相手の話を聴くときに本当に必要なこと …その3(完)

こんにちは。汗が垂れるくらいに暑くなってきましたね。汗をかいたら拭いておきましょうね。その方がまた汗を気持ちよくかけますからね。もちろん暑くてすぐ乾く季節ですからそんなに気にしなくてもいいっちゃいいのですが、冷房の効いたところに入る時はちゃんと拭いておくのをおすすめしますよ。

その1その2で、話を聴くのは全身で聴くことと、全身がまとまっている状態じゃないと相手に集中しにくいことをお話しました。「なんとなく言いたいことはわかったけれども、じゃぁどうすればいいのさ?具体的な方法を述べよ」と思っている方も多いと思います。その3では、まとまった感覚は日常生活の中のどんなところで得られるのか、という方面からお話をしたいと思います。

その2の最後で、もし全身で聴く集中に欠けていると自覚したら、体のまとまっている感を思い出してから相手に向き合えばいいんじゃない?と提言しました。

では、思い出すにはどうしたらいいか?

…という前の大前提として、

思い出すには体で覚えている必要があります!!!

という事実。ガビーン(死語)。

体で覚えている=身についていれば、必要なときに引き出せます。難しいことではありませんね。集中感を思い出すということは、誰にも教わらずともみんな何かしらでやっていますよ。夢中で遊んだとか、集中して勉強したとか仕事したとか、集中してなにかやったことはどんな人も必ず経験があるはずなので、体で覚えていて、次に集中しなければならない時にスッと入っていけるのだと思います。

では、まとまり感はどうでしょう? おそらく、今の多くの人がなかなか思い出せないのは「体のまとまり感」だと思うのです。例えば、普段の生活の中では、大勢と一緒になにかやるとか、コーラスや合奏とかスポーツとかのチームワークに関すること、人と何か一緒にやることで一体感として得ることができると思います。ポイントは体を動かすことを他の人と一緒にやることですね。そしてそれが快いものであること。快さはまとまり感のキモです!

まとまり感は大勢の中だけでなく一人の中でも育ちます。一人の中で育つ体の快に「快眠」「排泄」「(それこそ今の時期)汗をかく(汗も排泄です)」「(女の人は)月経(これも排泄)」などがあります。それら大事にしていますか? 嫌なものと感じていたら…少し考え直すいい機会にしてください。もう一つ大きなこととして「病気の経過」があります。どれも意識するしないに関係なく起こることばかりです。これらがうまくいくと体にまとまり感が出てくるのです。しかし、体が変と思ったらすぐに怖がったり、人に迷惑をかけるからと症状を治すためにあれやこれやと何かをする人は、自分の体のまとまり感を感じるには残念ですがちょっとだけ遠いのです。

体って、自分の意識が届かない部分が大半で、日々動いています。せっかくわかろうと努力しても、「よくわからないけどよく動いているシステム」そのものへの敬意がないと、大切なものを見落とします。ほんとはもっとそこに突っ込んでいかないといけない世の中になっていると思います。

また、「快さ」を考えたとき、世間では刺激を受けて「気持ちいい」「癒される」と思う感覚と同じように考えてしまっているのかもしれないなぁと思います。快さというのは、それらを含みつつも、生命活動の伸びやかさみたいなものとイメージしてもらうといいかもしれません。体の「壊して創る」「生きて死ぬ」が「うまく行っている感じ」といいましょうか。このような「よくわからないけどよく動いているシステム」という大きなところから見ようとしてみると、人々の生活の中では「気持ちいい」「癒される」「楽しい」「アガる」「爽快感」のようにバラバラにクローズアップされたところだけが過剰になっていく構造が見えてくると思います。快さは個人個人で感じているものですが、他者や場への協調とか共鳴と呼ばれるようなものがあって保たれる面もあります。他と関わる関係性があるからこそ「多な他」と「個」の間で行き来しながら育っていくものではないでしょうか。

あなたは体がまとまった感じを思い出せますか?


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聴くことに話を戻しますが、意識せずともスッと相手に集中していつでも全身で「聴ける」状態が自分の快さとつながればいいですよね。そうしたらすんなりと相手の快さも育ちます。それができない時はせめて「集中感とまとまり感を思い出すよう意識したらその状態に持っていける」のを目指したいです。集中できない時はたくさんあるんです。毎日頑張っているのですから。もし思い出すことができない時は素直に「あ、今できない時なんだ」と自覚したらいいと思います。そういう自覚があって初めて、相手の快さを傷つけない、邪魔しないことにつながります。

(ちなみに「言い訳」をしちゃうと相手の快を育てませんのでご注意ください。よく、自分の言い訳を「説明」と称して使っている人がいますが、自戒を込めて言いますが、それは速攻やめた方がいいです。)

さて、体がまとまる具体的な方法ですが、何か特別なことをやるのではなくて、なるべく日常の中で、時間はかかれど身につけていくような方法がよいと思います。上の方で書いた、複数人数で一体感が得られるような体を動かすことがお勧めです。仮に趣味などの人付き合いがなかったとしてもですよ、大人であればつまり「(家事含む)仕事する」も、自分が「まとまろう」と思ってやっていけばできるんですよ。特別な何かをしなくても視点を変えればできることがたくさんあります。それをやると周りもだんだんとまとまってきます。知らぬ間に「聴ける」ようになっているかもしれません。

それでも「体のまとまり感ってこれなのか!という感覚を味わいたい!」と思う方がいらしたら、私は活元運動をお勧めします。活元運動は自分の根本的な要求に気づくための運動です。と同時に、いっぱい溜め込んだ余計なものを一旦全部出す運動でもあります。そして、バラバラだった体がまとまっていく運動でもあります。そういうことを続けることが身に付くこととなり、普段の生活の中で知らぬ間に発揮される力となります。

自分がひとかどの何者かにならなくていいし、子どもをスーパーキッズにしなくてもいいんです。それって本当に自分の要求でしょうか?子どもの要求ですか? まとまった体で相手の要求を感じ取る。それができればいいのです。いままでそういう視点を持ったことありますか? という問いを最後になげかけて、「相手の話を聴くときに本当に必要なこと」を終わります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

数多くの中からここに出会ってくれてありがとう!