「サッカーには、他のスポーツと違って夢がある」

いきなりこういう風に書かれると他のスポーツを見ている、愛好している、その競技の関係者はいい気分はしないと思う。

では

「サッカーには夢がある」

こう書くとどうだろうか。「サッカーには夢がある」。サッカーというスポーツで見る方にも、やる方にも夢を与えられる、確かにそうだと肯定し共感する人は多いと思う。しかし一方で

「サッカーには」と「夢がある」の間に書かれていない、書いた本人も想像だにしない前述のような「本音」を勝手な推測で感じ取って

「こいつは他のスポーツには夢が無いと言っている!間違いない!」

と自らの勝手な推測を基にしてその発言者に真意を問い詰める。そうすると「そういうつもりで言ったのではない」と発言者は言う。そこで本来ならば終わりなのだけれども、

「いや、こいつはこう言っているけれども本意は違うところにある」と自らの誤った見方を改めようとしない。


ここまで書かれたことと同じことが

まさにこれである。

確かにラグビー関係者による自分たちの競技の優位性を訴求する過程で他のスポーツ(主にサッカー)を卑下する(例:サッカーはすぐ倒れるがラグビーは倒れない…等)シーンが多々見られてきたのは事実である。

ただ、騒動の発端になった件のツイート「ラグビーファンは渋谷では騒がない」は一見何も卑下していないように見える。ただ、今まで上記のような扱いを受けてきた人たちが自分勝手な解釈で「ラグビーファンは」と「渋谷では騒がない」の間に幻の「サッカーと違って」というワードを見出して勝手に騒いでいるのである。そして後に「特定の競技や人間と比較していない」と否定しても頑なに誤解を認めようとしない。


ちなみに表題の「サッカーには夢がある」は現在Jリーグディビジョン2で活躍中のV・ファーレン長崎の高田社長がツイッターでよく使っている言葉を改変、いや、今回の騒動のように勝手な目線で解釈したらこうなる、ということで使わせていただいた。

バイアスがかった勝手な解釈がいかに馬鹿馬鹿しいものかを知って、賢明なサッカーファンになろう。

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