様々なところで「対話」の場が設けられるようになり、「対話」という言葉は巷にあふれるようになった。

対話・ダイアローグ(dialogue)という言葉は、ソクラテスの「対話篇」で有名なように、古代ギリシャの時代には既に用いられていた。

「On Dialogue」で有名な物理学者のデヴィッド・ボームは、社会変革の強力な手段として「dialogue」を再定義、実際に活用したことによって、「対話」に新しい意味が吹き込まれた(*1)。 

この「対話」の新しい意味については、ボーム自身が、

「『対話』という言葉に、私は一般に使われているものといくらか異なった意味を与えたい」(*2)

として、次のように述べている。

(対話の)語源から、人々の間を通って流れている「意味の流れ」という映像やイメージが生まれてくる。これはグループ全体に一緒の意味の流れが生じ、そこから何か新たな理解が現れてくる可能性を伝えている。この新たな理解は、そもそも出発点には存在しなかったものかもしれない。それは創造的なものである。(*2)

この内容をはじめとする対話についての概念は、その後、アダム・カヘンや「U理論」のオットー・シャーマーが「対話の4つの場」としてモデルで図解している。
また、ピーター・センゲの「学習する組織」では、5つのディシプリンの1つ「チーム学習」の中核的な方法論として取り上げられている。

そして、よく用いられるワールド・カフェやオープン・スペース・テクノロジ―、AI(アプリシエイティブインクワイアリー)などの「対話の手法」は、このダイアローグをベースにしたものである。

しかし、そんなことを意識しながら「対話の場」に臨む人は多くはない。したがって、多くの人にとって「対話」は以前からの自分の概念のままである。

ボームに始まる新たな「対話」の意味に基づく新たな手法を活用するにあたって、従来からの古い「対話」の概念を持って臨んでいる、ということが至るところで起きている。

そのため、ボームに始まる新たな「対話」の概念は、とてもパワフルな可能性を持ってるが、それがなかなか活かされない。

使う人によって言葉の意味やニュアンスが異なることはよくあるが、これは何とももったいない。

対話の場を持つと、深い対話の場が成立するためには、参加者にベースとなる対話の理解があった方が望ましいと感じることは良くある。
ボーム自身も、次のように述べている。

「対話のグループを立ち上げる場合、普通は対話について話すことから始めるー対話について議論し、対話する理由について話し合ったり、対話の意味を考えたりするのだ」(*2)

「対話」について話すことで、対話の場を持つにあたって共通に認識したことが良いことなど基本的な考え方が共有される効果もあるのだろう。

組織開発の世界では、昨今「対話型組織開発」が注目されているが、「対話」の意味をしっかり考えられているのか、やや不安に感じる場面も少なくない。

またボームは
「対話は二人の間だけでなく、何人の間でも可能なものなのだ」(*2)
とグループを対象とした取り組みについて述べる一方で、
「対話は二人の間だけでなく、何人の間でも可能なものなのだ。対話の精神が存在すれば、一人でも自分自身と対話できる」(*2)
とも述べている。

対話の場に関わる際には、様々な手法を活用しつつも、もう一度ダイアローグの原点にもどって、対話の持つ可能性、そこから生まれる意味の流れや新たな創造的な理解が現れてくることを探求していきたい。

そして、家庭や職場など身近な場で「対話」を活用して、様々に生じる人間関係の問題を解消するような流れが生まれることを目指したい。

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*1  香取一昭、大川亘,「ホールシステム・アプローチ」,日本経済新聞出版社,2011

*2 デヴィッド・ボーム,「ダイアローグ」,英治出版,2007

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