1-2 デザインの基本構造(1章:デザインとは?)

(Last Updated : 2019.10.25 / Version.1.3)

前のノートではデザインの歴史を簡単に紐解きながら、デザインの重要な核は「人間(ユーザ)を中心に据えて考え、何かしらを設計する」ということあるのを説明しました。このノートでは「これを構造的に考えた場合、いかなる構造になるか?」について迫ってみたいと思います。

ご近所のアートさん

デザインの話をしようとした時に、よく一緒について回る話がひとつあります。それは「アートとの違い」です。何か「新しい物事を生み出す」という点において共通しながら、さらには「人間を魅了する」という点においても似たようなスタンスを取る、ある種ご近所さんのような存在のアートさんです。

まぁ、ご近所さんだけあって「なんだか境目が分かりにくい」といったところかと思います。アートとデザインの境界線をキッチリ引くのは極めて困難だとは思うのですが、この機会に一度、ご近所さんたるアートとデザインを比較しながら、デザインの構造を浮かび上がらせることを試みてみたいと思います。

これはデザイン?それともアート?

「デザインとアートの違い」についてですが、筆者も授業でよく学生に向けて同じ質問を投げかけます。すると、実に様々な答えが返ってきます。ある学生は「デザインは機能があるけど、アートには機能がない」と答えたり、またある学生は「アートは自己表現方法で、デザインは人のためにするものだ」と答えたりします。時には「アートとデザインには何ら違いはない」と答える学生もいます。ただ、どの答えを聞いても、全員が「たしかにその通りだ」と納得する答えは出てきません。

もしかすると答えなど無いのかもしれません。と、こんなことを言ってしまうと話が続かなくなってしまうので、いくつかの事例を挙げながらこの問題と向き合ってみましょう。まずは、ダイソンの掃除機を考えてみましょう。「吸引力の変わらないただひとつの掃除機」でお馴染みのアレです。さて「これはデザインでしょうか?アートでしょうか?」

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(画像はグッドデザイン賞受賞対象一覧から引用/ライセンス条件

授業で学生に挙手を求めてみると、ほぼ全員が「これはデザインだ」に挙手します。理由を尋ねてみると、おおむね皆「機能があるからだ」と答えます。最初にデザインとアートの違いを尋ねた折にも「機能の有無」を評価基準に挙げた学生がいるぐらいですから、判断しやすい事例かと思います。ということで、これがデザインかアートかの答えはさておき、今度は機能という意味で、少しグレーゾーンに迫ってみましょう。

次に事例として頭に思い浮かべていただきたいのはAIBOです。犬の形態をしたペット型ロボットのアレです。さて「これはデザインでしょうか?それともアートでしょうか?」

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(画像はグッドデザイン賞受賞対象一覧から引用/ライセンス条件

同じくして学生に挙手を求めてみると、先ほどのダイソンよりも人数は減りますが、大方が「これはデザインだ」に挙手します。AIBOの機能は何か?と言われると、これまた難しいところですが、強いて言うなれば「まるで犬のように振る舞う機能」が搭載されたロボットとも言えるでしょうし、人間にフォーカスをした場合、「ユーザの生活に潤いを与える機能が搭載されている」とも言えるでしょう。

先ほどのダイソンの事例では「ごみを吸引する機能」という人間の生活に役立つ分かりやすい機能がありました。ですがAIBOになると、そこはなんとなくモヤっとしてしまいます。でも、なんとなくですが、多くの人は各々AIBOに込められた意図を読み取った上で「これはデザインだ」と判断するようです。さて、例のごとく答えはさておき、次の事例へと進んでみましょう。

次の事例は、倉俣史朗先生の椅子「ミス・ブランチ」です。透明アクリル樹脂の中に1本1本丁寧に埋め込まれた花が実に美しく、見ているだけで思わずウットリしてしまうアレです。この椅子、すべてが手作りというまさに職人芸の極みともいえるモノで、噂によるとたった56脚しか製造されなかったそうです。しかも、ニューヨーク現代美術館をはじめ、多くが国内外の美術館に収蔵されていますので、実際にミス・ブランチを使用したことのある、または所有している方は極めて少ないでしょう。さて「このミス・ブランチは果たしてデザインなのでしょうか?それともアートなのでしょうか?」

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(画像はWikipediaから引用/ライセンス条件

この段になってくると、先ほどまで自信満々で手を上げていた学生たちの顔にも少しばかり迷いの色が出てきます。そして挙手を求めてみると、今度は概ね半々に分かれます。このあたりがきっとデザインとアートの狭間なのでしょう。

授業でこの話をすると、ここら辺りから「あれ?」といった感じで、自分の判断基準に対して疑問が生じるみたいです。そんな様子はさておき、「デザインか?アートか?」クイズはなおも続きます。ということで、授業と同じくして事例を続けてみましょう。

次の事例は「デュシャンの泉(Fontaine)」です。デュシャンの泉はマルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)という芸術家の作品ですが、アートの世界においても物議を醸した作品として有名です。というのも、このデュシャンの泉、どんな作品かというと「小便器を横に置いて、サインを書いた」というだけの作品です。1917年に独立芸術家協会(Society of Independent Artists)が開催した展覧会に出品される予定でしたが、協会側に拒否されてしまいました。協会の役員でもあったデュシャンは、これに腹を立てて協会を辞めてしまいます。ところが、物議を醸しただけあって、ある意味で注目されることになり、結果として数十年後に再評価をされ、世界中の色々な美術館にレプリカが収蔵されるようになったという、いわくつきの作品です(写真はレプリカ)。

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(画像はWikipediaから引用/ライセンス条件

さて、このデュシャンの泉について挙手を求めてみると、今度は先ほどのような迷いはなくなり、皆、自信に満ち溢れた雰囲気で「これはアートだ」に挙手します。やっぱり芸術家が行うことですし、美術館に収蔵されているからでしょうか。なんとなくアートな雰囲気をそこに感じるのでしょう。きっと。

さて、事例の話もそろそろ飽きてきた頃かもしれませんので、これで最後の事例にします。最後の事例はこちらです。

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基本的には先ほどの「デュシャンの泉」と同じようなものなのですが、実は少しだけ方向性が違います。まずはこの写真の作品がアートかデザインか考えてみてください。いかがでしょうか?

デュシャンの泉は有名なので迷うことも少ないかと思いますが、今回のモノは迷った方も多いかと思います。なぜなら「見たことない」からです。それもそのはずです。これは筆者が落書きした食器用洗剤スプレーだからです。

とはいえ、そのまま撮影してもきっと疑問には思わないので、ちょっとだけ細工をしました。とりあえず横に置いてみて「それっぽく」なるようにハンドルを少しだけ回転させてアンバランスな雰囲気を作りました。それでもまだ何だかそれっぽくないので、ラベルを剥がして、筐体に意味深っぽい「顔のような絵」を描き、最後は端っこに巨匠っぽいサインを入れてみました。もちろんお気づきのように、いずれの行為にも何ら意図はありません。ただのデタラメです。

ということで、この話を踏まえて先ほどの事例がデザインかアートか判断してみてください。元々の判断がどちらであったかはともかく、きっとほとんどの方が「これはデザインでもアートでもない、ただのガラクタだ」という判断になったのではないでしょうか?

実は着目しているのはプロセス

ちょっと冷静になって考えてみてください。スプレーをアートっぽくアレンジしましたが、別に何ら機能は失われていません(撮影後もキチンと我が家で活躍しています)。きっと、スプレーをそのまま提示して「これはデザインですか?アートですか?」と尋ねたら、多くの人が「これはデザインだ」と答えるはずです。それなのに、私がちょっとだけイタズラしただけでアートかデザインかの判断に迷いが生じる事態になり、ネタばらしをした途端に「アートはおろかデザインだなんてもってのほかだ!」になってしまうのです。なんか理不尽だと思いませんか?

冗談はこれくらいにしておいて、この変化に着目してみると「デザインとアートの違い」に関するヒントが見えてきます。評価が変わってしまった最も大きな要因は「実は"何ら意図が存在しない"ということが分かったから」だと思います。もちろんモノそのものに変化はありません。と考えると、判断の基準は最終成果物にないということが分かります。ではどこにあるか?というと、プロセスの問題としてこれを考えると案外すっきりと説明出来ます。

わたしたちは「デザインかアートか」の判断を下す時、実は最終成果物を見ているのではなく、そのプロセスを推察して判断を下しています。例えば先ほどの事例であれば、スプレーそのものに対して判断を下すのではなく「スプレーをまるでアートかのように仕立てるプロセス」に対して「そんなプロセスはデザインでもアートでも無い」という判断を下すのです。

これを反対の方向から眺めてみましょう。そうすると「最終成果物を見ただけではそれがデザインかアートか判断することは出来ない」ということが分かります。言い換えれば「デザインかアートかの違いは、そのプロセスに内包される」といえます。そして、判断に変化が生じてしまうような最後の事例からもお分かりの通り、私たちは半ば無意識的にそのことを知っています。

では、ダイソンの掃除機やAIBOなどのように、成果物から迷いなく判断できるのは何故かというと「それを設計する過程において、いかなる意図をもって設計がなされたか」の推察が容易だからでしょう。だからこそ、意図の推察が難しいミス・ブランチのような事例で迷いが生じるのです。

デザインの基本構造

これまでの話で「デザインとアートは最終成果物を見ただけでは判断することが出来ない」ということについて、何となくお分かりいただけたかと思います。そして「デザインとアートの違い」を探るためには、そのプロセスに着目する必要がありそうだということもお分かりいただけたかと思います。

と、ここで一度「デザインかアートか」の話は置いといて、デザインのプロセスに着目してみます。

プロセスを考えるヒントとして1-1の結論を用いてみましょう。1-1では、デザインに関する歴史を紐解いた結果、「デザインとは、人間(ユーザ)を中心に据えて考え、何かしらを設計する行為である」という結論が導き出されたかと思います。これをプロセスで考えてみましょう。とはいえ、物事を複雑に考えるのは混乱の元なので、なるべくシンプルに考えてみることにします。

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