見出し画像

努力とは馬鹿に与えられた夢

 どうも、やすひろです。
 タイトルにある『努力とは馬鹿に与えられた夢』とは、立川談志という落語家の『努力とは馬鹿に恵えた夢である』という言葉を少し変化させた言葉です。僕は談志を最近知ったミーハーなので、彼の人生や哲学を全く知りません。しかし、この言葉の持つ鋭さに惹かれます。

 ほとんどの人は、類まれな才能など持ち合わせていない。これは残酷な事実として確かに存在します。何かを志した時に面白いほど、壁にブチ当たり、悩み、立ち止まる。周りから見れば、あまりに理解不能、酷く滑稽に写っているのではないかとネガティヴな僕は思ってしまいます。

 しかし、僕は努力は良いものだと思ってるとともに、努力している人が好きです。キャッチーな言い方をすれば、「努力教」とでも言えるでしょう。努力を必要以上に美化したり、盲目的に信じることは宗教に似た要素を感じます。成功した人が苦労人であるほど、『ほら見ろ。努力の賜物だ。』と聞いてもいないのに言ってしまうかもしれません。こう言う僕の側面に「努力とは馬鹿に与えられた夢」は深く刺さります。ここでの馬鹿は、諦めの付け所を見失ってしまっているということだと思います。

 才能のないことを自覚しているからこそ、努力に夢を見るのでしょう。でも、僕自身、努力に夢を見ることは辞められません。それは、今まで努力してきた自分を否定する行為になってしまうからです。つまり、僕はずっと馬鹿のままです。
でも、それでいい。馬鹿でいいと思います。愚直な自分に賭けてみたい。
 僕はいつまでも努力に夢を見て、同じように努力に夢を見てる人と一緒にいたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?