宮城県加美郡(加美町と色麻町)のこと 今日はエネルギーの1回目で書いた「⑨陸羽東線が小野田経由案があったとチラシに書いてあったこと」への疑義について  風力発電反対は問題ないのですが事実を書いてほしい

①「宮城県加美郡加美町の風力反対運動ので検証1」で陸羽東線関連記述の不思議
 風力発電所を反対している方々が陸羽東線「小野田経由案があったことと反対運動で経由しなかった」と書いてあったことに私は疑義を感じていました。私が数十年前に複数の図書などで古川から岩出山に鉄道省が路線を伸ばそうとして、中新田で大運動をしてなんとか中新田の近くまで持ってきて中新田という駅名にしたのをみた覚えがあったからです。
 そのころには鉄道を忌避した街、陸運やは川の水運がだめになり、街が衰退するということが急速におこり問題が各地で起こっていたころです。
 加美町もご存じの通り、鳴瀬川水運で四日市場の船着き場まで海から舟が入ってきて、四日市場と中新田の繁栄につながっていたと資料で読んで知っていたからです。
 さらに鉄道がどうしても欲しくて、仙台鉄道を大衡から三本木、古川に伸ばそうとしていたのを色麻・中新田に変更させたことも資料でみていたのでおかしいとおもっていました。(仙台鉄道が中新田方向に路線を先に延ばしたのは陸軍の王城寺原演習場や多田川・鳴瀬川橋梁施工が大変だったためという記録が多いです。ただ、別の資料では予定線として三本木から古川に行く路線が残っていたものも見受けられます。)

②資料に書かれていたもの
 今回、再度いくつかの資料を読みました。小野田方向に伸ばそうとしていた資料は見つかりません。
・大正っ子の続中新田物語 伊東東一著
 18頁陸羽東線中新田駅の項で「陸羽東線は中新田の近くを通らず、国道47号線近傍を通るようにするよていだったこと」「鉄道省は資金をだすなら国道347号線の名蓋川西ぐらいまでならといったが中新田で出し切れず新堀までになり、駅が志田村村内になってしまったこと」「駅名だけは中新田としてもらったこと」「駅への道路工事を奉仕させられたこと」などが記されています。
・中新田の歴史 普及版 中新田町
 「大正っ子の続中新田物語」の簡易にしたものがかかれています。
・新編 中新田町史 下巻 中新田町
 239頁から陸羽東線や仙台鉄道についての記述がなされている。「陸羽街道(奥州街道)の宿場町であったにもかかわらず東北本線から外れてた築館や古川、吉岡などが近代化から取り残されたこと。」「中新田から東北本線の駅があった小牛田までの連絡が重要視されたこと」「まず、古川~小牛田間の馬鉄建設され好成績をおさめたこと」「古川~西小野田間の馬鉄敷設申請がなされたこと」「宮崎への馬鉄敷設計画があったこと」も記されています。
 240頁から「石巻~小牛田~古川~岩出山~鍛冶屋沢(川渡温泉)に民間の軽便鉄道計画があったこと」「陸羽東線は加美(中羽前街道)経由と玉造(北羽前街道)経由を比較した結果、勾配などから玉造(北羽前街道)経由を鉄道省が選択したこと」「鉄道省案に対して、中新田や小野田、宮崎が木材を中心にした産品が非常に多いことを理由にして加美(中羽前街道)案の大誘致運動をおこなったこと」「鉄道省が勾配などから玉造(北羽前街道)経由を変更する可能性がないため、中新田を経由させる運動を展開したこと」「中新田駅(西古川駅)経由・設置に至る経緯が大正っ子の続中新田物語の記述とことなる議論経過などが記されていること」
 245頁から「陸羽東線中新田駅(西古川駅)から西小野田上野目にいたる電気鉄道計画のこと」「陸羽東線中新田駅(西古川駅)から中新田西町までの馬鉄計画のこと」「陸羽東線中新田駅(西古川駅)から小野田を経由し宮崎に至る軌道計画のこと」「仙台鉄道が支線として色麻・中新田経由陸羽東線中新田駅(西古川駅)を計画し実現したこと」
 449頁から「陸羽東線中新田駅が西古川駅に駅名変更に至った論争のこと」

③わかったことは陸羽東線が当初から玉造(北羽前街道)経由の計画だった
 人口・勾配などを考えると古川~中新田(旧志田村・現西古川)~岩出山~鳴子~最上~舟形(新庄)と有利な経路です。路線を見れば中新田方向に最大限寄せるよう曲げさせたのがわかります。

④陸羽東線の存廃問題、、、、。 
 これもあとで書きたいと思っていますが陸羽東線と加美町営バス等や補助で維持している色麻線のバス等についてです。陸羽東線は存続危機です。JR東日本が廃止したいといっています。加美町・色麻町は大崎市と連携して陸羽東線維持存続を目指すべきです。

⑤なぜ、事実と異なることを風力発電反対の人たちは言うのだろうか 
 きちんと調べればわかる話なのになぜ、「陸羽東線が加美(中羽前街道)経由に対して加美で反対運動が起きた」と事実と違うことを書かれたのでしょう。資料には全く真逆の事が書かれてありました。その根拠となったものを出してほしいです。なぜこのようなことをしたのか私にはよくわかりません。事実に基づて書いてほしいです。

以下は以前書いたものです

⑨陸羽東線の話。しらべてみますか廃止された鉄道敷設法では「宮城県下仙台ヨリ山形県下天童若ハ宮城県下石ノ巻ヨリ小牛田ヲ経テ山形県下舟形ニ至ル鉄道」とあり、経由地を検討した可能性があります。
しかし、鉄道を忌避した場所は失敗したと大騒ぎしていたことはどこでも当時は判っていたはずです。特に吉岡は鉄道敷設法に記載されていましたが結局、仙台鉄道を自ら引いたのみで終わってしまいました。

下記のチラシは余りに身勝手で将来、化石燃料を電力で生成していく時代になっていくなかでエネルギーを全く考えていないと思慮します。

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