こいぬのうんち

自分の気持ちが昂ったので、その記録。絵本を読んで涙が止まらなくなった。

クォン・ジョンセン著『こいぬのうんち』(2000)平凡社

実家を出るときに持ってきた唯一の絵本。小1の修了式の日、転校する私に担任の先生がくれた1冊である。

道端で子犬がしたうんちの話。うんちは、つちくれや鳥に「汚い」と言われ「自分はなんの役にも立たない、ただのうんちなんだ」と、さびしく呟く。うんちはずっと1人ぼっちだった。春のある日、たんぽぽに「わたしがきらきら輝くためにはあなたが必要なの」と言われる。やがて、うんちは土にかえり、道端には1輪のたんぽぽの花が咲いていた、という心温まるストーリー。子供たちにも理解しやすい内容。

小1の時、担任の先生はいつも読み聞かせをしてくれていた。「こいぬのうんち」もその1冊で、クラスの男の子たちは「うんちだ〜!」「うんこの話〜!」て茶化してた気がする。わたしはと言うと、「うんちくんも綺麗なお花が咲くためには必要な栄養になるんだ!感動するお話だな」なんて思っていた気がする。でも、祖父母の家で飼っていたハスキーがするうんちを見るの嫌だったし、題名にうんちって言葉が付いているのが恥ずかしくて、先生からもらった時はすぐに鞄にしまっちゃっていたな。

それから父の仕事の都合で何度か転勤・引越しを繰り返したけど、「こいぬのうんち」はどこにも売らず、誰にもあげず、ずっと子供部屋の本棚に並んでいた。先生からもらった本でもあるし、手放す気にはならなかった。たま〜に読み返しては、感動する話であることを再認識していた。

大学を卒業して実家を出る時も、迷うことなく引越し荷物に入れた。カバーが所々破けてしまっているが、大切に梱包した。

実家を出て1年ちょっと。今日、超久しぶりに「こいぬのうんち」を読んでみた。

涙が止まらなかった。

不思議と滝のように涙が出てきた。

涙で汚さないように慎重にページをめくった。


うんちと自分を照らし合わせていた。


私は相変わらずポンコツ営業社員だから、「そのままだったら営業社員として、いる意味がない」「隣の課の○○さんは、こんなにすごいよくできてるのに。」と口すっぱく言われている。はい、おっしゃる通りでございます、申し訳ございません。言われることが当たり前すぎて、もはや何も感じなくなっている。(おい)
最近はそんな調子だったから、精神的に疲れた、とか、病んだとかは全く感じていないはずだった。自分は自分なりに一生懸命生きているんだ!自分の人生!人生の主役は私よ!という意味不明なテンションで生きていた。

でも、自分とうんちがどこか似ている気がした。それで涙が出た。

自分がなんのために生きているのか。毎日重い体をなんとか起こして、毎朝のミーティングをなんとか耐えて、取引先とド緊張しながら世間話して説明して、眠い目を擦って社有車乗り回して、無言でお惣菜貪って、なんとかシャワー浴びて、、、この繰り返し。社内の評価は最低だろうし、プライベートも全く良い話ないし(笑)、なんか何もかも中途半端に生きてる気がする。このままじゃだめで、自分から何かしないと何も変わらないのは、痛いほど分かっているんだけど、行動を起こせない(起こさない)自分がいる。本当に自分がなんのために、何がしたいのか、何をするために働いているのか、自分はどうして生きているのか・・・忙しさを言い訳に考えないフリをしていただけで、心のどこかではずっと悩んでいた。

改めて「こいぬのうんち」を読んで気付かされた。塞いでいた心の穴の蓋が全部崩れた。うんちにこんなに感動させられるとは。

でもね、私たちには生きる意味、今ここに存在する意味は必ずある。その意味が分かるのは、明日かもしれないし、1年後、もしかしたら何十年後かもしれない。そして、その意味は大勢の人のためかもしれないし、誰か1人のため、もしかしたら自分のためかもしれない。自分が気づいていないだけで、今も誰かを支えていたり、誰かのためになっているかもしれない。

今、その意味が分からないからと言って、自分はなんの役にも立たない、生きる意味がない人なんだと思わないこと。悲観する必要はない。

決して、意識を高く持てと言っているわけでもない。常に誰かの役に立つためにこれしようとか、無理にする必要もないと思う。気楽に生きていけばいい。

だから、今を生きることを辞めないこと。そう、生きてるだけで丸儲け。

これが私の人生、みんなの人生。




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