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そのルールで生きるなら文句は言わない

おはようございます。

最近はクマの動画を見すぎて愛おしくなったきている坂口です。
#熊はメンヘラらしい

さて。

今日は「共感という呪縛から逃げろ」についてお話ししていきたいと思います。

「共感の先にあるもの」

先日、友達と話していて面白いと思った気付きなのでそれを書こうと思います。

まずお伝えしたいのが、

僕は人を否定するのことは絶対に言いませんし、その理由は自分の信念として「人の可能性を広げる」をテーマにしていると言うのは大きいと思います。
#でも 、笑いは別

なのに、面白いのは人を否定しているように取られちゃうことがよくあるんです。

その答えは「共感力」だと思います。

日本という国は共感の比重が大きくて肌感では9:1で共感です。
#残りの1は適当に笑

なので、良くも悪くも共感さえできていたら嫌われませんし、生きやすい世の中だと思います。

これだけ聞くと簡単な国なようですが、共感に比重を置きすぎた結果は

「思考停止」と「同調圧力」の雨霰(あめあられ)で、「とは言っても…」で返ってくる言葉はただの言い訳だけでばかりと思うことも少ないくありません。

みなさんも経験があるんじゃないでしょうか?

みんなが残業しているから自分は帰り難いと思ったこと。帰ればよくない?と言おうもんなら「帰れるわけないじゃん!」と空気を読む国民性と共感性が強すぎた判断が優先されます。

では、そんな思いをしている人が、同僚が先に帰っていたらどう思うと思いますか?

「えっ!俺だって我慢してんだけど?」

と思う方が普通だと思います。

これが日本の共感社会です。

嫌なことや我慢まで共感させられる世界は、生きやすい世界とは僕はとてもじゃないけどいえません。

ただ、海外だとそうはいかなくて、

「お前の意見(気持ち)は?」という会話なので別意見=あなたのことが嫌い(否定)じゃない。

それよりも「どっちでもいいよ」の方が意見ないのかよ!となるのが海外のマインドであり海外で重宝されるのは共感ではなく協調です。

自分の意見を言った上での折り合いを付ける。これが大事だと僕も思うんです。

例えば、AさんとBさんが別の考え方お互いを尊重をして、別々の道を歩くことを応援します。

「共感社会=協調社会ではない」


ここで伝えたいのは、多数決は「自分の出した答えじゃない」ことを知った方がいいということ。

確かに話していて気持ちいいのは共感ですが、その気持ち良さだけを求めるならキャバクラでいいと思っています。

多数決で人生を決めるなら、すぐに周りの人に悩みを相談して多数決で自分の人生を決めればいい。

ですが、相談はしても(覚悟を)決めない人は多いと思うんです。

それはなんで?

つまるところ、「人生は自分で決めないと責任は誰もとってくれない」という事実を知っているからだと思います。

もし、

「共感」というルールで生きるなら、共感が集まることが正義だと思うんですね。

例えば、会社の愚痴に票が多く入るなら、その時間は幸せなはずだし、悩む必要がないはず。

ですが、会社の人たちと愚痴で盛り上がっても、今の悩みなら仕事なら、心が共感に意味を成してないのを気づいている証拠だと思います。

僕が大事にしているのは、多数決より自分の身体で、自分の身体が調子が悪いならそこは答えだし、もっというと自分に対して

「まだまだやれるだろ!お前なら!」という言葉を投げかける事で、他人の共感を集めることじゃない本当に揺るぎない力を沸かすことの方が大事だと思うんです。

「病は気から」というのは本当によく言った言葉で気を強く持つことは人生において僕は一番大事だと思います。

「まだまだやれる!」

触れることで(何かを)感じて、言葉を聞いて心が震えて、初めての考え方に出会ってワクワクして、初めての体験から若さをもらえると知っていても、「まだまだ」と思ってやるのと「どうせダメだろ」と思いながらやるのとでは結果は絶対に変わると思うし、一緒のはずがないと思います。

「共感の優しさの裏側をみよう」


優しさには種類があって、否定しない優しさやどんな時でも味方でいてくれる優しさがあると思います。

ただ、最初にお話ししたように僕は共感はしませんが(※ただ、理解は人一番するので気持ちよくお酒飲めるらしい)相手の欲しい世界を見せてあげる方が優しいと思うんです。

よく「相手の欲しい言葉をあげる」ということを言う人がいますが、僕はそんなの全然優しくないと思うし、それなら相手が見たい世界を見せてあげる方が優しいと思います。

その為には戦わないといけない事もあるし、選ばなきゃいけない事もある。

ひどいって思われても仕方のない選択をしなきゃいけないこともあるとおもんです。

社長が会社のために自分の時間を削ること、結婚した友達たちが自分の時間を制限すること全てにおいて、「守るもの」を持つ者の強さだと思うんです。

そう考えると「共感」よりも「守りたいもの」を一番に考えていいと思います。だからこそ、他人が共感よりも守りたいものを一番に置いていて、それを認めることから始めないといけない。

まずは他人の行動を自分が共感と違う見方をする所からでしか共感という呪縛から解ける方法はないと思っています。

明日幸せになりたいなら、まずは守りたいものを決めてみてはどうでしょうか?

そんなこんなで坂口靖彦でした。

素敵な一日をお過ごしください。

ばいちゃ〜




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