地域金融機関~タテとヨコの闘い~

 私達の暮らす経済は二つの部分から構成されています。一つは物(有形の財)やサービス(無形の財)をつくる部門。これを実物経済と呼びます。もう一つはこの実物経済にお金を供給、あるいは調達する部門で、これを貨幣・金融経済と呼びます。
 誰がどう考えても、経済の中心は“ものづくり”ですから、この二つの部門に序列をつけて、部門A(実物経済)部門B(金融経済)とします。(図1)

 二つの部門は相互に作用します。それが図中の矢印⇒ですが、部門Aから部門Bに預金としてお金が動き、逆に部門Bから部門Aに融資がなされると、ある重大なかつ待望の結果が得られる。それが経済成長ですが、まずは部門Aの増大として現象する。部門Aを構成するのは様々な生産主体(企業、団体、その他の組織、個人)ですから、それらの規模の拡大として私達の目に見えるようになります。私達はこの部門Aの部門の増大を、GDPの成長として計測するようになるのです。

 さて部門Aが成長・増大すると、同時ではありませんが後を追うように部門Bも成長します。いわゆる一国モデル(世界はひとつの国という前提)で考えると、部門Aと部門Bは均衡を保って成長すると、理想的に考えるのです。

 ここから日本の特殊事情を考えていきます。日本の特殊性ははっきりした階層性があることでしょう。つまり、部門Aにも部門Bにも構成主体が階層をつくって存在している。この状況を描くには円型より三角形が便利ですので書き直してみます。例えば部門Bを描いてみると(図2)になります。これは週刊ダイヤモンド誌が描いたものですが、私のイメージとピッタリなので拝借しました。

 日本の部門B、つまり金融部門はかなりはっきりした階層構造を持っています。(図2)が示すように一番上にメガバンク(ひと昔前は都市銀行他21行がここに)が5つ。その下に旧地方銀行、そして第二地銀と呼ばれている旧相互銀行があわせて104行。さらにその下に、信用金庫。図では、横に並列になっているけど、実際には三角形の一番下の構成体として信用組合があります。特に“おことわり”を書く必要もありませんが、上といっても尊敬しているという意味ではなく、下といっても卑下したのではありません、そうであることは部門Aに話を移すと明らかになります。
 階層を意識して部門Aの三角形を描くと(図3)になります。日本では一番上に大企業があります。日本では法律で中小企業の定義がされていますから、その範囲の上にあれば厳密に定義する必要はありません。大企業≒株式公開企業、もう少し狭く東証一部上場企業でもいいでしょう。法律の定義で最もよく使われているのは、製造業の場合、従業員数で300人以上が大企業です。ですから、地方に大企業製造業は極めて少ないのです。

 中堅企業というのは、定義のある概念ではありません。1970年代に中小企業というイメージの悪さから、大企業とは呼べないけど成長の可能性が高そうな企業をそう呼んだのです。二人の高名な学者が『中堅企業』という本を書いて世の中に定着させたのです。いわば、ベンチャー企業です。
 中小企業といっても従業員数300人以下ですから、とても範囲は広い。そこで、20人以下を小企業(これは図には書いていません)、自分一人でやっている企業を自営業と呼んでいます。自営業が日本にいくつあるかは、はっきり把握できません。しかし、ここが数でいえば最多ですから三角形の下辺は広くなっています。
 さて、部門Aも部門Bも人間の営みですから、すべてどこかの地面の上で行われています。土地ですね。日本ではこの土地の階層化が著しい。それを三角形にすると(図4)の(C)になります。一番上は東京圏、そして大阪、名古屋、地方中核都市、県庁所在地、中都市、小都市、そして田舎です。

 もちろん、東京にも自営業はゴマンとあり、地方都市に、ひょっとすると田舎に大企業もあります。ですから、(A)や(B)と(C)は完全附合しませんが、大体は同調しているところが肝心なのです。つまり、東京には大企業の本社が多い。実際の生産拠点が地方にあっても、社長室がどこにあるか、取締役会の開催地、そして税金を納めるのはどこかを問えば、答えは東京です。
 日本は妙な国で、本社は東京といえば“信用”があり、さらに中央区とか港区とか書いてあれば万全。働いている社員も、地方に出張して胸を張って名刺を差し出すのです。
 話は少しそれました。大企業の金融的取引相手はメガバンクです。だから三つの三角形はだいたい横につながっている。三つの三角形の上の方には一流のみが往来できる空中渡り廊下があるのです。
 同じ視点でみていくと、三つの三角形の各層が適当にバランスをとってつながっているのです。このことによって、日本経済の階層構造は安定していたのです。
 ところがここに大きな変化が生じました。まず(A)。大企業の比率が大きくなり、中小企業のそれが少なくなる。自営業や小企業は、数そのものが大きく減少する。中堅企業は期待していた程に成長しない。結果として(A)の三角形が変形し、頭でっかちになるのです。

 同じことは(B)にも生じた。数はメガバンクも少なくなりましたが、その存在感を示す預金量、貸出量は断然大きくなった。下辺では数も質量も大幅に減った。だから、ここでも変形するのですが、最も変形がひどいのはまん中あたり。つまり、金融機関のうち地方銀行が下方に営業エリアを移動しはじめたのです。それは、彼らのかつての顧客であった他の中小企業が少なくなったからです。これは釣り人が魚のいる方に移動するような話ですが、移動された方は大変です。釣り場の奪い合いとなり、釣り糸の数は増える一方。つまり、これまでにない競争条件が出現したのです。(B)の三角形の中で金融機関が移動する。これをタテの変動と呼んでいます。
 (C)の変化は、説明するまでもないでしょう。東京一極集中は、昨日や今日の話ではなく継続して進行しました。最近では西の横綱の大阪まで沈没の気配です。大阪都などという構想が持ち上がってくる背景です。地方中核都市は、後背地から人口を吸収して発展してきたのですが、その限界も見えてきました。底辺の市町村にあっては“増田レポート”がいうように消滅の危機にあるのです。変形の程度は(C)が一番大きいのです。だから、地方創生という“当たり前”の話が蒸し返されるのでしょう。

 この(C)の変形、(A)の変形が、(B)を直撃している。もともと動きの遅い金融業はこの変動に対応できない。それに加えて(B)自体の中で主体の移動が始まった。いまのところ目立つのは、中央部の変化ですが、時が経てば最上部のメガバンクが地方支店を使って下方にシフトすることも考えられます。ヨコの変化にも対応できず、(B)の内部に生じた“大移動”で混乱に拍車がかかっている、これが金融業の現状です。
 こうした混乱をなんとかする。交通整理をするべき主体が日本に二つあります。日本銀行と財務省ですが、前者は2%の物価上昇に拘泥してマイナス金利などという狂気の政策を続け、守り神の財務省はそれをみているだけ。地方銀行や信用金庫には、地方の事情も判らずに“合併”してみたらなどと無責任なことを言ってます。そうこうするうちに、(B)三角形の中と下に位置する金融機関の状況は急速に悪化しています。

 まずはヨコ方向の変化を認識して、それにふさわしい(B)三角形を想定し、その内側ではある種の停戦協定をつくって、それぞれの住む場所を安定させることです。そのためには金融行政が必要です。リレバンだの地域密着型だのと、自分達だけに通じる言い訳でなく、日本の金融業の構想を練り直すことが必要です。このまま、(B)三角形の中央・下部が壊れれば全体も危ういし、そうなればグローバル都市もなにもあったものではありません。

〈 おわりに 〉
 資本主義は変動常なき競争社会ではあるけど、ある期間は様々な構造や組織が調和していて、全体として調和を保っている。それは、かなりバランスのとれた社会で、実は計画経済といわれている社会主義より均衡性は高かった。日本の金融界は上から下までこの均衡に守られて、住み分けが守られ競争することなく、安定して存続してきた。しかし、グローバリズム、人口減、成長限界などの大きな要因からそれが壊れはじめている。日本の、特に地方の金融機関はそれに対応できずにいるのです。


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