記録042

誰も見ていなくても書く。誰かが見つけてくれるのを待つのではなく、ただひたすらにわたしのために書く。わたしの慰め、歓び、悲しみのために書く。そういう風に書いていくと決めよう。
きょうの病院でようやく診断がおりた。わたしは不注意優勢型のADHDである。
かつては、おそらく私は「ややそういった傾向がある」だけで発達障害とまではいかなくて、認知特性も視覚がやや弱いので相対的に聴覚がやや強いというだけで特別なにかが弱かったり何かが強かったりするわけでもなくて、わたしは、少し弱い人間、なのだな、と思っていた。そして、こういう、「少しだけ」弱い人間、獣にもなれず普通の人にもなりきれない私たちが、うやむやと生きていけるのが、なんとか社会にかじりついているのが、現代の世の中であるのだと、また強者はより強く、弱者がより弱くなっていくのを知っているから、それでなんとか自己を保とうとしていた時期があった。ずっとあった。長い長い冬のように。けれど、きょうでそれが終わった。少しだけ、自分の「せい」から離れる日がやって来たのだ。じわじわとそれを噛み締めている。わたしは弱い。人より弱い。けれどそれでも、それは「弱い部分の私」であって、つまり「ADHDの私」であって、「自我を持つ私」とはなんら関係がないのだ。わたしの自我は、ただそこにあり、見聞きし、思考し、ことばにするわたしの自我は、きっとただ純粋にあるのだ。そう信じて、やっていく。書き続ける。これは希望であり、「かつての私」の墓標として、記しておくのだ。

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