけど」
「あ、うん。わかった」
「それと昨日の委員会のことだけど、思い出しながら議事録を作っておくからね」
「昨日の委員会のも作るんだ」
「初回の議事録が欠けてるなんて気持ち悪いでしょ?」
「まあ、そう言われればそうかも。それよりこの文を議事録に直すの? 大変じゃない?」
「大丈夫。元の文があれば整形するだけだから、そんなに時間はかからない」
 得意な技で力を発揮できるのが楽しいのだろうか、真帆がとても生き生きして見える。真帆の軽い波動に影響され、皐月まで実行委員が少し楽しくなってきた。

「ねえ、藤城君。ちょっと聞いてもいい?」
 華鈴の言葉に皐月はビクッとした。さっきの委員たちとのやりとりについて非難されるのかと思い、一呼吸入れて華鈴からの攻められる覚悟を決めた。華鈴に人格攻撃されたことがまだ尾を引いている。
「どうした?」
「藤城君ってすぐに『強制したくない』って言うけど、どうしてなの?」
 予期せぬ普通の質問でホッとした。強張っていた肩と首の筋肉が一気に緩んだ。
「それはさ、俺が人から強制されるの嫌だから。自分がされて嫌なことは人にしたくないだけ」
「そんな理由なの?」
「そんなって何だよ。俺にとっては強制しないされないっていうのは絶対に守りたい価値観なんだから」
「それは……立派な考えだと思う。でも人の上に立つ以上、ある程度の強制力は必要なんじゃないの?」
 華鈴に言われたことはわからないでもない。担任の先生のクラスの運営を見ていると、児童に強制力を発揮する場面が多いことは承知している。でもそれは先生と生徒の関係だから成り立つことで、児童同士ではなかなか難しいと皐月は考えている。
「俺はそもそも委員長が他の委員の上にいるとは思っていないし、委員長なんてただの雑用係程度くらいにしか考えていないよ。もしかしたら委員長なんて一番下っ端な役割かもな」
「そんなわけないでしょ! 委員長は委員会で一番偉いんだから」
「江嶋……お前って児童会長やってて自分のこと一番偉いって思ってるのか?」
 キツい言葉かな、と皐月は思ったが、一度は本人から聞いてみたいことだった。皐月には児童会長をやりたがる人の気持ちがわからない。ただ華鈴の今までの振舞いを見てきた限りでは、動機がただの承認欲求だけではないはずだと思う。
「……思ってるよ。だってそう思わないとやってられないんだもん」
「そうか……」
「何よ」
「実際江嶋は偉いよな。俺はお前のお陰で稲荷小学校は児童がみんな楽しく学校に通えてるんだと思う。今年の児童会は去年までやってたくだらない挨拶運動をやめたり、6年生と1年生の交流を増やしたりしてる。これってお前の選挙の時の公約だったよな。公約を実現させたのは江嶋の功績だろ?」
 華鈴の顔が真っ赤になった。
「なんで褒めるのよ……。そんなこと誰からも言われたことないのに……」
「みんな俺と同じこと思ってるはずだよ」
「適当なこと言わないでよ……。それに藤城君が言った偉いと、私の思ってる偉いは意味が全然違う。私の偉いはもっと薄汚いから買い被らないでほしい」
 普段は優等生ぶっている華鈴なのに、こんな風に自分の暗黒面を吐露する華鈴を皐月は初めて見た。慣れていないのか、頑張って悪ぶっている華鈴のことを皐月は可愛いと思った。
「江嶋は自分がこの学校のピラミッドの頂点に立ってるって思ってるのかな。そう考えるのはしょうがないよな。だってこの世界はどんなところでもそういう階層を作っているんだから。だから江嶋が自分のことを偉いって思うのは自然な発想だと思う。でも俺はそう言う風に思えないんだよなぁ。自己評価が低すぎるのかな……」
 華鈴の顔から興奮が引いてきた。
「藤城君は私みたいな権力志向の強い人なんて嫌いでしょ?」
「そうだな……江嶋みたいなタイプはあまり好きじゃないかも」
「……そうだよね」
「でも江嶋のことは好きだよ」
「なっ、何言ってんの?」
 告白みたいな言い方になってしまい、皐月は少しやっちまったかなと思った。好きの解釈は人によって異なる。皐月は人にすぐに好きだという習性があり、そのことで誤解をされて傷つくことが今までに何度かあった。
「権力志向って自分の考えを人に認めさせたいってことだろ。江嶋の考えを認めた人が多かったから児童会長になれたんだよ。俺は江嶋が考えてることの全てを知っているわけじゃないけど、少なくとも俺の知ってる江嶋には嫌いになる要素なんて何一つない」
「何を言い出すの……私の嫌なところなんて知らないくせに」
「いいよ、そんなの知らなくたって。自分の嫌なところなんて隠せばいいじゃん」
 自分で言いながら軽く自己嫌悪に陥った。皐月は自分に都合が悪いことをすぐに隠そうとする悪い癖がある。華鈴を利用して堂々と自己弁護しているようで恥ずかしくなってきた。
「それよりさ、お前の方こそ俺のこと嫌ってるだろ。さっき委員会で『みんなが俺のこと嫌ってるから非協力的だ』って言ってたよな。それって江嶋の本音じゃねーかなって思ってショックだったわ」
「それは違う!」
「俺はみんなが協力してくれないのは、面倒が嫌だからだと思ってたんだけどな。それなのに、お前に『みんな俺のこと嫌ってる』って言われたら、あ~俺は江嶋に嫌われてるんだなって思うだろ?」
「違う。私はただ藤城君のことを心配しただけ。独りよがりのやり方で、みんなから反発されるんじゃないかって思って」
「いや、みんな喜んでただろ。面倒な仕事をしなくて済むから。反発してたのはお前だけじゃん」
「……」

 パシパシとキーボードを打鍵する音が華鈴の沈黙のを埋めている。真帆は皐月たちがいさかいのようなことをしている間、ずっと議事録を作っていた。真帆は皐月たちに無関心かのようにずっと Chromebook に向かっている。
 皐月が真帆を見ると、真帆の手が止まった。真帆が顔を上げ、笑いを含みながら言った。
「もう痴話喧嘩は終わったの?」
 真帆の言い草が面白くて皐月は思わず声を出して笑ってしまった。
「痴話喧嘩じゃない! 水野さん、変なこと言わないでよ」
「会長が感情的になるなんて珍しいね。相手が藤城君だから?」
「誰が相手とかそういうことじゃなくて、委員の子たちが次々に役割を放棄していくのを見てられなかったの。あれじゃ実行委員が分裂しちゃうじゃない」
 真帆の手が再び動き始めた。パラパラパラっとキーボードを操作して、また止まった。
「俺は委員会、うまくいってると思うけどな。最初は何人か仕事を拒否した奴もいたけどさ、代替案を出したら受け入れてくれたじゃん。一人を除いてだけど」
「その一人を除いてが問題なのよ。みんなが納得して委員会に取り組めるようにしないとうまくいかないよ。田中《たなか》君が委員の仕事をしたくないって言ったら、中澤さんに負担が集中しちゃうでしょ」
「だから田中がサボっても中澤なかざわさんの負担にならないように仕事を減らしたじゃん。中澤さんが辛そうだったら俺のクラスの筒井をサポートにまわすよ。あいつら仲いいみたいだから」
「筒井《つつい》さんを3組のサポートにまわしたら藤城君が困るでしょ」
「困らねえよ。もう大体の仕事量はわかったから。この程度の量ならなんとかなるわ。それに黄木君や水野さんが手伝ってくれるし、江嶋だって手伝ってくれるんだよな?」
「そりゃ手伝うよ」
「だったら余裕じゃん。俺はもうプレッシャーから解放されたよ。なんか仕事の半分くらいは終わった気がする」
「なんでそんなに余裕でいられるのかな……」
 真帆は皐月と華鈴が話をしている時にまた何かを入力していたが、会話が途切れると手を止めた。
「ちょっと水野さん。何を書いてるの?」
「会長と委員長の会話を打ち込んでるの。議事録に残しておこうと思って」
「ちょっとやめてよ!」
「えっ? やめないよ。だって二人ともいいこと話してたよ」
「恥ずかしいじゃない……。それにこれ、委員会が終わった後の会話でしょ?」
 華鈴が真帆に強気に出られないのを見て、皐月は児童会での様子が何となく見えた気がした。調整能力が優れているのは華鈴だが、実務能力は真帆が華鈴を圧倒しているのだろう。児童会では真帆が華鈴を支えているのかもしれない。
「水野さん。俺たちの会話をそのまま議事録に残すの?」
「まさか。そんなことするわけないでしょ。ちゃんと公文書に書き直すから」
「そうか。よかったな、江嶋。水野さんなら上手くやってくれるよ」
「嫌よ! もう、全部消してよ!」
 華鈴が怒りの感情を隠そうともしないで怒っている。皐月はこんな華鈴を見たことがなかった。怒る華鈴はなかなか希少で、傍から見る分には面白い。
「会長が言った偉いの偉くないのって話は議事録には残さないよ。あと嫌ってる嫌ってないとかの話も。でも強制するしないの話は建設的だと思うから、きちんと後輩たちに残しておきたいって思ってる」
「じゃあ残さないっていうのはタブレットから消してよ」
「ごめんね。消したくない」
「どうして?」
「これは私の小学校生活の大切な思い出。こう見えても私、感動してるんだから。私の個人的な日記として残しておきたい。それなら構わないでしょ?」
「……わかった。じゃあ、絶対に外に漏らさないでね」
 真帆は笑顔で頷いた。華鈴はまだ完全に納得していないようにも見えるが、真帆なら絶対に約束を守ると皐月は思った。皐月は真帆のことが好きになった。


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