記録007

きのうは何をしていたっけ。思い出そうとしても、さらさらとして区切りのない日々のなかでは、いつの出来事だったのかが綯い交ぜになっている。近い時間から手繰り寄せていく。きのうは、やっぱりお昼すぎにおきて、それから、作業しようかと思いつつもなかなか手が進まなかった。一昨日初めてつくったスモアにハマって、そればかりと玄米カレーを食べた。後輩から連絡がきて、夕方から作業を手伝ってもらって、近くの飲み屋に行って、バナジューとハスの揚げ物を食べた。ぜいたくで、健全な、ちいさな飲み会。

きょうは午前中に起きた。どうしても、夜中や明け方に何度か覚醒してしまう。不愉快だし、日中は眠い。ずっとソシャゲをした。カレーとパスタを昼夜それぞれに食べ、どうしようかと思っていたけど、きょうまでだと分かったので《ドリス・ヴァン・ノッテン》を見に行った。うつくしい映画。うつくしい仕事、うつくしい生き方、うつくしい生活。無駄がなく、一直線、かつ丹念に仕上げられている。あらゆるマテリアルによる生地、そしてモティーフ。日々ふれるネイチャーとカルチャーに刺激されて、湧き水のように生まれでるドリスのアイディア。とくに商才に長けているのにも驚く。唯一、おそらく紙本着彩の障子とともに飾られた大きな花は、悪趣味、と声が出そうだった。わびさびや幽玄のないやり方。それでも、広大なガーデン、こだわりぬかれた二人暮しには多すぎる家具、白い白いおおきなおうち。そして愛する人。わたしにはない何もかもがそこにある。
それでわかった。わたしが潰れたのは、とても簡単な理由なのだ。Oibokkesiの人が言っていた「『認知症の〇〇さん』ではなく、『〇〇さんは認知症』と見なくてはだめ」ということばが過ぎる。わたしはあの大学に通っているだけなのに、それを背負っていかなくてはならないような環境がつらかったこと。そして、いまのわたしには、手の届く範囲に愛する人々がいないということ。浜松にいたときはたくさんたくさんいた人たちを失って、わたしはこんなにも簡単に、あっさりと、潰れたのだと。
帰り道、久しぶりに、空を見上げた。星がきれいだった。

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