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戦友が逝きました。ありがとうと伝えたい。

会社の同期であり、サッカー部で共に戦った友に捧げる。

白血病により1年半にわたる闘病生活。最後は肺炎となり44歳の生涯を終えた友がいた。

序 同期であれど関係は薄く

彼の名はS君。会社の同期だ。同期と言っても仕事で絡むこともなく、特別仲が良かったわけではない。会社のサッカー部としてのつながりがほんの少しあっただけだ。
自分がすぐにサッカー部を辞めたため、本当に希薄な関係ではあったのだが、転機は約10年前に訪れた。

破 サッカー部の全社大会

うちの会社は日本全国に事業所があり、それぞれにサッカー部がある。年に一度、全社大会があるのだ。思い起こせば入社初年度もS君と一緒に参加しているのだが、ほぼ記憶はなく。。。

話を戻して約10年前、名古屋主催の全社大会が開催されることになった。300人以上が参加するこの大会は運営も大変である。そのため、すでに退部していた自分にもヘルプの声がかかった。
自分は快く承諾し、スタッフとして全場所大会を支えた。
ちなみにS君は若いころからずっと部長をしており、この全社大会も当然のようにすべてを取り仕切っている。だからこそ同期である自分にも声がかかったのだ。

急 サッカー部に復帰して共に戦う

その全社大会をきっかけに、再びサッカーをやりたいと胸が高まった自分は、実に10数年ぶりにサッカー部へ復帰した。この頃のサッカー部は慢性的に人手不足となっており、試合の度に人員確保がS君の悩みの種だった。積極的に参加するようになった自分の存在は、朗報だったと思いたい。

また、S君自信に子供が生まれたりして部長としての運営が厳しくもなったりした。そんな時には自分が部長代理として、地域のサッカーリーグ代表者の打ち合わせや、全社大会の取りまとめなどを行った。また、普段の試合でも代表代理を務めることもあった。
ちなみにS君が不在だった全社大会の場所は香川県。自分の故郷で、しかも自分が住んでいた場所のすぐ近くで大会が開催され、その取りまとめとして代表代理をしたことは僥倖だった。

プレー面では自分は主に左サイドバックやセンターバックでの出場が多く、S君は右サイドバックのため、直接的に絡むプレーは少なかった。前述している通り人手不足もあり、そんな時はS君がGKをやることもあったが、本来は右サイドバックの選手。だからこそ自分が率先してGKをすることもあった(凡ミスによる失点はご愛敬)。

そんなわけで同期としてや仕事としての絡みはあまりなかったが、サッカー部を通じての関係性は濃かったと思っている。(もっとも、同期だからこそ濃い関係になりえた面は大きいのだが)
特にそれはプレー面ではなく、運営面で色濃い思い出となっている。S君がずっと部長をやっていたのも、若手に引き継げる人材がいなかった側面が大きい。そのため運営の苦しみを一人で抱えていたところはある。それを少しでも支えることができたのは、自分にとっても誇りでありS君との大切な思い出だ。おそらく同期とか仕事での繋がりは、大勢の中の一人、という印象が強いが、サッカー部の運営という視点で彼を支えたのは自分一人ではないだろうか。 いやまぁこれは多分に言い過ぎている面はあるかもしれないが、サッカー部に復帰後は確かに彼を支えた自負はある。

そういえば新入社員へのサッカー部紹介もやっていた。S君が仕事の都合で説明会に参加できないため、かわりに毎年のように勧誘していた。なかなか成果はでなかったけど、そんな思い出もある。

共に戦った仲間。ピッチ上での意味合いもあるが、サッカー部の運営面で共に戦った意味のほうが断然大きい。人手不足を補いながら駆け抜けた日々はまさしく戦友だった
生粋のサッカー好きである自分が再びピッチに立てたのは、S君がいたからこそである。そして故郷の香川で全社大会に代表者として参加できたのも、S君がいたからである。本当に貴重な経験をさせてもらえた。

ありがとう

S君に言うべき言葉は「ありがとう」しか思い浮かばない。通夜で最後にそう言えたのは、自分にとってはよかったと思う。この気持ちが少しでも彼に届けば、これほど嬉しいことはない



付録

思い出の試合
・故郷香川での全社大会
・福山での全社大会。CBながらFWを追い越しあと一歩でゴールだった
・夏のリーグ戦、GKで出場。キャッチミスという凡ミスで失点

思い出の運営
・故郷香川での全社大会で名古屋代表として参加
・地域リーグの代表者会議に代理で参加
・チーム存続の危機に立会人として参加



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