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怒れるときだけ


【1:言葉をもたないなら】


 前に一度、演劇のオーディションを受けたことがある。エチュード、という演劇用語があって、それは即興芝居のことだったのだけど、それをやった。
 学校の授業でそれをやれば、みんな照れたりあざ笑ったりして真面目にやるやつほど浮いてしまうかもしれない。でもそこにいたのは全員役者、もしくは役者志望で、誰一人恥ずかしがることなくやった。それは僕には初めてのことだった。
 エチュードは即席のペアをころころと変えて行われた。目の前で本気で演技をされること、目の前で本気で演技をすること。即興で生み出されていく熱と物語と笑い。あまりに楽しくて、オーディションが終わってもしばらく興奮が冷めず、こんな設定だったらどうだったかなと頭の中でずっとシミュレーションが続いた。

 そのシミュレーションの中に「え」という設定があった。
 仲良しの二人組の片方が「今から「え」だけで喋ろうぜ」と言い出して、実際に「え」だけで喋り、最後は「むじー!(難しー!)」と笑って終わるイメージだった。
 ほとんど忘れてしまった他の設定とは違いこの設定が印象的だったのは、どうやってもハイテンションになるからだった。
 例えば「あっちに行こう」と伝えようとする。
 まず「え!」と言ってあっちを指さし、「えっえっ」と言いながら歩くジェスチャーをする。そして相手の顔を見て、「え?」と分かったかを確認する。
 でも相手は遊んでほしいんだと勘違いするかもしれない。「え!」と言いながら空を指さし、「えっえっ」と言いながら平泳ぎのジェスチャーをして、「え?」と言い返してくるかもしれない。これだろという顔をしながら。
「えーえーえ! えーえーえ!」ちーがーう! ちーがーう!
 腕を顔の前で大きく振って、間違っていると必死に伝えなければいけない。
「はい! ここまで!」
「なんだったの今の?」
「あっち行こうだよ! 何平泳ぎしてんだよ!」
「分っかんねーよ!」
「いやー・・・」
「「むじーーー!」」

 楽しくてこの設定ばかりシミュレーションをしているうちに、違うかもと思うようになってきた。「え」しか喋れないとハイテンションになる、のではないのかもしれない。
 もしいつも通り言葉が使えたら、平泳ぎのシーンで「いや違うから」と冷たく否定することもできたし、「はあ」とため息で苛立ちを伝えることもできた。
 でも「え」しか喋れないからそれができなかった。相手に分かってもらおうと必死になっていた。クールでいる選択肢を排除したから、結果的にハイテンションに見えただけだ。
「え」しか喋れないと、ローテンションではいられないんだ。
 伝わらないと思っていたら、不機嫌ではいられないんだ。

 言葉の通じない外国に何らかの理由でぽつんと移動してしまったとする。
 文字も読めない、お金もない。その状況で「いや、ここ俺の国じゃねえから」とか「はあ・・お願いだから日本語で喋ってくれる?」なんて言ってられない。
 なるべく優しそうで時間がありそうな人を見つけて、何か食べたい、どこかに泊まりたいというのを、敵じゃないんです、もくろみもないんですというニュアンスも混ぜながら必死で伝えないといけない。

 つまり、不機嫌だったりローテンションになれるのは、伝わると思っているからだ。
 共通の言語、共通の知識、共通の環境、共通の血。
 そういった媒介物があるから、伝わると勘違いしてる。
 だってそうでしょ? 同じ国の人でも、同じ環境の人でも、伝わらないせいで起こるニュースなんて毎日いくらでもやってる。
 伝わらないかもと思っている人だったら不機嫌にはなれない。不機嫌な人は、つまり僕たちのほとんどは、勘違いをしてたんだ。

 

【2:YES】

 ある美術展。
 はしごが置かれていて、その上にはルーペが吊るされている。
 はしごにのぼり、そのルーペで天井を覗くと、そこに「YES」と書いてあった。


 ビートルズ時代のジョン・レノンの有名なエピソードだ。
 その作品の作者こそ、のちの妻となるオノ・ヨーコで、とあるインタビューマンガで「なぜYESだったんですか」とオノ・ヨーコに問うシーンがあった。
「本当にギリギリのところでは、YESというしかないのよ」
 もし誰かが私の頭を押さえつけて海に沈めようとしてきたら、NOって言ってるだけなら死んじゃうわけ。そう付け足して説明をしていたけど、これが当時の僕にはさっぱり分からなかった。YESと言ったら死んじゃうもん。
 だけどその言葉の意味が、少しずつ分かるようになってくる。


 震災が起こると、避難所を取材するリポーターが「みんな震災に負けず、笑顔で頑張っています!」と言う。別にそこに嘘はない。みんな本当に活発で笑顔だ。でも、笑顔を選択したわけじゃないんじゃないかな。
 勝ち負けの選択肢を出したらその時点で負けてしまうほど、あまりに辛いことが起こったんだと思う。だから、緊急装置的な笑顔で、強いプラスで勝ちだの負けだのを覆い隠したのかもしれない。本当にギリギリのところでは、NOとは言っていられない。
 あの場では、思春期の女子高校生だって「お父さんのあとのトイレとかいやなんだけど!」とは言わないと思う。何かを否定している余裕はない。文句に使える力はない。
 否定を捨てれば不満な表情もなくなる。それで残ったのが笑顔ってだけ。


 本当にギリギリのところでは、YESというしかない。
 伝わらないと思っているなら、不機嫌ではいられない。
 この言葉がリンクしていく。


 イチローの引退会見で、あのひょうひょうとしてるように見えるイチローが、目をくわっと開いて少しマイルドな表情になった場面があった。マイクを持った記者が「台湾の記者です」と言ったシーンだった。
 作家の平野啓一郎さんが「本当の天才と呼ばれる人たちに会うと、彼らには独特の人の良さ、愛想の良さがある。ニコニコしていて当たりもいい。そうしないとすぐに社会から孤立してしまうから」と言っていたことも思い出した。「中途半端な人こそ自分を天才に見せようとして横柄(おうへい)になる」とも言っていた。
 日本人の女性同士が結婚したというニュースでは、その二人がまるでアナウンサーのようにハキハキと、そしてシスターのように穏やかにインタビューを受けているのが印象的だった。「一緒に暮らしてれば嫌なことだってありますよ」なんて言わない。「二人のことなんだからほっといてもらえます?」とも言わない。ここで何かをしくじれば、同性婚という過渡期のシステムがどうなってしまうのかを肌で感じていたのかもしれない。


 不機嫌になるのは、不機嫌になれるからだ。
 怒るのは、怒れるから。
 伝わると思ってるから、怒ることができる。
「ねえ、ここで挨拶しないってないんじゃない?」と怒る人は、昨日日本に来た留学生にも怒るんだろうか。いや、「まあ君はいいんだけどね」とやさしく微笑むかもしれない。
 ということは、この人はダメかダメじゃないかで怒ってない。伝わるか伝わないかで怒るかどうかを決めていたことになる。


 でも怒ってるときにそんなことは考えられない。
 たいてい欠落を指摘してるほうが我を忘れているものだ。怒ってるのはこちらが正しいからだと、声のボリュームをいくらでも上げていける。
 だけどちがう。そうじゃない。
 怒ってるのは、怒れるからだ。



【3:しあわせと甘え】


 妹には突発的で不丁寧なところがある。
 昔はケンカも多かったけど、そういう人だと思えるようになってからは仲良くなった。
「明日入籍することになったから」と突然連絡があったときも、挨拶も済ませていたし、結婚前提の同棲も始めていたし、妹の性格も知っているので、僕としてはまあそうなのねという感じだった。
 だけど母親はちがった。激怒、というか激昂した。
「あの子はほんっと!! 勝手なのは知ってるけど、こういう大事なことを明日ねはい分かりましたなんて言えると思う!? 5分でもいいからきちんとしてよろしくお願いしますでしょ! しかもこの間3人で会ってるんだよ? なのにそんな話一切しないでビール飲んでウケるとか言ってビデオ見てただけなんだから。それで、明日入籍しますだあ!? そんなの、許せるわけがないでしょ!!」
 電話越しに、当人でない僕相手でも怒りが収まらない様子だった。


 友達の引っ越しの手伝いをしてたのだけど、いったん抜けて今度は妹にかけ直した。具体的なことは忘れたけど、もうすぐ大殺界に入るだとかで都合のいい吉日がもう明日しか残っていないということだった。
 最初の連絡では「どうしよう・・」と困惑していた妹も、だんだんと腹を立て始めたようだった。
「怒ってたでしょ」
「すっごくね」
「ねえ、なんであんなに怒られなきゃいけないわけ?」
「まあちゃんとしてほしかったってことなんでしょ」
「それはそうかもしれないけどさあ!」
「ちょっと怒りすぎだけどね」
「そうだよ! 挨拶してなかったわけでもないのにさ」
「うん、ちょっと待って。明日籍を入れるっていうのはもう絶対なんでしょ?」
「うん、そうしたい」
「で、明日までにお母さんに挨拶に行ける時間もないと」
「うん」
「じゃあ、改めて連絡して、今回はどうしてもそうさせてもらうけど、今度必ず挨拶しに行くのでお願いしますって言ったほうがいいよ」
「・・どうしてそこまでしなくちゃいけないの?」
「だって、来年の結婚式が、一言も喋らない式になるかもしれないよ。本当だったら素直にお祝いしてもらって素直に感謝できてたところなのに、そうじゃなくなるかもしれない。『なんで反対されなくちゃいけないわけ?』ってぶつかったところで、お互いの怒りが増すだけじゃん。怒りは収まらないよ。もしかしたらいつか子供が生まれて、今日は面倒見てほしいなっていう日もあるかもしれないけど、それも全部不可能になるかもしれない。仲悪くなるって簡単なんだよ。仲良くいるには力がいるの。俺からもある程度は話しておくから、いらいらするのもグッと抑えて今回はそう言っとこうよ」

 そう妹をなだめて、同じようなことを母親にも言った。
 どうしても明日がいいんだってさ。きちんとしてほしかったっていうのも分かるけど、ここで怒り続けてたら一生話さない関係になるかもしれないよ。一緒に暮らしてるわけじゃないんだから、仲直りのチャンスだってそうはないんだからね。
 怒れるってしあわせなんだよ。妹がもっと反抗的で反発的だったら、怖かったり面倒くさかったりして元々話せてもいなかったかもしれない。怒れるっていうのは、関係性があるってことなんだから。
 でも、だから怒るのは甘えとも言えるの。関係性に甘えてる。ヤンキーには注意できないけど従順な生徒には注意できる先生みたいなもんなんだよ。せっかく関係性があるのに、それを壊しちゃうのはもったいないよ。

 怒ってるときは一度に言っても難しいから、後日ご飯を食べながら話したことも含んでる。そのときはすでに3人で食事を済ませていて解決済みだった。解決できるトラブルを起こすなよとも思うけど、ほんと、一生仲悪くならなくてよかったよ。


【4:気に入らないからといって気に入らない態度を取っていいわけじゃない】

 怒るのは怒れるからだとか、怒れるってしあわせなんだよ、甘えなんだよと言っても、それでも怒ってしまうときや、こっちが正しいんだと思うときだってある。
 でも、気に入らないからといって気に入らない態度を取っていいわけじゃない。

 宿題をしないで行った塾で「お前はこんなこともできないで何ができるの?」と先生に言われたとする。その次の週に今度は宿題をしていったら「な! ほらお前はできるやつなんだよ。さすが俺の生徒だ! な!」って言われたとする。
 どう思うかな。
 なんだこいつ。宿題程度で態度変えやがって。
 僕ならそう思う。もっと思う。人を表面でしか見てないで。なんだよ。うっすい人間だな! 別にお前の生徒ではないわ。
 怒るは怒れるだよとエッセイを書いてる人がもうこの状態。えらそうな人が苦手なんだよなーごめんなさい。
 ここで大事なのは「よーし宿題やろー」とは一切思っていないところ。確かに宿題をしていなかったのは自分かもしれないけど、印象としては理不尽に怒られたときとなんら変わらない。「こっちだっていろいろあんだよ」「やろうとしなかったわけじゃないし」「部活で大変なのにさ」と舌打ちをするかもしれない。 

 子供が働きも勉強もせずだらだらしてたら、そりゃあ怒りたくなる。
 つい怒鳴ってしまったセリフの一部で「金も稼がずお前は!」と言ってしまうかもしれない。
 じゃあ、金を稼いだら機嫌がよくなるってこと?
 兄弟がそうなら、頑張ってる自分と比べていらいらして無視したりするかもしれない。
 じゃあ、同じくらい頑張ったら機嫌がよくなるってこと?
 じゃあ、それ以上に頑張ったらこっちが無視してもいいってこと?
 気持ちも分かるけど、いろんなひとにはいろんな時期があるから。現時点での数値だけ見て判断するのは危険なことだと思う。そういう人は、金持ちだったり有名人だったりにやたら緊張したりすることもある。その裏で誰かを見下してる。そして、見下されていないか怯えている。
 そういう人に何を言われても、そういう人だなという印象しか持たない。
 気に入らないからといって気に入らない態度を取っても、何も良くならない。厄介で面倒な人だなという印象を向こうが持つだけだ。
 好きな有名人が「昔は8年引きこもってたんですよ」って言っても怒らないくせに。気に入らない理由も、関係性があって、伝わると思ってるからかもしれないね。


【5:一緒にいたのは】


 怒るのは、怒れるから。
 怒れるのは、伝わると思ってるから。
 伝わると思ってるのは、関係性があると信じているから。
 だから関係性が深い人ほど、後々思い出せないくらい些細なできごとで一生のケンカをすることがある。

 でも、一緒に暮らしたり同じ環境で生活をしてきたのは、つまり関係性を築いてきたのは、怒る権利を得るためだったのかな。不機嫌になる権利を得るためだったのかな。
 大声でどなれるために仲良くなったんだっけ。
 暴力を振るえるために付き合ったんだっけ。
 強い言葉で非難できるために暮らしてきたんだっけ。

 愛と憎しみが表裏一体だなんてよく言うし、その言葉の意味も分かるけど、ときどき、それじゃあんまりだよなと思う。
 いっそ「え」しか話せないくらい、伝達手段を持たないくらいのつもりで、相手の言葉、情報を待ってみるのもいいんじゃないかなと思う。媒介物を全部流してしまって。
 伝わるか伝わらないかのギリギリのところでは、NOとは言っていられないんだから。
 つまり「え」で言うと、

 ええーーーー!
 ええっええーーーー!
 えっえええっえええええええええええええええええーーーー!
 ええええええ!
 ええええええ!
 ええっえ?
 えええええ?
 えええええーーーーーー!

 ええーええーええー!
 ええーええーええーええ!
 えーえーえーーーーええええーーーー!!

 
 だ。
 ええっえ?



【このエッセイが動画になりました】

熱と発見というシリーズです。YouTubeです。


全情報の公式サイト
https://ptpk.exblog.jp/23471661/
YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c3o9PfaRHrg

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