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ごはんについて書くための習作58

授業が13時10分から始まる。最寄駅の上野毛駅に着いた時刻は12時15分。駅から多摩美術大学の校舎までは5分程度。「15分前には101号室の研究室に来てください」と言われている。つまり12時55分。「正門は工事しているから南門から入ってほしい」と言われていて、初めて入る学校、5分前には到着していた方が良いはず。12時50分。駅からの移動時間を鑑みて12時45分くらいには向かい出す必要がある。ということを考えながら、駅の近くで昼食を探す。
今日これから授業の特別講師として人生で初めて学生に話をする。その直前の気分にあう昼食が見当たらない。その状態でどういうメニューが合うのかも分かっていない。時間だけが過ぎていくので、とりあえず、校舎のある方向へ歩き出した。校舎は環状八号線沿いで、沿いは地代も高く私の好きな趣ある飲食店はないだろうと裏路地を進んだのが間違いで、この辺りはなかなか閑静な住宅街。
母校であれば勝手知ったる学食で済ませても良いけれど、始めていく学校の学食で二十歳前後の若者に混じって食事をする勇気は無い(この後、大学に到着して東京の中心に程近い学校ならではのファッショナブルな!学生たちを見て、ここで食事をするのは無理だと思った)。

諦めかけた頃(という程の事ではないが)、油の匂いがした。昼間からこの量の油を炒める住宅はない。やはり中華料理屋だ。普段つけないAppleWatchを見る。20分くらいで店を出れば間に合いそうだった。ガラス戸を覗いて見えるテーブルの2席は埋まっているが1席空いている。これなら行けると思って入店した。
店が縦に長かった。奥に細長い調理場があり、その目の前がカウンター席になっていて会社員とおぼしき男性客と近所のおじさんが5人くらい料理を待っていた。「なんてこった」という気持ちを押し隠して、一人であることを店員に伝える。一見さんにも丁寧そうな対応。
近所のおじさん(近所に住んでるかどうか知らないが)と一席空けたところに通される。メニューがおじさんの目の前にある。声を掛けて取ってもらうのも声の通らない私には難しく、メニューを探すフリをして店員さんに取ってもらった。
時間がないので一番早そう、且つ左上にあるということはこの店の推しであろう「八宝菜」を注文した。
座った目の前のカウンターにはタレに浸かった焼豚がある。ビールが飲みたい。「初めてのことで緊張してもあれなのでビール飲んできました」みたいなアイスブレイクは現代の若者に対して最悪だな、と思ってやめる。
焼豚の横に注文伝票が並べられていて、私の伝票の番になった。八宝菜は早い。主菜の他、副菜として大根の煮たものと、餃子が3つついてきた。これも焼きたて。残り10分。
八宝菜、餡がかかっていて熱い。野菜によって熱さが違うので熱そうな白菜の芯を後回しにして、人参、白菜の薄い部分など、具材ごとに食べ進める。エビは意外と熱くない。目の前で振られ続ける中華鍋。今週、月曜日にフランス料理屋と牛タン屋の店主らと船釣りにいって、「中華鍋は家のコンロでも大丈夫ですよ」という話をされたのを思い出した。

油で臭くなったニットとダッフルコートを手で払いながら閑静な住宅街を抜け、大学の南門に向かった。

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