羨ましがられる事の意味とは(独り言風)

羨ましがられる人生と言うものを考えてみた。


人から見れば、うらやましいなぁ。と思えることも、本人からすれば 

実は

「そうでもないよ」とか「大したことない」と思えることがとても多いのではないだろうか。

今日はなんともポカポカ陽気、こんな日に外に出ない手はない。

(私の地域は、ホテルが点在しているだけの土地なので人がほとんどいません)

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綺麗な景色に囲まれて

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この大きな駐車場の中

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黒いマットを敷いて

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昼寝をしてみた。

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人から見ればなんと気持ちのよさそうな光景だ。


時期が時期だけに尚更。


同じ寮に住んでる人からも「気持ち良さそうだ」と声を掛けられる。


こちらもドヤ顔で

ドヤpose_doyagao_man

「なかなか良いですよ」


などど言いながら、90分ほど寝転び、風も良い具合に吹いてなかなか気持ちのいいモノである。


しかし


それは「見栄」である。


実際には、それなりには気持ちが良いのであるが


・日が強すぎて顔が熱い。

・日差しが眩しくて、10分くらいしか寝れなかった。

・なんでこんな所で寝ているんだ、私はバカなんじゃないのか。と客観視して思ったりする。

・背中も痛い。


などなど悪い点もしっかりある。



いいなーと思える人も、見る側面を変えればそうでもない。


羨ましがられる事に意味なんて、ないのかもしれない。


私のこのnoteも意味がないのかもしれない。



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