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存在のない子供たち【映画レビュー】

今までみた映画で特に印象的だった映画の話。

映画鑑賞後はいろんな感情や感想が浮かんできて涙が止まらなくて、とりあえずその場でメモにベタ打ちしたけど、文脈がはちゃめちゃで理解できず・・・解読に時間を要した。。最近、NetflixとかAmazon primeとかでジャンル問わず映画見まくってるけど、この映画はずば抜けて色んな意味で最高の映画だった。多くの人にこの映画を知ってもらいたいし、映し出されている過酷な現実を知ってもらいたい。なんといっても自分の気持ちをまとめたい、そう思ったので、noteにまとめることにしました。

※作品概要やあらすじは『存在のない子供たち』公式HPをご覧ください。

ここからネタバレ含みます

最初はスラム街の子供たちが木で作った銃を振りかざして走り回っているシーン。あるもので、大人たちが使っているものを再現して遊んでいる子供たち。実際にインドやアフリカで会ったスラムの子供たちの姿が重なり、その時の思い出が蘇った。
彼らから私たちはどう映っていたのかなんて当時は全く気にしていなかった。私たちを笑顔で迎え入れてくれ、それを真に受け止めてしまっていたからだ。一緒に英語の勉強をしたり歌を歌ったりしたが、彼らの本当の気持ちを考えずに過ごしてしまった。反省と後悔と恥ずかしさで心がいっぱいになった(ちなみにここで上映開始1分程度。笑)
もうこんな感じで思い出したらキリがないほど感想が多すぎる。

主人公ゼインはある貧困家庭の長男として生まれ、家を支えるためきょうだいの世話をし働いていた。ある日、ゼインは妹サハルの初潮に気付き小売店でナプキンを盗み、自分の服でズボンを隠すように言った。サハルが嫁がせられないように、ゼインは家出の準備をこっそりするが、数分間に合わず大家でもある小売店主に売られ、結婚させられ妊娠をした(語弊があった。させられた、である)。病院へ行くが身分証がなく診察を受けられずサハルは病院の玄関口でこの世を立った。なんという悲劇だ。

ゼインはそんな親に耐えきれず、たったの12歳で家を出て一人で生きていくことを決める。自分以外にも様々な境遇で生きる人々と出会い、共に協力しながら生きていく。

彼らには身分証がないから、戸籍上では存在しない人々である。彼らは私たちが当たり前のように恩恵を受けている国の保証を受けることができず、病院に行くことすら許されない。

あまりにも理不尽すぎるこの世に目を背けたくなった。同じ地球に生まれていた人間なのに、私が狭い世界でただ漠然と生きていることに嫌気が差した。かと言って、私が今日アクションを起こしたからと言って、明日彼らに身分証が与えられるわけでもないし、労働せずに教育を受けられるようになるわけでもない。

フィクションとは言うけれど、この映画で描かれている無数の問題は現在も世界各地で発生している事実である。遠く離れた日本にいると、なんとなくかわいそうみたいな感情を抱くだけで、朝から晩までひたすら仕事している日常生活では気に留める機会は正直ない。でも、映画というメディアのおかげで多くの人が気付けるだろう。

ゼインやサハルは街中でいわゆる物売りをして家族の生活を支えたいた。アジアやアフリカの後進国やそういう地域に行くと、信号待ちの車に物を売ったり、観光客に物を売る子どもたち(大人もたくさんいるけど)がたくさんいる。基本物売りは近寄らない方がいいということで無視することが多い。そいういう人々はゼインやサハルのような生活を送っている人が大半だと思う。かと言って土産を片っ端から買うわけにもいかない。

少しずつでもムーブメントを作っていかなきゃいけない。そのために少しでも多くの人が現実を知って、少しでも多くの人が「変えたい」と思って行動できるようになれればいいのかな。

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