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#020 相手にブレーキをかけさせない

ホーチミン在住、やさかもです。

僕はこの国でいつも苛ついていることがある。

そこに立つんじゃない

ざっくり言うと人のふるまいだ。これではテーマが大きすぎて今日のnoteが成り立たないので、もっと具体的に言おう。

彼ら物理的に立つ位置、歩く速度、経路、これらすべてがdrives me crazyだ。日本語で言おう、僕をかなり苛つかせる(←ルー大柴が好きだ)。あなたは「何を藪からスティックに?」と思っただろうか(←言いたいだけ)。

例えばデパートやホテル、レストランなど、とにかく彼らは通路や出入口をふさぐようにたむろする。そしてうだうだする。最も苛つくのが、エレベータ前である。出入口でもたつくは本当に迷惑なのでやめていただきたい。ああ、僕はなんと心が狭いのだろう。

教習所のおしえ

中華思想からくる家族主義か。要は自分の家族、親族以外の他人はどうでもいい、という思想。他人を信じない思想。これを語りだすと時代を1000年くらい遡る必要があるので、ここではやめておく。

日本と比較をした場合、自動車免許の取得に際する教育が影響しているのではないかという仮説を持っている。

日本の自動車教習所では「相手にブレーキをかけさせない運転」を指導される。僕はこの考え方が大好きだし、基本だと思っている。日本の交通ルールで言えば、右折をしたくて交差点に進入する場合、、対向車線の直進車をやり過ごしてから右折を完了するだろう。ここで、前方から直進車が来ているにもかかわらず、右折車が対向車線にはみ出そうものなら、衝突事故が避けられたとしても、半端ないクラクションを鳴らされ、睨みつけられることだろう。

一方、ベトナムはどうか。これが全く逆なのだ。

相手にブレーキをかけさせる運転、なのである。ベトナムでは右車線通行なので日本と反対になるが、ここでは便宜上、日本の交通ルールで説明したい。つまり、左車線通行を思い浮かべていただきたい。

ベトナムでは車が交差点に進入して右折、またはUターンをする場合、対向直進車が来ていても、ヌーッと対向車線に頭を出していく。つまり、対向車に減速を強いるのである。それに対していちいちクラクションを鳴らす輩はいない。日本なら、両者が車から降りて大乱闘になりそうな状況である。この国ではなぜか、自分の車が相手によって減速させられることについて、やたらと寛容なのである。

また、小道から本線(大きな道路)に進入してくるバイクや車も同様だ。つまり「先に出たモン勝ち」なのである。しかも、進入の際に全く目視をしない。基本姿勢は「俺が行くからお前が止まれ」なのである。

歩行者の話に戻ろう

話を元に戻そう。歩行者の話だ。これも車と同様で、相手に立ち止まらせるような歩行経路、歩行スピードが社会全体でまかり通っている。

はっきり言って、邪魔。迷惑極まりない。

エレベーターや公共施設の出入口は「出る人優先」という概念が通用しない。エレベータ―で下に行きたい人は、わざわざ上行きのエレベーターに乗り込み、最上階まで行ききってから、本来行きたかった下階に降りる。てめえ1人分のスペースが非常に邪魔であることをわかっていない。

この国で、もし日本のような地震が起こったら、結果は目に見えている。人を押しのけてまで、自分が我先に移動しようとする人が多勢であるため、将棋倒しのような人為的原因による死傷者が出るであろう。

ベトナム戦争時代の配給制度

ひとつの説だが、これはベトナム戦争時代の配給制度に由来するらしいのだ。ベトナムはとても貧しかった。政府の配給により食糧が配られるのだが、配分計画をきちんと立てていないものだから、配給受取所に集まる人にモノが行き渡らないのだそうだ。そこで、先人の教えはこうなった。

「並んで待っているともらえなくなる。とにかく前へ前へ行け。」

ベトナム戦争が収束してまだわずか50年。戦争に参加した当時貧しかった20代はいま70代となっており、社会のご意見番だ。彼らの教育を受けた40‐50代のミドルがこの教えを信じて疑わないのだから、コンビニでも空港のカウンターでも、きちんと並べるはずがない。きっと学校でも先生たちが横入りをする人たちなのだろう。教育者への教育が必要だと言わざるを得ない。

日本人が教習所で自動車免許を取得するようになった効能が、意外なところにあるんじゃないか、とひそかに僕は思っている。ベトナム人よ、もう一度言おう。

相手にブレーキをかけさせてはならないのだ。


異文化をどうしても許容できない、心の狭い自分に喝。

19日目 おわり。