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Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono.

久しぶりにハワイのお話。
ハワイ王国(1795-1893)はわずか100年足らずだったが、その間には想像もつかないような大変容が起きた。カメハメハ大王がまだ生きていた時代にはハワイという島々はまだ地図にも載っていない誰にも知られていないポリネシアの島のひとつに過ぎなかった。
しかしカメハメハ大王の死後、ハワイには一気にハオレ(白人)たちが押し寄せてきた。その多くは宣教師たちで、まだ文明的に発展していなかったハワイアンをキリスト教の布教と同時に文明化させていった。文字がなかったハワイ語にはアルファベット12文字と吃音を表現するオキナ「’」の13文字が割り当てられ、言葉を文字で表すようになった。
大王の死後、王となったカメハメハ2世は外交としてイギリスのロンドンを訪れた。彼はそこで麻疹にかかり、命を落とす。麻疹くらいで?と思うかもしれないが、ハワイアンは大陸と交流がなかったためにさまざまな病に対して免疫がない。そのためにロンドンに渡って10日間で病に倒れたのだ。
そしてカメハメハ3世が即位する。彼は12歳という若さで王座に就く。そして彼の時代にハワイは大変容を余儀なくされる。西欧化と言えば聞こえがいいが、民衆がついていけないような制度(憲法や土地制度、貨幣制度など)をいきなり導入し、結果、ハオレに優位なかたちが作られ、白人社会が台頭する基盤を作ってしまうことになったのだ。オセロで言えば四隅を取られてしまうような感じだ。

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そして事件が起きる。1843年2月、イギリスのジョージ・ポーレット卿という人物が独断でハワイに対してイギリスに領土を明け渡すように要求。カメハメハ3世は強制的にラハイナに隠居させられ、ハワイ王室にイギリス国旗を掲揚させるという暴挙が起きた。
同年7月に来航したトーマス少将がポーレット卿の暴挙を認めて、その後イギリスのビクトリア女王はハワイを併合する気などはないこと表明して解決したが、この時、ハワイ王国は一時的に、約半年間、消滅してしまったのだ。
事件が解決したのち、カメハメハ3世はオアフ島に戻り、1843年7月31日、主権を回復したことによる祝賀式典で演説することになった。その時の言葉がタイトルの通りだ。

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Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono. ― 土地の命は正義とともに生き続ける

この言葉はハワイ州のモットーにもなっているが、国の自治権(統治権)は正当にハワイアンのもとに永遠に返還された、ということだ。ざっくりと簡単に言えば、ハワイはハワイアンのものである、ということだ。

ハワイアンミュージックのレジェンドであるイズラエル・カマカヴィヴォレ(Israel Kamakawiwoʻole)、通称「IZ(イズ)」は、『Hawai'i78』という歌の中で、冒頭、このハワイ州のモットーを歌詞として用いて民衆にリマインドさせている。
ハワイはその後、クーデターにより王国が崩壊した。今ではアメリカ合衆国の一部となっている。しかしハワイアンのマインドは永遠に侵されることはない。このモットーを忘れない限り、ハワイという聖なる土地の主権は、どんなに移民が訪れようと、アメリカ合衆国に併合されようと、ハワイアンの血を受け継ぐものたちのものなのである。ハワイという土地に、その土地が持つエネルギーに、私は深く敬意を表さずにはいられない。

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